第3話

「え、もう分かっちゃったの? 密室殺人なのに」


 クリスピーサンドの破片をポロポロ溢しながら、エリは不満の声を上げる。彼女は“ちゃー爺”が困り果てた所にヒントを出して、助手のポジションに収まりたいのだ。無論、ヒントは持っておらず、そのシチュエーションを夢見ているだけに過ぎないが。


 とはいえ、ここに来てから30分も経たずに解決とは、流石に早すぎる。もし間違えていたら大いに笑ってやればいい。そう気持ちを切り替えて、老人と不破にコンビニコーヒーのプラカップを渡した。


「なに、そう難しい話じゃない……ふむ、このコーヒーは割と


 アイスコーヒーを一口啜ると、喉が乾いていた事を思い出してもう一口。ガムシロップとミルクは無しが良かったが、エリの気遣いに免じて口にはしなかった。


「昨夜、三上さんが帰宅してからこの相田さんが開けるまで、この部屋は密室だった」


 初夏とはいえ蒸し暑い日が続いている。部屋はもちろんキッチンの窓も締め切ってエアコンを使って部屋を冷やし、換気はユニットバスの換気扇のみだった。


「三上さんは、部屋の匂いに悩んでいなかったかな?」

「少し待って下さい」

「良かろう。確認しても恐らく結論は変わらないが、裏付けは大いに越した事はない」


 不破はスマホを取り出して、どこかへ短くメッセージを打つ。相田はそわそわと汗を拭き、エリは手に持ったレジ袋から次のアイスを取り出した。


「死因は一酸化炭素中毒。最近の建物は防音や保温性を高めるために気密性が高い」


 そこに一酸化炭素を流し込んでやれば、空気と同じ比重の気体は自然に排出されずに室内に貯まる。

 彼女が眠った頃合いを見計らってガスを流し、ある程度の時間が経ったらガスを止める。

 それで気の毒な三上さんは、永遠に目覚める事はない。


「どこからガスを?」

「排水管だ」


 住宅に限らず、大抵の排水、汚水管にはS字トラップという部分がある。S字に湾曲した配管に水が溜まり、下水管の臭気や害虫が室内に入り込むのを防ぐための物だが、この水は放置をすれば自然に蒸発していく。


「三上さんには、自炊の習慣がなかったようだ。キッチンのシンクには冷凍食品の容器が洗われずに置いてあって、つまり普段は水を使っていない」


 容器はソースや調味料が乾燥したまま、その数からして恐らく最低でも二週間は放置されている。S字トラップに溜まった水は蒸発して、そこから悪臭が室内に上がってくる。


「彼女はゴミが臭うと思っただろう。換気扇を回していたのは、その臭いを追い出すためだ」


 しかし、それは逆効果だった。換気扇の吸い出す力は思うよりも強い。陰圧が働けばシンクの排水口から上がる臭気はさらに強くなる。彼女にはそれを知る術はなかったが、犯人はそれを利用した。

 下水管に一酸化炭素を流せば、他の部屋には被害を出さず、202号室にだけガスを送り込める。


 彼女が帰宅して就寝したのは、明かりを見れば一目瞭然。そのタイミングでガスを流して、念の為に数時間は流し続ける。ガスを止めれば、後は換気扇が一酸化炭素を排出するという仕組みだ。


「連絡が来ました。同僚の話によれば、確かに三上は部屋の臭いに困っていたそうです」

「でもさ、肝心の一酸化炭素はどうやって?」

「自動車の排気ガスだ。そうだろ? 相田さん」


 そう水を向けられた相田は、下を向いて体を震わせている。蒸し暑さが原因だった汗は、今はハッキリと緊張とストレスからくる冷や汗に変わっていた。

 下を向いたまま黙して語らない相田に向かって“ちゃー爺”は言葉を続ける。不破はさり気なく、相田の逃走を防ぐ位置に体をずらした。


「隣のコンビニは国道に面していて、車の出入りは一晩中途切れないだろう。それとは逆に、広い駐車場の済に一晩中停まった車に注意を払う者はない」


 アパートの裏手でエンジンをアイドリングさせ、マフラーからホースを繋げて下水管に接続する。

 伸び始めた夏草は除草剤で処理されて、建物から下水の本管に至るまでをメンテナンスするための掃除口はすぐに見つかるだろう。

 直径15cm程度の穴にホースを挿し込み、漏れを防ぐためには粘土のような物で封をする。


「コンビニの防犯カメラの録画を見れば、それらしい車はすぐに分かる。だがそんな手間を掛けなくても、この殺人を行ったのはあんただよ」


 “ちゃー爺”の目がぎょろりと動き、たじろいだ相田の肩を不破が掴んだ。エリは黙って、ソーダ味の当たり付きアイスをパキリとかじった。


「今朝になって最初にこの部屋に入ったのはあんただ。カラッカラの弁当が積み上がったシンクに、水を流した跡があったのは、S字トラップが一酸化炭素の入口だと隠したかったんだろう?」


 やぶ蛇だったな。もっと上手くやられていたら、犯人候補は絞れなかった。もっとも、車の使用者を割り出すまでの時間稼ぎに過ぎんがね。


 膝をついた相田の右目に、アイスの棒が突き刺さった。午後のベッドタウンに響いた悲鳴はすぐに途切れた。這いつくばった相田の背中に、不破がスタンガンを当てていた。



£



「エリ、あまりこの世界に首を突っ込むな」


 三上やす子とアパート管理人の相田は、行方不明として処理される。

 車の外ではスマホを持った不破が、各方面に手配をしている。空調の効いた車内でそうしないのは、ふたりの話を邪魔しないための配慮だった。


 頬杖をついたエリは“ちゃー爺”の方を見ようとしない。他人の目をアイスの棒でえぐった割に、平然として取り乱した様子もない。


「突っ込むなは今更だよ。生まれた時からあたしはにいるんだよ」


 親父が死ねば次は自分が組を継ぐのだ。特に覚悟も必要とせず、エリはそう自覚している。

 いつまでも「お嬢さん」ではいられない。身内からも他人からも、舐められてしまえば組は立ち行かず、こちらが平穏を望んでいても跳ねっ返りは現れるし、人の気持ちも考えずに、場を乱す者は必ず出てくる。


「別にあたしは、血を見るのが好きな異常者じゃないし、暴力で部下を支配しようなんて思わない」


 だが、いちいち法に頼らなければ、けじめのひとつも着けられないのでは、この世界ではやっていけない。


「だからね、ちゃー爺。あたしの心配はしなくていいよ。でも……」


 あたしが何か困ったら、手伝ってよね。


「ふん……小娘が悟ったような口を効くな」

「でも、間違ってるとは言わないんじゃん」

「それで年寄をやり込めたつもりか、無礼な娘だ」


 手配を終えた不破が運転席のドアを開けると、話はそこで終わりになった。すでに時刻は夕方に近く、わずかに暑さも和らいでいる。

 エリは車のウィンドウを開き、排ガス混じりの外気を胸一杯に深呼吸した。


「God Save The Queen」


 流れる車列を眺める老探偵は、口の中でそうつぶやいた。

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探偵“ちゃー爺”とエリ マコンデ中佐 @Nichol

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