線路脇の廃屋にて

久賀池知明(くがちともあき)

線路脇の廃屋にて

 ある路線のすぐ脇に一件の廃屋がある。周りにある家々には住人がいるが、そこだけは長いこと誰も住んでおらず、解体される事もなくただ建っている。市や町が解体しようと試みたが、何故かことごとく失敗してしまうと言う。

 そこにはある女性の霊が出るのだそうだ。

 その霊は決まった時間になると二階の窓際に現れ

「ぎゃーーーーーー!!!!!」

 と叫び声を上げて倒れこむ。それから暫くして階段を這って降りて来て、玄関の手前で消えるのだ。

 その途中で掴まれると掴まれた人もまた叫ぶ程の腹痛に襲われ、救急車を呼ぶ羽目になってしまう。

 話によればその女性は、列車が跳ね飛ばした石が腹部に直撃し、噂にある経路を通って助けを呼びに階下まで降りたが、結局絶命し霊になったのだという。今もまだ這いずった血の跡が残っているだとか、列車からその家を見ると女が睨みつけてくるなどの噂がある。

 まだ路線周辺の整備がなされていない時代に起きた不幸な事故であるが、

それを面白おかしく酒の肴として話してしまうのが若気の至りである。

 隣に座るSとは同期で、接点こそ無かったものの同じ高校を出ているのが分かり、懐かしい話で盛り上がり意気投合した。月に何度か仕事終わりに駅近くの立ち飲み屋で愚痴を溢し、それからまた仕事に励む。

 その飲みの席で話に上がったのが件の廃屋だった。隣町に住んでいたとはいえ、そういった噂は町や世代の垣根を越えて伝わる物なのだろう。そして華金だった事も相まって、そこに行ってみようという事になった。

「いやあこの辺めっちゃ懐かしいな~あ、まだあるんだこの仏像。これクラスメイトがボール当てて首折っちゃった事あって」

「それめっちゃ怒られたんじゃないんすか」

「これがバレなくて何のお咎めもなかったんすよ~いやあ駄目な青春時代を送ってたなあ」

「盗んだバイクで走り出すみたいに良い風に言うんじゃないよ。いや、それも駄目だけどさ」

「よくあるやつ~あ、あれじゃないすかね」

 とSが指さした方向に、ボロボロのトタン屋根と穴の開いた壁、段ボールと ガムテープで乱雑に補強された窓、そして雑草が伸びに伸びきった庭を持つ一軒の家が現れた。噂通りの見た目だ。夜に見るとまた雰囲気がある。

「おお~久しぶりに見たけどすげー不気味~。確かに幽霊とか出てきてもおか

しくない感じっすね」

「ですねえ。なんか写真とか撮ったりしたら映らないですかね」

 私がそう言うやいなや、Sはすぐに家に向けて携帯で写真を撮った。そして

その写真を見て

「あれ、なんかこれ映ってないすかね」

 と目を細めた。私はその写真を見てみたが特に何も映っているようには見えなかった。

「ええ? ここ、ほら窓のとこ。誰か立ってるくないですか」

 そう言われても照明も無く、暗い室内だけで誰かがいるようには見えない。悪ふざけでもしているのだろうと思ったその時、近くを走る線路を列車が通過した。

 何となく列車が通り過ぎるのを目で追った。揺れる車内の人影はまばらで、うち何人かは横に首を倒している。いつもであればあの電車に乗り、同じように電車に揺られ、同じように帰路に就いていた筈だ。すっと酔いが冷めていくのを感じ、学生気分が抜けていないなと自嘲する。今から駅に向かえば終電には間に合うなとSに伝えようとして、隣にいるSの方を向いた。

