第3話

 ジュール様とマリィ様の婚約破棄は、こうして成立した。


 子爵家は「女装趣味の当主」「近親相姦」と噂が立ち、社交界からつまはじきにされるようになる。

 当の子爵家は、それどころではなかったようだ。というのも、婚約破棄の慰謝料が多額だったので、それを用意するために奔走していたからだ。


 ジュール様は何度もマリィ様に泣いてすがったそうだが、なぜかマリィ様にすべて無視されるので、困惑していたらしい。

 結局、子爵家はお金を用意することができずに没落する。

 ジュール様とアドルフ様は借金返済のため、鉱山に行くことになった。

 なぜかその鉱山にドレスが一着だけ届いていたので、アドルフ様は困惑していたそうだ。のちにシリル様が渋い顔で、「せめてもの情けだ……」と言っていたのを、僕は耳にした。




 さて、僕が何でこんなに後日談に詳しいのかと言いますと。


「その……お話したいことって、何でしょうか?」


 僕は後日、ティロル家に呼び出されていた。

 そこでサロンに通され、紅茶を振る舞われる。向かいの席にはマリィ様が座っていて、優雅にカップを持ち上げていた。


 僕は子爵家が潰れてしまったので、今は無職だ。早いところ新しい仕事を見つけなくちゃいけない。


「ロイクさんに実はお願いがありまして。よろしければ、今後はわたくしの家で働いてくれませんか?」

「え……」


 突然の申し出に僕は目を見張る。


「とてもありがたいお話ですが……僕は粗忽者ですので。きっとマリィ様がご期待されるほどの働きはできませんよ?」

「ふふ……おもしろいことを言うのですね」


 マリィ様は口元に手を当てて、小さく笑う。

 そして、カップをソーサーに戻した。


「だって、ロイクさん。パーティ会場でのあれは……全部、|わざと(・・・)でしょう?」

「……え」


 僕は唖然とする。

 マリィ様はおっとりとした小動物のようなご令嬢だ。


 ――今までそう思っていた。


 しかし、彼女の瞳に宿る、聡い光に僕は気付いた。


 ああ、そうか。彼女の本性はきっと……『か弱いだけのご令嬢』ではないのだ。

 そのことを嬉しく思って、僕の心臓がとくんと鳴る。

 だって、『初恋の人』の新たな一面を知ることができたから。



 ◇


 僕が初めてマリィ様に出会ったのは、お互いが9歳の時だった。

 マリィ様とジュール様の婚約が決まって、彼女は子爵家に遊びに来ていた。

 その時、僕はうっかり転んで、屋敷のツボを割ってしまった。僕はジュール様に散々、嫌味を言われていた。

 その時、マリィ様はおっとりとした口調で言ったのだ。


『まあ、見て。ジュール様。とても綺麗な夕日ですよ』


 のんびりとした口ぶりに、ジュール様は毒気を抜かれたようだった。彼は僕を叱るのをやめて、マリィ様と話し始めた。

 すると、マリィ様は僕の方をちらりと見て、優しくほほ笑んだのだ。


 ――彼女は僕を庇うために、わざと話を逸らしたのだ、ということに僕は後から気付いた。


 それからはミュッセ家でマリィ様を見かける度に、僕の目は彼女を追いかけるようになった。

 美しくか弱い容姿も、おっとりとした口ぶりも、そのすべてに僕は惹かれた。

 僕はずっと彼女を見続けていた。

 だから、ジュール様がマリィ様をないがしろにしていることにもすぐに気付いた。


 彼はマリィ様をお茶会に誘っておきながら、男爵家の令嬢と裏でいちゃついていた。マリィ様との約束は、平気ですっぽかしていたのだ。いつも時間になっても現れないジュール様を、彼女は寂しそうに待ち続けていた。

 だから、僕はジュール様が彼女に向けて書いた手紙を、うっかりを装って、わざと紛失するようにした。そうすれば、マリィ様が悲しい思いをしなくて済むと思った。


 卒業パーティでジュール様が、婚約破棄を告げる予定でいることも知っていた。彼の浮気相手である男爵令嬢が、そう吹聴していることを耳にしたからだ。


 僕はまたうっかりを装って、ジュール様に紅茶を零した。臆病なジュール様なら、きっとこれ幸いと僕に代理を押し付けてくるだろうと踏んでいた。そして僕はパーティ会場で、マリィ様にとって有利な条件で婚約を破棄できるように、わざと口を滑らせたのだ。


 ジュール様は僕のドジが『すべてわざとである』ことに最後まで気付かなかった。本当にドジを踏んだのは、ツボを壊した初めの1回だけだったのに。そのイメージにずっと引きずられて、彼は僕のことを『粗忽者』であると信じてやまなかった。


 ずっとそばにいたジュール様でさえ、僕の本性には気付かなかったのだ。

 それなのに……。


「マリィ様……」


 僕の些細な企みが、マリィ様にはばれていたなんて。


 僕は唖然として彼女の顔を見返す。

 すると、彼女は数年前と同じように――


 僕が彼女に見惚れるきっかけとなる、あの優しい笑顔を浮かべているのだった。




終わり


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婚約破棄を代理ですることになりました 村沢黒音 @kurone629

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