第10話 東インド会社の「歴史の三角形」
今日の天気はやや不安定。
満里奈の住まいからハールレムの駅まで徒歩約12分。そこからオランダ国鉄で二駅、時間にして15分程でアムステルダムに着く。さらにそこからオランダ国鉄40分弱でホールン(Hoorn)到着。
ホールンの駅のすぐ隣に蒸気機関車の駅がある。
「何だか西部劇に出てきそうな駅ね。オランダなのに」
日香里のつぶやきに美乃里が答える。
「アメリカ合衆国ってもともとヨーロッパの植民地だったから似てるんじゃない?」
「そっか。独立前は植民地だったのよねぇアメリカって。今じゃ、世界を牽引してるイメージだけど」
満里奈、ロバート、美乃里、日香里の四人は蒸気機関車の駅で予約済みチケットを受け取るべく窓口に並んだ。
実は満里奈の夫ロバートはオランダ人ではない。英語圏の人間だからオランダ語はほぼ判らないようだ(日本贔屓で日本語は上手)。美乃里も日香里も当然ムリ。満里奈にしても気合いのジェスチャーとロバート仕込みの自己流英語で毎日を乗り切っていると豪語しているが、オランダ語はやはり無理らしい。
しかし、幸い欧米の大抵の国では英語はなんとか通じる。今日の遠足はロバートが一緒だから美乃里も日香里も安心していたのだ。
が、通じない!
満里奈いわくネイティブすぎるのだそうだ。おまけに少しシャイだからジェスチャーも苦手。
そうなったとき、満里奈のなんと頼りになる事か! すっくと窓口に立つと、たどたどしい発音の英単語を駆使しながら身振り手振りで交渉。なんと割引まで適用してもらったらしい。
『だからかぁ』と美乃里は納得する。突然の他国での生活にも特に苦痛を訴える事なく、もう何年も満里奈はオランダで暮らしている。日本にいるときにはそれほど英語が堪能でもなかったのに。日本へのホームシックにかかったという話も聞かない。ただただ物珍しく毎日が楽しいとは言っていたが。
外国で暮らすには語学よりも何よりも体当たりのコミュニケーション力がモノを言うのかもしれない。
蒸気機関車の出発時刻まではまだ30分程ある。
四人は思い思いにその辺を散策することにした。満里奈とロバートは仲良くスマホで写真を取り合っている。
日香里は、と、美乃里は日香里を見失って少々慌てた。また好奇心の赴くままに遠くまで行って時間に間に合わないなんて事態になっては大変だ。
「いた!」
なんと、涼しい顔で駅の一角にあるコーヒーショップでコーヒーを注文している。
「Can I pay by card?」(カードで払えますか?)
おおーっ! 日香里が英語を喋っている。美乃里はそろりと日香里の横に立ち
「私にも一杯、奢ってよ」
「わあ。びっくりした。やだ、こっそり一人で買って皆を驚かそうと思ってたのに。残念」
そう言って笑うと、再び楽しそうにコーヒーショップのカウンターに向き直る。
「Excuse me, One more please」
「いつの間に英語覚えたのよ?」
「へっへっへ」
日香里は不敵な笑みを浮かべ、店員さんにカードを差し出す。この旅行のために作ったデビットカードだ。
「どうしたのよ、ひかちゃん。どうして一夜にして英語が喋れるようになってるのよ?」
「ふふふ。実はね、日本にいる間に『旅行英会話』のCDをずっと聞いてたの。 で、唯一、言えるようになった英語がコーヒーを注文する場面のヤツでさ。今こそ実践のチャンスだって思ったんだけど、みんなが居ると何か恥ずかしいじゃない? だから、こっそり買おうと思って」
「あら、じゃあ、私がそれを邪魔しちゃったわけね」
「うん。でも、もう一杯下さいってのも使えたから、結果、大成功だったかも」
「そっか。じゃあ、それは私のお陰ってことね。安心した。これで堂々とコーヒーご馳走になれるわ。ふふふ」
そんな会話でコーヒータイムを楽しみながら美乃里は思う。もしかしたら日香里も満里奈のように異国でも楽しく生きていけるタイプなのかもしれないなあと。
そうこうするうち、人の波が移動を始める。出発時刻が近いようだ。
駅舎から外に出ると、満里奈とロバートが駆け寄って来た。
「いた、いた」
申し訳ない事に、二人を捜してくれていたらしい。
「ごめんなさい。呑気にコーヒー飲んでたの」
美乃里の言うのに日香里も一緒に頭を下げる。
「ううん。呑気で良いのよ。今日は一日、ゆったり遠足なんだから。どうする? そろそろ乗っとく?」
「そうね。何だか人が増えて来たし。乗っておいた方か良さそうね」
そうして四人は向かい合わせの椅子に座る。気分は西部劇の中の人だ。オランダだけど。
車内アナウンスが流れ、機関車はソロリと出発した。
