つぶやきは終わりの始まり

あそうぎ零(阿僧祇 零)

つぶやきは終わりの始まり

 男の顔に被せられていた黒色の布袋が外された。

 100mくらい先には、大人の胸くらいの高さの柵が設けられていて、大勢の見物人が柵の向う側に張り付くようにしてこちらを見ている。

 さっきから、彼らがわめく声は耳に入っていた。大勢の声が混じり合って、意味が聞き取れないが、何を喚いているのかは察しがついた。

<声の限り喚かないと、今度はおのれがこっちに来る羽目になるからな……>


 見上げる空には雲一つなく、抜けるように青い。初夏の心地よい風が、男の頬を撫でていく。

<本日は晴天なり……か。ふん、上等じゃねぇか>

 両手を後に回すようにして柱に縛り付けられているのだが、縛り方がきついため、てのひらの感覚が麻痺してきた。右手指が3本、左手指が2本、骨が折られていたから、麻痺してくれた方がありがたい。

 しかし、棍棒で滅多打ちにされた上半身の打撲傷や、殴られて腫れ上がった顎の痛みは、そうはいかない。もっとも、それらの痛みに耐えなければならないのも、あと少しの間ではあるが。


 柵の前に置かれた椅子には、軍服・軍帽姿の将校たちが10人ほど座っている。そのうち一人が立ち上がり、ハンドスピーカーを使って、何やら喚き始めた。

「売国奴……、人民の敵……、『至高のお方』……、英邁なる……、女将軍おんなしょうぐん様、侮辱……、敵国……、間諜かんちょう(スパイ)、国家の転覆……、反逆罪……」

<あいつらのいうことは、なぜこうも陳腐なのだろう?>

 将校が男の罪状を挙げるたびに、見物人の発する罵声が、吶喊とっかん(突撃時に叫ぶときの声)のようにどよもした。しかも、ますますボルテージが上がっていく。


 罵声が最高潮に達した時、将校の声が止んだ。それと同時に、見物人たちの罵声も、ピタリと止んだ。

 男のずっと先、柵の前には大砲らしきものが置かれている。それを取りまく数人の兵の動きが、にわかに慌ただしくなった。

<俺ひとりに、榴弾砲りゅうだんほう。これも近衛兵の特権か? 光栄だぜ。さあ、来やがれ! 豚野郎やろうの一族に死を!>

 ただ、あの少女だけは、それほど邪悪な者とも思えなかったから、呪詛じゅその対象から外した。


 将校が指揮棒で大砲を指して何やら絶叫すると、砲口が一閃した。

 しかし、男が榴弾砲の轟音を耳にすることはなかった。


【2日前】

 男は、憲兵隊の兵に引き立てられて、法廷に入った。出廷するのは、これが初めてだった。

 法廷には検事も弁護人もおらず、一段高い裁判官席に、将校が一人座っていた。

 男は、裁判官の前に立たされた。

 裁判官は、男を見ることもせず、書類に目をやった。そして、ひどく事務的な口調で、判決を言い渡した。

「至高のお方及びその神聖なるご家族様を侮辱した罪、国家反逆罪、敵国と通じた罪、間諜の罪、兵隊を扇動した罪——、により死刑に処す」

 刑の宣告を終えると、裁判官はそそくさと退廷していった。


【3日前】

 肉体的苦痛に耐える自信があった男も、ついに音を上げてしまった。

 憲兵隊による拷問のすさまじさについては、以前から耳にしていた。この国では、物理的あるいは心理的な拷問の技術が、異様な進化を遂げている。

 憲兵隊内部に設置された「特殊技術研究所」は、より効果的で洗練された拷問技術の開発に余念がない。古今東西の拷問に関する歴史研究も盛んであり、古いところでは古代のエジプトや中国、あるいは、中世の欧州における「魔女」に対する拷問も研究対象だった。

 一方、一種の特権階級である憲兵隊においては、至高のお方の尊厳を毀損する者に対して何でも許された。それは、懲罰と矯正に名を借りた、私刑の横行に繋がった。女性容疑者に対する性的暴力は日常茶飯事であり、男女を問わず、訳もなく暴行されたり、満足な食事を与えられなかったり、いわれのない辱めを受けたりした。だから、勾留こうりゅう中に死亡する被疑者は、後を絶たなかった。


