おでん屋台の「電車通勤」小話
無頼 チャイ
電車通勤の奇跡。
よういらっしゃい。こんなしがないおでん屋台にいらすった。
さぁさぁ。本日は何にします。出汁が染みた大根? つやつやな玉子? 本日の変わり種、牛すじ?
まあどれも美味いからハズレはないけどな。アッハッハ。
ん? どうしたのお客さん。はぁ? 今朝電車で事故があって通勤が遅れたと。あー仕事が時間通り終わらなかったとかかな。それは残念だったね。でも、お客さん。ラッキーだったとも言えますよ。不謹慎だけど、ラッキーだったよ。
お客さんは、危険は隣合わせだという言葉に、どのくらい理解を深めてます?
鉄道の交通事故は、その年で800件程の事故があったとか。これを少ないと思うか、多いと思うか。それだけでもお客さんの危機感の度合いが分かると思いますよ。
おっと、すんませんお客さん。大根の煮え具合がちょっと甘かった。申し訳ないがもう少し待たせちゃいます。お詫びといったら何だけど、このうずらの玉子と、危機一髪な話しをしておきやす。
決まりも決まり、始まり文句はある日、繋ぎの言葉はとある場所。ある男の話でさ。
男は、お客さんと同じで朝早くの電車に乗り、終電ギリギリで帰ってました。流す涙も、来たる休日の喜びも、電車内に必ず落とす感情でした。
まあそんなこんなで、男にとって電車は心臓の次に大事な物だったんですよ。
これまたある日、いつもの通勤時。男は電車に向かいました。ホームの黄色い線には近寄らず、電車が顔を出すその時までじっと立ってます。スマホを見る者、少ない学生。大荷物の人。ホームってのは老若男女、人種も超えて交わる場所。顔馴染みになった知らぬ人から、全く知りもしない人物もいたんです。まあそのホームの代表が集まった感じでしょうね。いつものメンバーって響き、ちょっとかっこいいですよね。え? そうでもない? まあそこら辺は置いといて。
男は、電車が来て、扉が空いたから入ろうとしました。そりゃホームにいるんだ。乗らない奴はいない。ここは絶対ってやつですね。でも、男は最終的には乗らなかった。急な腹痛に襲われて入ることを止めたんです。一駅ぐらいならその男も乗ってたんでしょうけど、時間はかかるし揺れもある。しかも通勤ラッシュで人の林。腹の痛みだけで限界なんですから、そんなの耐えれはしないでしょう。
そう、男は電車を見送りました。不幸中の幸いは、早めに駅に来てたことでしょう。男にとってその日のアクシデントはそれだけでした。
けど、男はその後知るんです。危機一髪だったと。おっと下ネタで落ちませんよ。むしろ、ここからなんですから。
男は次の電車に乗って、運良く座席に乗った。嫌な上司を思い浮かべながらも順調に進む。途中までわね。
キィぃい。突然、緩やかに速度を下げた。たまにある電車の信号か、踏切事故か。そんな風に男は考えながらも、電車はすぐにまた発進すると考えてました。でも、全然動きません。乗客の何人かが苛立ち、男もそれに当てられてイライラしてきます。中には学校やら会社やらに電話する人も出てきます。でも、男はまだ動くと確信して会社にはまだ電話しません。男が何年会社に通勤してるかは分かりませんが、電車は動くもの、その考えがしっかりとあったそうです。
だから、男は驚きました。運転士らしき乗務員がやって来て「このあと〇〇駅に引き返します」と言ったから。
電車は時間を追うもので、追い越されるなんてことはない。きっちりとしたダイヤルに全幅の信頼があったのもあってか、男は間抜けな声を漏らしました。
電車が会社から遠ざかっていく。初めての経験に唖然とし、それでいて、初めて体調以外で会社に遅刻理由を伝える必要が出たんです。
男は会社に遅刻することを伝えました。けれど男は怒ります。何せ通勤に自信があったから、無遅刻ということはないが、男にとって電車に乗るのは会社に着いたも同じ、そのくらいの信頼があったんです。それを妨げた理由は一体なんだ。なぜ早めに家を出たのに遅刻しなきゃならんのだ。男はなんとしても電車が引き返す理由を知りたかった。他の乗客が騒いでいる。そりゃ普通じゃないことが起こってるんですから、静かには出来ないでしょう。そんで、便利なものでね。SNSで詳しい状況を知った人がいたんです。えっ、と口を抑える学生、厳しい顔をした社会人。
もしかしてさっき逃した電車が、次の駅で飛び降りた人でも追突したのか。
馬鹿者がいたもんだ。とブツクサ言いながらも男は調べるべきキーワードをSNSに打ち込んで真相を閲覧しました。
男は、息を飲みました。次の駅の名前は分かるし、自分が乗ってる鉄道が何線なんかも把握している。調べるのは容易でした。そして、真相もまた、容易に知れました。
男が腹痛で逃した電車内で、刃物を持った男が暴れて負傷者が出たんです。電車は一度停まったものの、乗客の正確な報告もあってすぐに動きます。次の駅とも連絡を取り、乗るはずの乗客を遠ざけ、警察や救急車を呼んでたんです。また、駅員も優秀だった。さつまたを持った駅員が乗客を逃がしながら犯人と対峙する。日頃の訓練がどう活きてるのかよく分かります。
犯人は一人、けどさつまたを持った駅員は複数います。無事に押さえつけました。また、電車内には担架もある。負傷者を運ぶのも手間取らなかった。
けれど、通勤者にはあまりにも長いドラマ。それが10分きりな訳が無い。1時間以上にもわたる大ドラマ。その線を使ってた大半は遅刻者ばかりだったでしょう。
男はこの事件をどう思ったと思います? 犯人が捕まったって安堵した? 仕事の時間を奪われたと激怒した? そこら辺は想像に任せますがね。この話しで確かなことがあります。
男は、危機一髪、事件を逃れたんです。
もしかしたら男に刺されていたかもしれない運命を、腹痛によって避けたんです。
え? オチ? う~ん。あるとしたら、男は電車通勤の人に優しくなったってことですかね。何せ電車は時間厳守の象徴、みたく思ってたお人ですから、その事件でいかに無事出勤出来てるのかありがたく思ったんでしょうね。
……お、大根が上手く煮えてますね。お待たせしました。あっつあつの大根と、からしです。どうぞお好みで使ってください。
ふむ、お酒ですかい。でもいいんです? お客さん電車でしょう? 酔っ払ってたら危ないですよ〜。歩いて帰れる距離だから大丈夫、と。ならまあ、ビールの一本でもいいでしょう。
でもお気をつけて。危険は常に憑き物。ですからね。アッハッハ。
おでん屋台の「電車通勤」小話 無頼 チャイ @186412274710
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