最終話
そして物語は始まる
「それで、もうお話は終わりなのですか?」
東屋のベンチで、リアーナが膝の上に頭を乗せている男を覗き込んだ。
「ああ、後は王になってからだから、内政とか、外交とか、そんなの聞いても面白くないだろ。お前も側にいたし」
ラキウスは目を逸らしながらつぶやく。ここ一月以上、リアーナに膝枕されながら、昔語りをするのが日課だった。ちゃんと椅子に座って、向かい合って話をすればいいと思うのだが、毎回、ラキウスが顔を出すたびに、リアーナが嬉しそうに自分の膝をポンポンと叩いて頭を乗せろと要求してくるのだ。最初の頃はひそひそ噂話していた侍女たちも、今や日常となってしまった光景に何の反応も無く、日々の仕事をしている。
「そんなことは無いですよ。だって、ラキウス様が王になって、この国は大きく変わったじゃ無いですか」
「実務を主導したのはソフィアだよ。それに、俺はもう王じゃ無いんだ。『ラキウス様』なんて他人行儀な呼び方は止めてくれ」
セーシェリアの死後すぐにラキウスは退位したのだった。今、王位は彼とセーシェリアの息子セリナスが継いでいる。一方、リアーナの瞳には
「あら、ラキウス様は、この呼び方はご不満ですか?」
「お前は俺のお姉ちゃんなんだろ。昔みたいに呼んでくれればいいから」
その言葉に、リアーナは少し困った顔をしていたが、頭を振ると、ため息を吐いた。
「全く……ラキウス君は甘えん坊な弟君ですね」
リアーナは男の髪を撫でる。その手に限りない優しさを込めて。
「実務を主導したのはソフィア様と言っても、ラキウス君の後ろ盾があったからですよ。王政を立憲君主制にまで持って行くのは、並大抵の努力では無かったでしょうから」
ラキウスが王になって、最も大きく変わったのは、王国の政体だった。もちろん、いきなり立憲君主制など導入しても、かつてのクリスティア王国と同じ轍を踏むだけ。そこに至るために、まずは絶対王権を確立し、貴族を弱体化させ、産業振興して中産階級を育てる。それを、ラキウスは自らの統治期間50年を使ってやり遂げたのだった。そのラキウスの手足となって改革に剛腕を振るったのがソフィアだ。王国初の女性宰相として、そして、初代首相として。
そのソフィアも8年前にこの世を去った。60を少し超えたばかりでの死。それは平均寿命が短いこの世界にあっても、決して長生きとは言えない年齢。宰相の、首相の激務が、彼女の寿命を縮めた側面は否めない。それでも彼女は満足そうだった。死の床を見舞った際、「ラキウス様と一緒に良い夢が見られました」と微笑んだ彼女の顔をラキウスは生涯忘れることは無いだろう。
「それに科学技術も大きく進歩しましたよね。鉄道や蒸気船など。庶民がこれだけ広範囲に移動できる時代は画期的ですよ」
彼女の言うとおり、鉄道網の発展は急速だった。アレクシアを拠点とし、南はクリスタル、西はオルタリアの王都オラシオンを経て、レドニアの王都パルティアまで、東は聖都イスタリヤまでを結んでいる。今はまだレントやガレアには繋がっていないが、それでも多くの人や物資が移動することにより経済は急速に活性化していた。加えて蒸気船の実用化により、鉄道網が未だ敷かれていない地域との交易も活発となっている。だが、この話題になると、ラキウスの顔は曇ってしまうのだった。
「カテリナ様のこと、後悔していらっしゃるのですか?」
リアーナの問いにラキウスは小さく頷く。カテリナはラキウスの贈った船で出た旅で行方不明になっていた。一途に寄せてくれる彼女の想いに応えられない代償に、ラキウスは最初に実用化された外洋航行用蒸気船を彼女に贈ったのだった。自分の船で世界中を見て回りたいという彼女の夢をかなえるために。
船の名はエリュシオン。カテリナのミドルネームにちなんで名づけられた船。その贈り物に感激した彼女に、逆に絶対にラキウスのことを諦めない宣言をされてしまい、困惑してしまったのだけれども。
そのカテリナにラキウスは西大陸の調査を命じたのだった。それは彼女自身の望みでもあったし、魔法災害で閉ざされた大陸の調査は、今後の交易路の発見などの観点から重要であった。だが、大陸に向かった彼女は、そのまま消息を絶つ。安全に配慮して十分に距離を取った場所からの調査であったにもかかわらず。
