兄が死んだ理由

碧絃(aoi)

兄が死んだ理由

 同じ会社で働いている40代の涼太りょうたさんは、子供の頃にお兄さんを亡くしているのだという。


「子供の頃っていうと、病気か何かで?」


 僕が訊くと涼太さんは、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。


「病気じゃない……。聞きたいか? 後で後悔するかも知れないぞ」


 そう言いながら、僕の隣の席へ座る。


 まだ仕事が残っているし、そんなに興味はないけれど、わざわざ椅子に座ったということは、聞いてほしいのだろう。


「どうして亡くなったんですか?」


 僕が言うと涼太さんは「誰にも言うなよ」と前置きをしてから話し始めた。




 彼から聞いたのは、こんな話だ。


 小学3年生の夏休み。涼太さんは、初めて祖母の家に行った。


 祖母の家は信号機もないような田舎にあり、都会で生まれ育った涼太さんにとっては、見るもの全てが珍しいものばかりだ。2歳年上の兄と一緒に虫取り網を持って、走り回る。


 そしてトンボを追いかけて家の裏へ行くと、井戸と小さな祠が目に入った。


「兄ちゃん、井戸があるよ」


 涼太さんが言うと、すぐに兄が走ってきた。


「すごいな、本物だ。テレビで見たのと同じだな」


 2人は井戸をのぞき込もうとした。水があるかどうかを確かめたかったのだ。


 すると「こらっ!」としわがれた声が飛んできた。驚いた涼太さんが振り向くと、眉を吊り上げた祖母が立っている。


「その井戸には近づくんじゃない!」


 祖母は、涼太さんと兄の腕を引っ張って、井戸から引き離す。その力があまりにも強かったので、涼太さんは戸惑った。


「別に落ちやしないよ。もう小学生なんだから」


 兄が面倒くさそうに言うと、祖母は首を横に振った。


「そうじゃない。大昔のことだけど、この家は武家のお屋敷だったんだよ。その時に高価な花瓶を割ってしまった女中さんが、この井戸に放り込まれて死んだらしくてね。それからは、この井戸に近づくと、悪いことが起こるようになったんだ。たたりだよ。だから、この井戸には近づいちゃいけない。分かったね?」


 祖母はそう言って、家の中へ入って行った。


「祟りだってさ」


 兄は馬鹿にしたように笑った。


 たしかに『祟り』なんて、昔話の中でしか聞いたことがない。涼太さんも信じてはいなかったが、祖母が近づくなと言うので、別の場所で遊ぼうとした。また怒鳴られるのは嫌だ。すると——。


「お化けなんか、いるわけがないだろ」


 兄は祠の横に植えてあった菊の花を蹴り飛ばした。


「あぁっ!」涼太さんが思わず声を漏らしたのと同時に、手のひらよりも大きな菊の花は、宙を舞う。そして、ぼとりと音を立てて、地面に落ちてしまった。


「あっ! やばい、怒られる」


 兄は笑い声を上げながら走って行く。涼太さんも後を追うが、祖母が言った『祟り』という言葉が脳裏に浮かんで不安になった。


 兄が言った通り、祟りなんてあるわけがないとは思うけれど、菊の花が地面に落ちた時の、ぼとり、と足元に響いてくるようなあの音が、やけに頭の中に残っていた。




 その日の夕方。買い物に出かけた母と兄を待っていると、父の携帯電話が鳴った。その電話の相手は母のようだが、話をしている内に、父の顔はどんどん色を失っていく。その様子を見ていた涼太さんは嫌な胸騒ぎを感じた。


 ——もしかすると、兄ちゃんに何かあったのかも知れない。


 そう考えながら待っていると、電話を終えた父が涼太さんの前に座った。


「あのな、お兄ちゃんが、事故にあったみたいなんだ……。今から、病院へ行こう」


 父は涙ぐんでいる。初めて父の涙を見た涼太さんは、大変なことが起こったのだと思った。




 涼太さんと父が病院へ着くと、母が廊下で泣いていた。父が話しかけても母は泣いているだけで、何も答えない。


 ——兄ちゃんはどこにいるんだろう……。


 涼太さんが廊下の先を見ていると、先生が歩いてきた。


「息子にあわせてください」


 父が言うと、なぜか先生は「見ない方がいい」と言う。小学3年生の涼太さんには難しい言葉は分からなかったが、兄は転んだところを車にかれたようだ。首を轢かれたせいで、胴と頭が離れてしまったのだと先生は言った。