 Sが家に向かって大きく振りかぶっていた。

「えっ」

 と私が驚くのと

 パリン

 とガラスが割れる音がほぼ同時だった。そしてすぐに

「ぎゃああああああ!!!」

 甲高い叫び声が静観な住宅街に響き渡った。私は状況が掴めずSに

「お、お前何やってんだよ」

 そう言った。しかしSは私の問いに答える事は無く、家を見つめたまま

「行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ」

 と虚ろな目をして呟き始めた。Sの肩をいくら揺らしても何の反応が無く、ぴたっと呟きを止めたかと思うとそのまま廃屋へと走り出した。

 引き留める間もなく鉄柵を越え、腰程の高さのある雑草群を掻き分け進み、まるで最初からそこが開いているのを知っているかのように窓から体をねじ込んだ。

 呆気に取られた私はこのまま放置して帰るか、彼を追って中に入るかで悩んだ。ちんたら悩んでいる暇が無いのは分かっている。深夜に突然ガラスが割れる音がしたのだ。強盗だとかバカ騒ぎする連中だと思われて、警察を呼ばれてしまうかもしれない。まだまだ新米の自分達がそんな厄介な状況になれば、最悪クビになってしまう可能性もある。それは本当にまずい。

「早く戻って来いよ馬鹿……どうすんだよ……くそっ」

 私はSの後を追った。

 あんな速度で柵を越えていけるなんてどんな運動神経をしているのだろうか。この雑草も窓枠も成人男性だとしてもなかなか骨が折れる高さにある。

 Sと自分の荷物を室外機の上に置き、家の中に侵入する。

 降りた場所は廊下だった。家の中はカビと埃で充満して至る所が剥げ落ち、床も経年劣化で凹みが目立つ。一歩でも間違った場所を歩けば床を踏み抜いてしまうだろう。

 彼が一体どこにいったのかその場で探すが、すぐ近くには見当たらなかった。まだこの家の中にいるとは思うが、あまり動きたくはない。

 ただ、窓枠を越えた時に服を引っ掛けてしまった事を考えると、また背後の隙間から出入りしたいとも思えない。

 幸い出た廊下の先が玄関に繋がっている。軽く踏んで軋む場所を避けながら

たった数メートルの距離を地雷原にいる緊張感で進んでいく。

 玄関入ってすぐにある階段の手すりが見えた所で、上階から物音がした。

 何となく襖が開いた音だと思った。

「お……おい、上にいるのか?」

 呼びかけたが反応は無い。もう一度呼びかけようとした時

 

バタン、ドッ……バタン、ドッ

 と誰かが二階の廊下を階段の方に歩いてくるのが聞こえて来た。その誰かは足元が覚束ない様子で、踏み出す毎に壁に体を預けている。

「Sか? だ、大丈夫か?」

 また返事が無いまま足音だけがゆっくりと階段を降りて来る。

 足音だけが。

「えっ、なん……え?」

 姿は見えないのにまるで人が歩いているみたいに、木の軋む音だけが一段一段下がって来る。

 私が入ってしまったからかは分からないが、とにかく早く逃げなければ良くない事が起きるに違いない。Sの事も床の腐食具合も忘れ、三和土へと駆け下

りた。幸運にも床は抜けず玄関扉に辿り着き引戸錠の鍵を空け、取っ手に手を掛ける。しかし

「あれっ!? くそっ!」

 誰かが押さえつけている様に扉はびくともせず、蹴っても体ごとぶつかっても全く手ごたえが無い。まるで空気の塊を相手にしているみたいだ。

背後からの足音に振り返り、次いで入って来た窓を見やる。

 今まさに降りてきている『なにか』の前を通って、あの窓から逃げ出すしかないのか? まだ開いたままのはずだが、見えない何かが降りきる前に辿り着き、捕まらずにあの狭い窓を通っていけるのだろうか? 