何度も捜索隊を派遣した。ラキウス自身もラーケイオスに乗って現地へと向かった。しかし、彼は大陸を覆う魔法障壁にはじかれ、中に入れない。捜索隊もまた、帰ってこなかった。事ここに至って、ラキウスは決断せざるを得なかった。彼女の捜索の断念を。未だにラキウスの心に刺さる棘。カテリナを見捨ててしまったという後悔。それが王として、避けることのできない決断であったとしても。
「カテリナ様はラキウス君を恨んでなどいらっしゃいませんよ」
「そんなことはわかってるよ」
ラキウスはカテリナの高潔な心を疑ってはいない。彼女がラキウスを恨むなどあり得ない。ただ、彼女を救えなかった後悔が残るだけ。
暗くなってしまったラキウスの気を紛らわせようとリアーナは話題を変える。
「各国との関係もすごく良くなりました。それに異なる宗教の融和なんて、ラキウス君だからこそできたんですよ」
王族の個人的関係に依らない国家間の結びつきを強めるため、ラキウスは様々な国際会議の設立を主導した。その中でも、クレスト大陸聖職者会議、通称「サン・クレスト」と呼ばれる会議は画期的だった。何より唯一絶対のミノス神を信仰するミノス教の聖職者がそのような会議に出席するなど。
尽力したのはルクセリア。彼女はラキウスと共に、帝国と王国の新たな関係を築き上げたのだ。ミノス神聖帝国の女帝として。
彼女は一旦はレオポルドの後を継いだ皇帝の后となった。しかし、アラバイン王国との融和政策を進めたい彼女の意図に反し、新たな皇帝は過去への回帰を進めようとしたのだった。その理由が、ラキウスとルクセリアの不倫を疑った嫉妬によるものだったというのは驚きではあるが。とにかく、反王国にひた走る皇帝に業を煮やしたルクセリアは選帝侯と組んで彼を廃位し、離婚した上で、自らが女帝に就いたのである。そのことは同時に、かなりの憶測も呼んだ。
「ルクセリア様とのことは誤解を呼びましたけどね」
「俺とルシアはそんな関係じゃ無かったよ。彼女はあくまで、帝国の未来を考えてこの国と融和政策を進めるのが得策だと判断したんだ」
「はいはい、そうですね」
他国の女帝を愛称で呼ぶのも誤解を招く原因だろうとリアーナは思わないでは無いが、ここでは指摘はしない。いずれにせよ、ルクセリアも既に故人だ。
ソフィアやルクセリアだけでは無い。同時代を駆け抜けてきた仲間は殆ど全ていなくなった。残っているのはラキウスとリアーナのみ。ラキウス達の時代は終わったのだ。たとえ彼自身はまだ100年以上の時を生きるのだとしても。
「これからどうするつもりですか?」
リアーナに聞かれ、ラキウスは考え込む。自分は何をどうしたいのかと。
「そうだな、取りあえず、みんなの墓参りでもするか」
「いいですね。まずはエヴァ様のところに行きましょうか」
エヴァはラキウスと同じ転生者ではあったものの、魔王の魔力の器では無かったために寿命が拡張されることも無かった。最後まで延命のために自身の光属性魔法を使わなかったのも彼女らしいと言えるかもしれない。ヨハン殿下の延命を続けていた彼女にはいろいろと思うところもあったのだろう。彼女は今、王都の大神殿に眠っている。
エヴァだけでは無い。他のみんなの墓も参ろう。でも、それを済ませたらどうする? そう、ラキウスは考える。王となって以降は、あまり王都を離れられなかった。その重責から離れられた今、あちこちを見て回ることも可能。今度こそ西大陸に渡るのも良いかもしれない。もうカテリナが生きている可能性はまず無いが、それでも遺品の一つでも見つけることが出来るかもしれない。
そうやって、今後の計画を考えていて、ラキウスはふと思う。自分はこのように、先のことを考えられるようになっていたのだと。セーシェリアの死の直後、後を追うことしか考えられなかった自分が。
そうして気づく。リアーナはこのために彼にこれまでのことを言葉で語らせたのだと。パスを繋げば一瞬なのに、そうしなかったのは、時間をかけるため。明日続きを聞くから、話をしてもらうから、それまで死ぬなと。
ラキウスの前世の世界に、殺されないために、毎夜毎夜一話ずつ王に寝物語を聞かせた女の話があった。これは逆だ。王を死なせないために、毎日毎日、王に話をさせる。そんな彼女の思いがラキウスの心に染み入って来る。だが、それに対する礼に、リアーナは首を横に振った。
「セリア様に頼まれたんですよ」
「セリアに?」
その問いに「ええ」と短く返したリアーナは微笑みながら、どこか彼方を見るように視線を外した。
「昔、セリア様に言われたことがあるんです。年を取っていく自分をラキウス君がいらないと言うなら身を引くから、その時は代わりに支えてくださいって。それなのに、あなたときたらいつまでもセリア様べったりで。だから逆にセリア様は心配になったんですよ」
