危機一髪を整えてくれる理髪店の話

四葉くらめ

危機一髪を整えてくれる理髪店の話


《理髪店 危機一髪》


「なんか、潰れる寸前みたいな名前だな……」

 ちょっと……いや、かなり入店に覚悟がいる店名だった。潰れる寸前でないというのなら、店長が樽にでも入ってその樽にはさみでも刺していくのを楽しむゲームにも見える。

 そもそも、こんなところに理髪店などあっただろうか。

 いつも行っていた散髪屋が潰れてしまい、代わりに近くで探してみたのだが、路地を奥まったところにいつの間にかこんな店があったのである。普段この辺りは通らないから、いつできたのか、そもそも最初からあったのかすら記憶が曖昧だった。

 外から見る感じ、明かりは点いているし、普通の理髪店(ちなみに散髪と理髪店の違いはよくわかっていないが)に見える。

 意を決してドアを開けるとカランカランとドアに付いた鐘が乾いた音を立てる。

 やっぱり中は普通だった。以前行っていた散髪屋と大差無い。小さなお店で、椅子は2つ。椅子の前には鏡と洗面台がある。

「いらっしゃい。おや、お客さん。初めてですね?」

「え、ええ」

 店主だと思しき人物がニコリと笑う。男性で、年齢は40代後半ぐらいだろうか。あまり顔に特徴がなくて、この店を出たらもう顔を忘れてしまいそうな、そんな顔をしていた。それほどに特徴がないはずなのに、その笑顔は独特で、薄ら寒さすら覚えてしまう。

「うちはね、髪もまあ切ってるんですがね、他のものも一緒に切るんですよ、いや、整えるって言った方がいいかな」

 ちょきんとハサミを動かす。

「ええっと、カット以外もやってるってことですか?」

「ああ、値段は特に変わらないのでご安心を。カットと、今言いました整える作業で合わせて2500円になります。もちろん、洗髪や髭剃りもセットですよ」

 別にさほど高いわけではなかった。前のところも似たようなものだったし。

「えーっと……、ちなみにその『整える』って、なにをするんですか?」

 店主の笑顔にやっぱり不安を誘われて、怖々と聞いた。


「……私の店はね、『危機一髪』を整えるんですよ」


 なんか……やばい店に来てしまった気がする。


   ◇◆◇◆◇◆


「お客さん、ずいぶん伸びてますねぇ。『危機一髪』が。いやぁ、来てくれて良かった。私、お役に立てて嬉しいです」

 なんだよ、危機一髪が伸びてるって! そんな言葉聞いたことがないぞ!

「あの……危機一髪って伸びるんすか?」

 正直この店主とはあまり話したくはなかったが、言われていることが不気味すぎて聞かないのも怖かった。

「伸びますとも! 目には見えないので皆さん放っておかれるんですが、伸びすぎるとね、いざってときに絡まってしまうんです。これが」

「危機一髪が?」

「ええ、危機一髪が」

 普段お客とはあまりしゃべらないのか、それともそもそもお客があまりこないのか、店主はやけに楽しそうに語る。

 たぶん、理由は後者の方だと思うけど。

「絡まるとどうなるんですか」

「お客さん、そもそも『危機一髪』ってなんで『髪』という字を使うのか、ご存じですか?」

 そういえばなんでだっけ? 昔、『ききいっぱつ』は『危機一』ではないので注意しろとは言われたものの、じゃあなんで『髪』という字を使うのかは知らなかった。

「髪の毛一本分の差で危機に陥るかもしれないから、『髪』という字を使っているのですよ。ですから、絡まると大変なのです。髪の毛一本も絡まれば危機にぶつかってしまいますから」

 わかるような、わからないような理屈だった。

「特に、危機というのはまあ意地の悪い輩でして、危機一髪が伸びて絡まりやすくなってる人のところに迫ってくることが多いのです」

 まるで危機が生きているような言い方である。それこそ、病気のことを悪魔とか怨霊とかそういう例えをしているような感じだった。

「じゃあ僕の危機一髪はどうでした? さっき、伸びてるって言ってましたけど」

「かなり絡まりやすい状態でした。今日にも明日にもなにか起こってもおかしくない状態でしたよ。でも、安心してください。ばっちり整えましたので、なにかあっても『危機一髪』。無事に乗り越えられますよ」

 そのあと、洗髪もしてくれた。洗髪は特に危機一髪とは関係無いようで、

「危機一髪がかゆところはございませんか~?」

「すみません。よくわからないです」

「はっはっはっ、これは危機一髪ジョークです!」

 という反応に困る会話があった程度だ。

 危機一髪ジョークってなんだよ……。

 笑いが得られなかったので、ジョークとして危機を脱せているかは正直微妙なところだった。


   ◇◆◇◆◇◆


 翌日。

「危ない!」

 その声に上を見上げるとなにかが太陽の光を遮った。

 鉄骨である。鉄骨が一本、上から落ちてくる。とっさのことに足が動かず、自分から避けることはできなかった。

 がしゃああん! と、大きな音が辺りに響き渡る。鉄骨は僕の目の前を落ちていき、アスファルトに叩きつけられていた。足下を見れば鉄骨は僕の足先すぐのところにある。それこそ髪の毛一本分の隙間しかないように見える。

 全身から冷や汗が出て、心臓はうるさいぐらいにバクバクと鳴っている。

『今日にも明日にもなにか起こってもおかしくない状態でしたよ』

 昨日、店主が言っていたことを思い出す。

 もしかして、昨日あの店に行ったから助かった?

 わからない。

 たまたまという可能性もある。そもそも未だに『危機一髪を整える』という意味もよくわかってない。

 だけど――。

「次に行ったときは、危機一髪ジョークにも付き合ってあげようかな……」

 そんなどこか間の抜けたことを、僕はつぶやいていた。


   〈了〉

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危機一髪を整えてくれる理髪店の話 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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