美乃里がオランダ国内での移動中、何より羨ましいと思ったのはトンネルが無い事だった。日本の町境や県境は山が多いから、どうしてもトンネルが必要だ。しかし、ほとんど山のないオランダでは町の境は広い畑や草原で、そこには必ず羊や牛がのんびり放牧されていた。その解放感! トンネルを抜けるとそこは……次のトンネルの入り口だった、みたいなちょっと息の詰まる感じ、それが無い。
オランダの国土面積は日本の九州と同じくらいだという。日本は小さな島国と言われるが実は結構大きいのだ。山に阻まれて住める土地は少ないけれど。
「お天気、心配したけど今のところ晴れてるね。良かったね」
日香里が言うと
「オヒルコロ アメガ フリマス」
ロバートがスマホを見ながら教えてくれた。
「でも、そんなに強い雨じゃなさそうよ」
「ア、ソウデスネ、ソンナニツヨイアメジャナイ」
満里奈の言った事をロバートも繰り返す。二人は時々日本語、時々英語で会話する。見ていて面白い。喧嘩の時はエキサイトしてくるとそれぞれが自国語になるそうだ。
最初の停車駅、ウォグナム(Wognum)では15分のトイレ休憩。その間、駅構内を自由に散策しても良い。と言っても、特にアトラクション等はなく、のんびりした風景と機関車と駅舎を背景に写真を撮るくらいしかないのだが、それがまた良いのだ。
ウォグナム(Wognum)駅を出て暫く車窓を楽しんでいると、なにやらお皿に乗ったお菓子が配られ始めた。全員ではないし、美乃里たちには配られない。お腹は空いてないから要らないけれど何となく寂しい。
「あれは何? 車内販売?」
日香里が満里奈に尋ねるが満里奈も首を傾げている。
「ホールンヲデテスグ、チュウモンヲトッテ、ココデクバルミタイデス。パンケーキデスネ」
スマホ検索してロバートが教えてくれた。
「あら、じゃあもう間に合わないわね。残念。お腹は空いてないけど」
「ランチガ オイシクタベラレマス」
ロバートはポジティブだ。
そして終点、メデムブリック(Medemblik)。
ここからは折り返す機関車で戻る方法もあるが、美乃里たちは「フリースラント(Friesland)」という遊覧船でエンクハウゼン(Enkhuizen)を目指す。乗船時間は一時間強。
このホールン・メデムブリック・エンクハウゼンは、かつてのオランダ東インド会社の主要拠点で「歴史の三角形」と呼ばれているらしい。
遊覧船の出航時間までは一時間ほど。この間にメデムブリックの町でランチの計画だ。駅舎から海側との反対方向に商店街が伸びている。土産物や衣料品の店もあるが飲食店も多い。が、観光客も多い。
ロバートのスマホの天気予報通り小雨も降り出したので、美乃里たちは速足でランチの出来る店を物色する。迷っている間にも時間は経過し、四人はええいっと、駅舎から近めのサンドウィッチの店に決めて乗り込んだ。
日香里にとってありがたいのは、どこの店に行ってもベジタリアン向けの食事が用意されていることだった。大抵はビーガン(Vegan)と表示されていて、ベジタリアンより厳格な菜食主義を指すようだが、うっかりミンチが混ざっていたなんて事はなく安心して食べられる。まあ、その分、メニューを見て迷う楽しみは無くなるのだが、迷うほど選択肢があるのもまた困ったもので……。他の三人は苦労している。のんびり屋の日香里の注文が一番に決まるなんて事は欧州旅行中だけの珍事だ。
なにはともあれ、四人は美味しいサンドウィッチをそれぞれ好みの飲み物と共に頂き、会計は立候補した日香里のデビットカードで済ませる。
「Check Please」
「Can I pay by card?」
一つ覚えの英語を繰り出す日香里だが、ここはオランダ。どこでも必ず英語が通じる訳ではない。その上、日本語なまりの角々した英語だ。店員さんの頭の上に「?」が浮かぶ。自信が無くなった日香里の声は段々小さくなるのだが、追い詰められた日香里は突然、ジェスチャーを交え、カードを差し出し、日本語できっぱり言った。
「これで、払います!」
見守っていた満里奈やロバートが笑い、美乃里も笑い、つられて店員さんも笑いながら無事に支払いは完了。
「気合いの勝利ね」
美乃里が言うと
「焦ったけど、まあ、何とかなるものね。満里奈さんを見習ったのよ」
日香里も楽しそうに答える。
小雨も上がり、乗船の時間になった。
さあ、いよいよ大航海だ。遊覧船で。
オバちゃん戦記 ゆかり @Biwanohotori
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