「心配?」
「ええ、自分が死んだ後、ラキウス君が後を追って来るんじゃないかって。だから、そんなことが無いように支えてくれって、死の一月くらい前でしょうか、改めて頼まれたんです」
そう言うとラキウスに一通の封書を手渡してくる。
「セリア様からあなた宛の手紙です。もう少し早く渡しても良かったのですが、素直に読めなかったでしょうから。でも、今なら大丈夫でしょう」
ラキウスは、リアーナの膝から飛び起きると、ひったくるように手紙を受け取り、読み始める。「愛するラキウスへ」、その書き出しから綴られた手紙は彼への感謝にあふれていた。友達になりたいと言ってくれた時、共に在りたいと願ってくれた時、どんなに嬉しかったかと。それだけでは無い、重ねてきた幸せな時間と育まれた二人の絆、それに対する感謝が。
同時に、先に逝ってしまうことへの未練と悔恨。「もっとあなたと一緒にいたかった」と、「あなたをこれ以上支えてあげられなくてごめんなさい」と。
震える文字と紙にところどころ残る滴の跡。どんな気持ちで彼女はこの手紙を書いたのだろう。ラキウスは今さらのように気づく。遺された自分と同様、遺して逝かねばならなかった彼女もまた辛かったのだと。
手紙は最後にラキウスへの願いで締めくくられていた。「私からの最後のお願い」、そう切り出された願いはシンプルなものだった。
「生きて。前を向いて」
ラキウスの目から涙があふれだす。ただ二言だけの願い。その二言に込められた彼女の想いが、ラキウスの胸を打つ。
比翼の鳥という鳥がいる。片翼しか翼を持たず、雌雄が対となることによって空を飛ぶことが出来る想像上の鳥。離れがたい男女を表す言葉。一目惚れから始まったラキウスとセーシェリアの恋は、互いを離れがたい半身として結びつけたのだった。
そして今、地に落ちた片翼は、遺された片翼に願う。天駆けて欲しいと。力強く羽ばたいて欲しいと。
手紙を読み終わり、ラキウスは暫く無言だった。リアーナはそんな男が口を開くのを辛抱強く待ち続ける。やがて顔を上げたラキウスの瞳は未だ涙に濡れている。だが、その奥に確かな光を宿していた。
「リアーナ、俺は旅に出るよ」
「旅に……ですか?」
「ああ、世界を回ってみるつもりだ。まずは西大陸だな」
リアーナは頷きながら、ラキウスの言葉を聞いていたが、一言、ポツリと呟く。
「……ついて来い、とは言ってくれないのですか?」
「いいのか? もうここには戻ってこれないかも知れないぞ」
「セリア様に頼まれましたからね。あなたを支えて欲しいと。それに……お姉ちゃんは弟と一緒にいるものですよ」
その久方ぶりに発揮された無茶なお姉ちゃん理論に、ラキウスは苦笑する。そして、リアーナもまた笑みを浮かべるのだった。そんな彼女に、ラキウスは手を差し伸べる。
「行こう、リアーナ、西大陸へ!」
───どこかの世界、どこかの時代。これは平民に生まれ、王となった男と、彼を愛し、愛された女の恋の物語。そして、世界を駆けた騎士と、生涯、彼を支え続けた巫女の冒険譚、その始まりの物語。
物語は今、始まる。
アラバインの竜王 ~平民に転生したけど一目惚れした貴族のお嬢様に釣り合う男になりたい~ 完
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<後書き>
「アラバインの竜王 ~平民に転生したけど一目惚れした貴族のお嬢様に釣り合う男になりたい~」、完結となります。いかがだったでしょうか。
もしよろしければ、☆レビュー等いただけますと励みになります。
さて、ここまでお付き合いをいただいた読者の皆様には感謝の言葉もありません。
フォロー、☆レビュー、応援コメント等いただきました皆様、大変ありがとうございました。
なお、この作品(主にプロローグ)に込めた思い、今後の執筆活動方針など以下の近況ノートにまとめております。もしよろしければ、そちらもご覧いただけると幸いです。
https://kakuyomu.jp/users/umesan324/news/16818093082070092442
アラバインの竜王 ~平民に転生したけど一目惚れした貴族のお嬢様に釣り合う男になりたい~ 英 悠樹 @umesan324
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