 反射的に窓へ足を踏み出したその瞬間、目の前の床からバタンともバキャともつかない鈍く重い音が廊下に響き渡った。それと同時にその音がした辺りの床が数センチ凹んだ。

 噂になっている幽霊の女が階段から落ちて、今まさに目の前に血だらけで横たわっているのでは。捻じ曲がった首をこちらに向けて憎々しげに見つめている女。

 そんな妄想が頭を過った。

『掴まれれば自分も同じ目に合う』

 そういう噂だったはずだ。

 ならば窓までの直線上にいるであろう何かの横など通れるはずもない。後ろの扉は何故か開かないままで、どこにも逃げ場がなくなってしまった。

こんな事になるんなら来なきゃ良かった。

 後悔に涙が落ちそうになったその時、上階から

 

「うぎゃああああぁぁぁあぁああ!!!」 

 

 と野太い絶叫が床を貫いて響き渡った。その声の主が誰なのか、それは姿を見ずとも分かる。

 Sだ。 

 

バタン、ドッ……バタン、ドッ


 足元が覚束ないのか、踏み出す毎に壁に体を預けている。足音は着実に階段の方に近づいていて、このまま行けば目の前の【これ】と同じ様に階段を降りて来るのでは。

 予想は外れる事無く、ドスンドスンと左右に体を揺らしなが階段を降りて来るS。

「お、おい……お前、血……血が」

 虚ろな目で階下を目指すSの口から、夜の闇を吸ったのかと錯覚するくらいに黒い血が流れ出ていて、腹部も真っ黒に染まっていた。

 腹部を押さえるでもなくふらふらと降りて来るSは、下段に滴り溜まっていく血に気付けていない様子だ。私は咄嗟に駆け寄ろうと一歩足を踏み出して、はたと気付いてしまった。

 目が暗闇に慣れたせいもあるだろう。あるいは恐怖による物なのかもしれない。

 しかしとにかく私は……目の前の床に人型で厚みのある影が横たわっているのに気づいてしまったのだ。だらりと細長い物を三和土に放り投げたまま、音も無く横たわっている影。あの女の幽霊だかが今まさに目の前にいるのがはっきりと見えている。

 Sを助けるにもここから逃げ出すにも、それを跨いでいかなければいけない……無理だ。あんな風になりたくない。

「あっ」

 私が逡巡した間の、一瞬の出来事だった。

 階段に滴り落ちた血に足を滑らせ前につんのめり、手すりを掴んだり受け身を取る事無くSは落下した。

 頭から落下したからか、バタンともバキャともつかない鈍く重い音が廊下に響き渡り、つい今しがた凹んだ床の窪みに奇麗にSの頭がはまり込んだ。

 だらりと垂らした手も全く同じだった。

 私はピクピクと痙攣しながら血を垂れ流すSを前に、ただ叫ぶ事しか出来ずに情けなくも失禁した。

 騒ぎを聞きつけた通行人の通報があるまで、私は通報の一つもせず仕舞いであり、一段落した後に警察にこっぴどく叱られた。

 服を着替えすぐに病院に駆け付けたが、Sは手術中であり会う事は叶わなかった。翌日に再度病院に赴き病状を聞いたのだが

「予断を許さない状況です。腹部に開いた穴から石を取り出して縫合しているのですが、何故かすぐに開いてしまう為、二十四時間体制で診る必要があります」

 という事だった。

 勿論、それだけの傷害をおったのだから、私が犯人だと言われても仕方がない。だが、その日の午後に私を尋ねて来た四十代らしき警官は

「ああーまあ、一応取り調べとか受けて貰いますけどね。あそこは何と言うか全く同じ内容の事件が起きるんで、そういう事だろうって話で。

ま、触らぬ神に祟りなし。知らぬが仏。近づかないのが一番ですよ」

 そう言った。

 

 それから一週間も経たずにSは亡くなり、私は自責の念から自主退社して地元へと戻った。

 あの家が今もあるのか、それとも取り壊されたのかは知らない。

 だが、どちらにしろ関わった人物が同じ目に会うのだろう。

 

 とにかく私から言えるのは、路線付近にある廃屋には近づくな、という事だけだ。

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線路脇の廃屋にて 久賀池知明(くがちともあき) @kugachi99tomoaki

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