わたしのポイント手帳

鳥尾巻

ポイント還元

 新しいノートのページを開く。子どもの頃からずっと続けてきた習慣。ただのストレス発散。

 最近ストレス性の蕁麻疹がひどい。ページをめくる左手の手首の内側に、ふわりと浮かんだ淡い皮膚の盛り上がりを無意識に掻く。蕁麻疹は掻いたらダメなんだって分かってるけど、痒くて我慢できない。


 きっかけは些細な事だった。私の足が遅いとか、髪型が変だとか、そんなことをイジッてきた同級生の名前を秘密のノートに書いた。先生に言いつける程でもなく、地味な嫌がらせは続き、あの時もストレス性の蕁麻疹がひどくなった。

 鬱々とした毎日を過ごすうちに、ふと思いついて、しつこく嫌なことを言ってくる彼女の癖や言葉を書き、それを1日のうちどれだけ繰り返すのか、された数だけ赤ペンで♡ポイントを描き込むようになった。

 1ヶ月で100ポイント貯まる頃には、不思議なことに彼女の方が体調を崩して入院してしまった。同情するクラスメイトや先生とは裏腹に、その時私はいじめっ子がいなくなったことをコッソリ喜んでいた。蕁麻疹は跡形もなく消えた。


 紙面に書かれた名前を眺める。モラハラ夫、子どもの学校の嫌な先生、面倒なPTAのママ友、パワハラセクハラ気質の上司、ネチネチと嫌味っぽい同僚、あることないこと言い触らす近所の噂好きなおばさん。

 

 ただのストレス発散だ。ポイントが貯まったからって何か起きる訳もない。ただ私が心の中でこっそり留飲を下げたいだけ。せいぜい頭の中で「ポイント還元です!」と叫びながらタコ殴りにするくらいかしら。我ながら地味で陰湿な発想だ。


 思いつくまま書いて、今日のポイントを足していく。一番初めにポイントが貯まりきるのは誰だろう。今は1000ポイントに設定してあるから、一番近いのは、毎日生活を共にしている夫かもしれない。今日は夕飯の時に箸を用意するのを忘れ「俺に手で食べろっていうのか?」と、食事の間中くどくど文句を言われた。うっかりしていた私が悪いらしい。

 常に完璧に。埃1つない部屋、清潔で手入れの行き届いた衣服、子どもの躾、栄養バランスと味を兼ね備えた料理。細心の注意を払っていても、どこで機嫌を損ねるか分からない。以前機嫌を損ねたら、何日も口を利かず、生活に必要な通帳も取り上げられた。子どもの為にもそんな事態は避けたい。


 それにしても手首が痒い。無意識に掻き毟ってしまったせいか、蕁麻疹は肘の方まで広がり、ところどころ赤い血が滲んでいる。皮膚の下で何かが蠢くような不快感と掻痒感そうようかん。まだ広がるかも。イヤだな。

 気管にも広がって死亡した例もあるってお医者さんが言ってたっけ。あの先生も脅すようなことばかり言うからイヤ。でもかかりつけだし、今さら転院するのもめんどくさい。そうだ、先生の分も♡描いちゃおう。

 明日仕事帰りに病院に行って薬を処方してもらおう。遅くなるから文句を言われないように、朝早く起きて夕飯の仕込みもしておこう。

 私はノートについてしまった血のシミを擦り、薄くなったそれの上に赤いフエルトペンで♡を描く。無心に作業しているうちに心が落ち着いてくる。一通り書き終えて、見つからないように、本棚の間にノートを隠す。今日はもう寝よう。


 ああ、痒い。ほんと痒い。痒い。痒い、痒い。なんだか全身を足のいっぱいある虫が這いまわっているみたい。浅い眠りの中で、何度も寝返りを打ちながら「ポイント還元でーす」と笑いながら夫をハンマーでタコ殴りにする夢を見た。


 翌朝の目覚めはスッキリしていた。夜中に掻いてしまったらしい手首や爪の先に血が滲んでいる。蕁麻疹も少し引いたみたい。

 でもちょっと掻きすぎちゃったかな。指先も手の平も真っ赤に染まっている。やっぱりちゃんと病院に行かなきゃ。

 私は洗面所でゆっくり手を洗い、寝室のカーテンを開け、差し込む朝陽を浴びて少し微笑んだ。


 さあ、今日も1日が始まる。

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