第3話 呪いの正体




 …………。


 ――いつの間に眠っていたのか。


 気が付くと、事務所の中はすっかり薄暗くなっていた。立地がよろしくないため、外はまだ陽が出ていても、夕方ごろにはだいぶ視界に困る。


 私はデスクの上に置いていたロウソクに手を伸ばす。電気がないのが残念だが、マッチ程度はある文明レベル。それがこの異世界だ。夜は眠るか遊ぶか、魔法で火を灯して研究にふけるのがこの世界の夜の過ごし方らしい――


 マッチで火を灯したとき、ふと、私は視界の隅に違和感を覚えた。


 壁の方――何かが白く浮かび上がっている。


「!」


 私は思わず声を上げそうになった。


 壁にかかっていた絵画が――そこに、ドレスをまとった骸骨が映っていたのである。


「これは……」


 唾をのみ、深呼吸して鼓動を治める。マッチの火を燭台のロウソクに移して、私は絵にその炎を近づけた。


 確か、そこにはドレスを着た若い娘が描かれていたはずだが、その少女の面影に重なるように、白く浮かび上がるような骸骨が描かれている。


「……蛍光塗料か?」


 暗くなったために浮かび上がったのだろう――


「なるほど。あながち、画家が貴族を殺したという話も的外れではなさそうだな」


 夜、見慣れた娘の肖像画が突然こんなものに変わっていたら、先の私のように驚きのあまり取り乱すこともあるだろう。


 あいつの話によれば、貴族は夜な夜なこの絵画を眺めていたというから、この蛍光塗料が描かれた骸骨は後になって足されたものと考えるべきだろう。計画的な犯行だと言わざるを得ない。


「窓から身を投げたヤツもいたらしいが、案外それもこれに驚いたせいかもしれないな」


 ……よくよく見てみると、髑髏の眼窩にも細工がされているようだ。火を近づけてみれば、その光を反射する。


「ガラスか、それに近いものか」


 そういえば、目が動いたように見えたことがあった。それもこの細工によるものだろう。私が見る角度を変えると、骸骨に下に描かれた娘の瞳がこちらを追いかけるように動く――追視というやつだ。


「なるほどな……」


 これは、面白い。これなら確かに、錬金術師でもあったという画家が何かしらの暗号を忍ばせたと言われるのも納得だ。他にも何か仕込みがあるかもしれない。


「……うまくすれば、見物料をとれるかもしれない……」


 絵に燭台を近づけながら、じっくりと観察する。


 しかし、それにしても――ドレス姿の骸骨、血に濡れたようなナイフ、溶けた人の姿のように見えるロウソク――こうしてじっくり眺めてみると、背景がひどく不気味で、なんだか不安をあおられる。


 顔を近づけたせいか、顔料らしき匂いが鼻をついた。それがまた嫌な匂いで、思わず顔をしかめる。


 ……どうして私はこんなことをしているのだ。


 そもそも、これは持ち主が次々と不審な死を遂げるという、呪われた絵だそうじゃないか。お互いそんな迷信など信じないタチとはいえ、ここは異世界、魔法もあれば呪いも在り得るというのに――万が一もあるかもしれないというのに、どうしてあいつはこんな絵を私に任せたのか。


 ……まさか、あいつはその証明不可能な呪いを使って、私を殺そうというつもりなのか。


 いや、何を馬鹿なことを。しかし……たまに依頼があるとはいえ、今の私はヤツの稼ぎで食っているような身分だ。食い扶持を減らそうと考えても――仮に私がこの絵の呪いとやらで死んだとすれば、ヤツは嬉々として記事のネタにすることだろう――


 なぜだかだんだんと、腹が立ってきた。


 そんな折である。


「ふわぁあ……よく寝た。もうすっかり昼夜逆転してしまった。エリック、夕食の支度は出来てるかい――」


「私を馬鹿にするのも大概にしろ!」


 ちょうど姿を現したヤツに向かって、私は手にしていた燭台で殴りかかった。


「ちょっ……!? うおっ、いきなりご挨拶だな!?」


 燭台からロウソクが落ちる。床は幸い剝き出しの地面だ。火は燃え移ることなくかき消えた。


 暗闇の中、不意に私の眼球を強い痛みが襲った。鼻につく刺激臭。


「くっ……!?」


「危機一髪だ。危なかったな。……まさか、普段から冷静沈着でクールを装っている君がそこまで興奮するとは。いやはや……」


「な、んッ……にを……」


「気つけ薬だよ。万が一に備えて用意していたんだ。君の『催眠』を解くためにね」


 ……催眠、だと?


「あの絵に込められた『呪い』さ」




 ――バーミリオン。


「僕らの世界のそれはニセモノだけど、こっちでは本物のバーミリオンが現役だったみたいだ。いや、絵が描かれたのは数十年前のようだし、もしかすると今は使われていないかもだけどね」


 絵画に描かれた娘が着ていたドレス――鮮やかなオレンジがかった赤色。あの色の名が、朱色バーミリオン


「朱色とはもともと天然の顔料である『辰砂しんしゃ』の色を指す。バーミリオンっていうのは硫黄と水銀からつくられた人工顔料のことだけど――水銀には、毒性がある。つまり、この絵に使われている朱色の顔料には毒が含まれている可能性があるんだ」


 水で顔を洗い、多少落ち着きを取り戻した私に、ヤツは得意げに推理を披露する。


「この世界には電気がないからね。夜間の明かりはロウソクだ。その火を近づけたことによって、絵の表面の顔料が気化するなりして、その毒を吸ったことで死に至る……。僕はそういう仮説を立てていた」


「…………」


「辰砂とは水銀を含んだ鉱物で、中国では漢方などにも使われるらしい。その目的は鎮静効果や催眠……はてさて、この世界の『朱色の原料』がいったいどのような成分を有しているのかは定かではないけどね――例の画家は、錬金術師でもあった。鉱物などの扱いには詳しかっただろう。そしてその画家は、ともすれば貴族を殺害する目的で、この絵を仕上げた」


「……絵に毒が含まれている可能性は高い、ということか」


 それが、呪われた絵画の真相。


「加えていえば、この絵に含まれている、様々な暗示的モチーフ……死を想起させ、見るものの不安をあおるかのような意図を感じる。これに催眠効果が加われば……」


 ――たとえば、妻の浮気を疑った夫が無理心中をはかるなど――


「何か、良からぬことが起こる気がしないかい?」


 現に、私の身に起こった訳だが。


 そしてこいつは、その可能性を考慮した上で「気つけ薬」まで用意し、私に絵を……。


「私を馬鹿にするのも大概にしろよ……」


「ちょっ、とと、待ってくれよ、これはただの実験であってだね?」


「気つけ薬といえば、交感神経を刺激する興奮剤だったか。お陰で日も暮れているというのに神経が高ぶって仕方がない。おお、いいところにサンドバッグがあるな。こいつを殴って気を紛らせるとしよう」


「ちょちょっ、絵の毒がまだ効いてるのかな!? それは幻覚だ!」


「これから起こることはぜんぶ呪いのせいだ。それとも他に何か原因があるのか? であるなら早々に自供することをお勧めする」


「自白強要だ! これが名探偵のすることかー!」


 異世界からやってきた不審者が一人消えようと、誰も気には留めないだろう――


「そうだ、お前の連載している記事にこんなオチをつけてやろう――」


 ――呪いの真相を追っていた記者もまた、その犠牲者の一人となりました、とさ。


「最悪すぎるー!」



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異世界ミステリー:呪われた絵画連続不審死事件 人生 @hitoiki

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