 男は、体力にはいささか自信があったし、大概の苦痛にも耐えられると思っていた。しかし、睡眠の遮断、強烈な光の照射、繰り返される殴打、水責め、電気ショック、薬物、そして家族を引き合いに出しての心理的圧迫など、憲兵隊の多彩な拷問技術の前では、ひとたまりもなかった。

 ついに、自分が犯した「諸々もろもろの恥知らずで重大な罪」を、ひとつ残らず認めるしかなかった。

 諸々の罪は、始まりとなったごく小さな「つぶやき」を種として発芽し、成長し、たちまち大きく枝葉を繫らせた。それらの枝葉には本来、実体がなかった。しかし、いったん枝葉が繁った以上、後戻り出来るはずもなかった。それは、まさしく実体と化すのだ。


【4日前】

 午後9時過ぎ、男は、兵舎内の自分のベッドに寝転がって、ぼんやりと天井を見つめていた。

 今日は分列行進の訓練を一日中やらせられて、くたくただった。足を伸ばしたまま前に高く上げるスタイルの行進で、足を上げる角度や速さ、担った小銃の位置や向き、隊列の乱れのなさ、いっせいに頭右かしらみぎをするタイミングなどが、少しでも違うとやり直しさせられた。それも、数えきれないくらい何回も。

 いつまでも上手く出来ない兵は下士官らに殴られたが、男は幸いなことに目を付けられずに済んだ。


 すると突然、憲兵の腕章を付けた下士官ひとりと兵4人が、靴音を立てて兵舎に入って来た。

 下士官が男の名前を呼び、すぐに来いという。男は、何のことやら分からないまま、憲兵の前に走っていった。

「至高のお方及びその神聖なるご家族様を侮辱した罪で、お前を逮捕する!」

 下士官が叫ぶと、憲兵兵たちが男を取り押さえ、部屋から引き摺り出した。

「何かの間違いです! 身に覚えはありません」

 男は、本当に身に覚えがなかった。

「つべこべ言うな。証拠は挙がっている。をきるのもいいだろう。お前の体に訊いてみるだけのことだ」

 

 男は、駐屯地内にある憲兵隊分駐所に連行され、勾留こうりゅう室に入れられた。三面が壁で、正面に鉄格子が嵌まっている10㎡足らずの空間で、床に開けられた排泄用の穴以外には何もない。

<何だ? 至高のお方への侮辱とは?>

 いくら考えても、思い当たるふしはなかった。


 逮捕されてから1時間くらい後に、憲兵下士官が勾留室の前に来た。

「明日、取り調べを行う。くれぐれも言っておくが、我々を手こずらせるなよ。素直に自白した方が身のためだ」

「いったい、自分が何をしたというんですか? 自分の容疑は何か、具体的に教えて下さい」

「そんな態度では、取り調べが思いやられるな。貴様のようなクズに、時間をかけている暇はないんだ。自分から素直に自白しないと、罪を重ねることになる。それを忘れるな」

「黙秘権があるはずです」

「なにー、黙秘権だと? お前、そんな知識をどこで仕入れた? さては、敵対する外国勢力と、密かに通じておるな」

「いえ、そんなことは絶対にありません。せめて、罪状くらい教えて下さい!」

「馬鹿野郎! 売国奴が生意気な口を叩くな。お前、女将軍様を侮辱したろ? 言えるのはそれだけだ。お前が心から罪を悔いているなら、自分から進んで白状するはずだ。明日が楽しみだよ」

 下士官は、去っていった。


<女将軍様を侮辱しただと?>

 男は、勾留室の床の上で膝を抱えながら、下士官が言い残した言葉を反芻した。

<あっ! あれか⁈>

 男の体が、ぶるっと震えた。夜の冷え込みのためだけではなかった。

<ちくしょう。密告しやがったのは誰だ?>

 この国では、密告が大いに推奨されていた。家族間や友人間であっても、例外ではなかった。密告しないで見過ごしたことが発覚したり密告されたりしたら、これまた酷いことになるのだった。