「頭……?」


 話を聞いていた涼太さんは、地面に落ちた菊の花を思い出した。


 ——もしかすると、おばあちゃんが言っていた祟りなのかも知れない……。


 そう思ったが、兄が祠の横に植えてあった菊の花を蹴り飛ばしたことは言えなかった。口に出すと、得体の知れない恐ろしいものが、自分へ近寄ってきそうな気がしたのだ。


 涼太さんは祖母の家へ戻っても、口を開かなかった。自分さえ黙っていれば、兄が死んだのは、ただの事故で終わる。祖母の家にも、もう二度と来ない。涼太さんは誰とも目を合わせないようにして、部屋の隅でひざを抱えてうつむいていた。


 すると突然「こっちへ来い!」と強い力で腕を引っ張られた。驚いて見上げると、鬼のような形相をした祖母が立っている。祖母は涼太さんの腕を掴んだまま外に出て、家の裏に向かって歩いて行った。


 ——そっちには行きたくないんだ。


 涼太さんの思いとは裏腹に、祖母が向かったのは、あの井戸だ。


「ここで何をしたんだ!」


 井戸の前に着くと、祖母は涼太さんを怒鳴りつけた。それでも黙っていると、


「お前たちが悪いことをしたのは分かってるんだ。見なさい!」


 祖母は井戸を指差しながら、涼太さんの背中を押す。兄が蹴り飛ばした菊の花があるのだろうか。それなら見たくはないが、見ないと祖母は納得しないだろう。


 ——井戸を見れば、家の中に戻ってもいいんだよね。


 花があっても知らないふりをすればいいだけ。そう考えながら顔を上げると——。


「うわっ……!」 


 涼太さんは、思わずその場に尻餅をついてしまった。井戸には顔のように見える石がいくつかあり、その中の1つは、死んだ兄によく似ていたのだという——。




「それって、本当の話ですか?」


 作り話だと思った僕は訊いた。『祟り』の話はよく聞くけれど、あまりにも出来すぎた話だ。


 すると涼太さんは「どっちだと思う?」と小馬鹿にしているような、うす笑いを浮かべた。


 笑うということは、やはり作り話なのだろう。まだ仕事が残っていた僕は、作業に戻ることにした。これ以上付き合っていたら、帰るのが遅くなってしまう。


「終わったなら、早く帰ったらどうですか」


 僕が言うと、涼太さんは笑いながら立ち上がり、事務所の出口へ向かった。


 ——こっちはまだ仕事が終わっていないのに、暇つぶしに付き合わせないでくれよな。


 思わずため息が出た。作り話を聞くために、随分と時間をとられてしまったのだ。


 僕がまた作業を始めると「なぁ、」と涼太さんに声をかけられた。


「さっきの話さぁ、どっちだと思う?」


 また同じことを訊いた涼太さんの顔に笑みはない。


「え……?」


 僕が答えられずにいると、涼太さんはそれ以上は何も言わずに、無表情のままで帰って行った。




 あの話は本当のことなのか、作り話なのか。どうしても気になり、数日後にもう一度尋ねると、涼太さんはなぜか怯えたような目つきをして僕を見た。


「その話は誰にも言ってないのに、なんで知ってるんだ……?」


 見るからに蒼ざめた顔をしていて、揶揄からかっているようには見えなかった。話をしたことすらも覚えていないようだ。


 ——そういえば何日か前に、涼太さんが熱を出して休んだって聞いたな。


 ふと思い出してタイムカードを確認すると、涼太さんが休んでいたのは、お兄さんが亡くなった理由を話していた日だった。


 熱を出して休んでいた人が、僕を揶揄う為だけに、わざわざ会社へ来たとでもいうのだろうか。何度考えても釈然しゃくぜんとしないものの、確かめる術はないので、考えないようにしている——。



〈了〉

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