「ききいっぱつなオレのナニか」
地崎守 晶
ききいっぱつなオレのナニか
「ききいっぱつ」を「危機一発」と書き間違えて×をつけられたテストの答案。オレはぶすっとした顔でそれをランドセルに突っ込んだ。
この問題のせいで49点になったから、母ちゃんのつまんない言いつけ――ゲームは一日一時間――を守んなきゃいけない。
それがつまんなくて、せっかくテストが終わった金曜日なのにちっともうれしくない。騒いで教室を飛び出していくみんながうざったい。
だいたいなんなんだよ「危機一髪」って。なんで髪なんだよ。バクダンが爆発しそうな感じだし「一発」のほうがらしいじゃんか。ことわざなんか考えた昔の大人のせいでオレのランクマッチ一位がますます遠く……。
下を向いて、小石を蹴飛ばしながらとぼとぼ帰る。家についてテストを見せてガミガミ言われるのがイヤで、できるだけゆっくり歩いていった。歩道橋の階段を、高い山にでも登るみたいに一段一段。時間かせぎしたけれど、登り切るとそれもただのわるあがきで急に冷めた。
ランドセルを下ろしてフタを開けると、国語のテスト用紙を引っ張り出して紙飛行機にした。
「えいっ」
もうどうにでもなれ、と歩道橋の上から飛行機を放り投げ、その勢いのまま階段を駆け下りようと、反対側の階段に乱暴に足を踏み降ろす。
勢いに任せた俺は、その階段の途中に野球ボールが転がっているなんてちっとも気づかなかった。そう、オレのスニーカーがそれを勢いよく踏みつけるまで。
あっ、という間もなくぐるん、と目の前が回転した。真下の歩道が視界に飛び込み、背中でばかっ、っとランドセルの中身が宙に飛び出してく。
ふたを閉めずに背負ったのを思い出すのと、真っさかさまに近づいてくるアスファルトにまぶたをぎゅっと閉じるのが、いっしょだった。
もしかして、死ぬ……!?
固く目を閉じて……でも、痛みはいつまでたってもこなかった。その代わり、ふかふかもちもちしたおおきなものに顔が包まれていた。いい匂いが鼻いっぱいに広がって、息ができない。
「ふふ、まさしく危機一髪、やなあ」
頭の上からかけられた言葉に、ぷはっと顔をあげる。目の前、まっしろな髪にまっくろな瞳、テレビでも動画でも見たことないほどキレイな顔の女の人がオレを至近距離でのぞき込んでいた。その人のでっかいおっぱいに受け止められ、あかんぼみたいにだっこされて、オレの足はぷらぷらゆれていた。
「ふえ……!?」
「ふふ、かわいい反応するなあ坊や」
にこにこと笑うと、白い髪のお姉さんはそっとオレを下ろして、オレの鼻先を人差し指でちょんちょん、とつついた。
「あ、う、え……?」
足がふるえて心臓がバクバクしてるのは、死にかけた怖さのせいだけじゃない。下から見上げるお姉さんの唇がにっと釣り上がった姿が、今まで見た誰の笑顔よりもきれいで、見とれてしまったからだ。
お姉さんはかっこよくつきだしたおっぱいもすらっとした長い足も黒いパーカーとぴったりした黒いズボンで包んでいて、白い髪との差がめちゃくちゃ目に焼き付いた。
ガン見しているオレの目に気づいて、お姉さんはちろりと舌を出して、くちびるをなめた。背筋が、ぞくりとした。
このままだと、オレのなにかが、あぶない。
怖い気持ちと、なにか期待してしまっている気持ちがあった。
「ふふ、これで”危機一髪”はもう間違えへん、やろ?」
ところがお姉さんが笑って人さし指と中指にはさんで差し出してきたのは、オレが投げた紙飛行機……テストの答案。ちょうどつばさにしたところにオレが間違えた”危機一発”があった。
「は、はい……」
オレは両手で、その答案を受け取った。
なんていうか、ほっとしたような、残念なような。
自分がなにを期待していたのかもわかんないまま。
ぼうっと突っ立っていると、おねえさんはオレがまき散らした筆箱や教科書やノートをひょいひょい拾い集めて、オレの背中のランドセルに放り込む。
「ほれ、気をつけて帰るんやで」
かがんでオレの頭をなで、棒つきキャンディーを握らせると、お姉さんは手をひらひらさせてどこかへ行ってしまった。
その後、オレはほとんど自動操縦で家に帰った。
かあちゃんの説教もほとんど耳に入らず、味もよく分からずご飯を食べ、ゲームもせずにふとんに入る。熱っぽい頭の中から、あのお姉さんが離れない。
おれ――どうしちゃったんだろう。
少なくとも、これだけは分かった。
「危機一髪」って書くたびに、あの白と黒のおねえさんが頭に浮かぶことは、まちがいない。
「ききいっぱつなオレのナニか」 地崎守 晶 @kararu11
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