<俺がつい呟いたのを、誰か周りの奴が聞いて、密告しやがったんだ。あの時、周りにいたのは……>

 男は、あの時自分の前後左右、斜めに誰がいたか、思い出そうとした。しかし、たとえ思い出せても、それに何の意味があるというのか。

<あれは、つい魔がさしたとしか言いようがない。それは素直に認めよう。たった一言の呟きじゃないか。ひょっとして、憲兵も分かってくれるかもしれない……>

 いつの間にか男は、寒々とした床の上に横たわって、眠り込んでいた。むろん、寝具などはない。


【5日前】

 男は、近衛師団に所属する二等兵だ。

 この国では、国民は5つの「要素」に分かれていて、要素には第1から第5までの序列がある。要素は、親から子に引き継がれ、変わることはない。要素を遡ると、建国の契機となった「革命」に行きつく。もっとも、その革命は一種の神話であって、史実とは違う。しかし、この国では、ほんの少しの疑いさえ持つことが許されない、絶対的な史実なのだ。

 近衛師団に属する将兵は全員、第1または第2要素の者達だ。いわば、この国のエリート層である。

 男も両親の要素を受け継ぎ、近衛師団に入ることができた。男の祖父母は、貧しい小作農だった。祖父は車夫として、ゲリラ部隊に加わったこともあったらしい。それで、第2要素を授けられたのだろう。


 近衛師団はその名のとおり、至高のお方の身辺の警護に当たる。

 この日、至高のお方が、着々と成果を上げている「ロケット研究所」を視察するので、男が所属する近衛師団第2連隊が警護に当たった。

 研究所の正面玄関の前に、近衛第2連隊の将兵が、儀仗兵として整列した。

 しばらくして、黒塗りのリムジンが玄関前にやって来た。リムジンが走り去ると、玄関に続く階段を一人の少女が昇っている。

<おや? 至高のお方はいらっしゃらないのか? するとあのお方は……>


 半年くらい前から、至高のお方がいろいろな場所を視察する際、一人の少女を同伴することが多くなった。国営新聞・テレビは当初、「親愛なるお嬢様」とか「最も秀でたお子様」などと呼んでいた。

 至高のお方の子供については、人数や性別、年齢などは公表されていなかった。しかし、この年端としはもいかない少女が、至高の方の子供であることは明らかだった。

 そして、1か月くらい前から、国営新聞・テレビはこの少女について、「英邁なる女将軍様」と呼ぶようになった。国民の間では密かに、この少女こそ至高のお方の後継者となるのだろうという噂が広がった。

 それと軌を一にして、至高のお方が視察する所には必ずその少女が同行し、常に至高のお方に一番近い場所にいる姿が、写真や映像で流された。

 いつもは仏頂面のことが多い至高のお方も、少女が一緒だと、まるで一般人の父と同じように、笑顔を見せていた。また、少女の方も、明るくあどけない顔に、子供らしく純真無垢な微笑を浮かべていた。


 少女は、政府の高官を2~3人従えて玄関前の階段を昇ると、儀仗兵の方に振り向いた。

 隊長の号令に従って、儀仗兵は捧げ銃を行った。一糸の乱れもなかった。

 少女は、儀仗兵に向かって、軍人式の敬礼を行った。

 その姿を見た時、男の心の中に言いようのない可笑しさが込み上げてきて、思わず呟いた。

「プッ。まだ、ガキじゃねぇか……」

 すぐのその言葉を呑み込んだ。

 

 近衛第2連隊の将兵は大役を終え、待機場所に指定された広場に移動した。少女が視察を終えるまで待機するのだ。


 男は、先ほど呟いたことなど、すぐに忘れた。同僚とともに、少女からの御下賜品として配られた煙草を吸った。これも、近衛兵の特権の一つだ。

 見上げる空には雲一つなく、抜けるように青い。初夏の心地よい風が、男の頬を撫でていく。吐き出した煙は、斜め横にたなびいてから、大空に吸い込まれていった。


 男は、呟いた一言が種となって、どんな枝葉を広げていくか、今はまだ知る由もなかった。


《完》


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