4.朝寝坊

「うわー、ちょっと遅くなっちゃった!」


 翌朝、ロティアは髪を手櫛で整えながら、社員寮の階段を駆け下りていた。その隣をスイスイ飛ぶフフランは「先に行くか?」と尋ねる。


「朝は食堂混むだろ。席取っておくぞ」

「いいの、フフラン! お願い!」

「よし来たっ!」


 ロティアが廊下の窓を開けると、フフランはグンッとスピードを上げて窓の外へ飛び出した。


「ありがとー! お願いね!」


 フフランは羽根の先をひらっと振って答えた。

 朝の六時から夜の十一時まで開いている食堂には、社員寮の社員だけでなく、通勤の社員もやってくる。そのため、食事時は常に混んでいるのだ。


「さて、わたしも急がないと!」






 食堂へ到着し、スープセットを受け取ると、ロティアは三階建ての食堂の中をぐるりと見渡した。


「ええっと、フフランはどこかな……。あ、いた!」


 二階の窓辺の席にフフランの白い羽が小さく見える。どうやら取った席の上をクルクル飛び回ってくれているようだ。ロティアは優しい友の気遣いにニコッとして、人ごみをかき分けながら階段を上って行った。


 フフランがいる席に近づいて行くと、そのあたりは意外にも空席が多いことに気が付いた。


「お待たせ、フフラン」


 ロティアが声をかけると、フフランの傍に座っていた女性が顔を上げた。


「あ、おはよう、ロティア」

「おはよう、シア。食堂で会うの久しぶりだね」


 シアは琥珀のようなきらめきを持つ目をキュッと細めて「そうだね」と笑った。

 シアはロティアよりも一年ほど後に、魔法特殊技術社に入社した。深い茶色の髪と琥珀色の目が魅力的な女性で、年は二十歳だ。

 ロティアはフフランにお礼を言いながら、シアの向かいの席にスープとパンを乗せたトレーを置いた。


「ロティアにしてはちょっと遅いね。いつも早起き組と食事してるでしょう」


 早起き組とは、ハルセルやケイリーのことだ。三人とも朝に強く、ケイリーがいた頃は毎日のように一緒に朝食をとっていた。


「今日はちょっとだけ寝坊しちゃったの。それにしても今日は良い天気だねえ」

「空を飛んでても気持ちよかったぞ!」


 フフランはロティアの肩に飛び乗り、ご機嫌に尾っぽを揺らした。それに合わせてロティアもルンルンと横に揺れると、シアは頬杖をついてふたりをゆったりと眺めた。


「ロティアとフフランは朝から元気で良いね」

「なあに、シアは元気ないの?」

「いつもの低血圧。朝は特に苦手なんだ」


 シアはそう言って、真っ黒いコーヒーの入ったカップを形の良い唇に運んだ。

 シアってコーヒーを飲んでるだけで絵になるな、とロティアは思った。


「それに最近雨が多いでしょう。天気が悪いのもあんまり得意じゃないんだ」

「そっか。つらいね」


 ロティアが心配そうに顔をのぞきこむと、シアはクスッと笑った。


「でも、ロティアとフフランに会ったら元気が出たよ。ありがと」

「いやいやあ。オイラたち、何もしてないぞ」

「そうだよ。わたしこそ、シアと久しぶりに会えて嬉しい!」

「かわいいこと言うね、ロティアは」


 シアはカップをソーサーに戻すと、両肘をテーブルについて、ロティアの方に少し身を乗り出した。


「いつも元気なロティアの秘訣を教えてくれない? 真似したら、わたしもちょっとは健康になれるかも」

「ええっ。うーん、そうだなあ。あ、それなら散歩はどう? 始業までにこの辺りを歩くの」

「毎朝散歩か体操してるもんな」

「へえ、良いね。わたしも明日から行こうかな」

「それが良いよ! 時間があったら一緒に行こう!」


 シアはニコッと笑って、「良いね」と答えた。





 社屋に戻り、シアと別れると、ロティアの部屋の前に、ポーラが立っているのが見えた。ロティアとフフランは顔を見合わせ、急いでポーラに駆け寄った。


「おはようございます、ポーラさん」

「あ、ロティアさん、お、おはようございます。フフランさんも」

「おう、おはよう。良く寝られたか?」

「あ、は、はい。ベッド、気持ち良かったです……」


 ポーラは何か続けて言いたげに口を開いたまま固まってしまった。ロティアが優しく「どうしたんですか?」と尋ねると、ハッとして再び口を動かした。


「あ、えっと、き、斬りつけ! 斬りつけ事件のこと、ロティアさんたちも知ってますか?」

「ああ、物騒な事件ですよね。何かあったんですか?」

「あ、いえ、わたしは何も……。ただ、今日、食堂で一緒になった社員さんに……、あの……女の人が……」


 尻すぼみになっていくポーラの言葉を必死に聞き取ろうと、ロティアは顔を少し寄せ、フフランはポーラの頭の上に飛び移った。するとポーラは急に口をつぐんで、激しく首を横に振った。


「な、何でもありません! すみません、急に!」


 明らかに何でもないわけがない顔だ。しかしポーラのような性格の相手に、しつこく追及してしまうのは良くないだろう、とロティアは思った。

 ロティアはパッとポーラから離れると、ニコッとした。


「わかった。でも、斬りつけ事件のことで何かあったら、遠慮なく相談してね」

「は、はい。ありがとう、ございます」


 そう言って、ポーラは自分の部屋に戻って行った。それを見送ると、ロティアとフフランも自分たちの部屋に戻った。ロティアは椅子に座り、フフランがテーブルに座ると、ふたりは声を潜めた。


「……どう思った、フフラン?」

「んー。気になること言ってたな」

「えっ、なに! 聞こえなかった!」


 ロティアはズイッとフフランに詰め寄った。


「さっきロティアさんが一緒にいた女の人がどうとか」

「それって、シアのこと?」


 フフランは「たぶんな」をうなずく。


「シアと斬りつけ事件が関係あるってこと?」

「被害にあったとかか? でもそうならシアから話してくれそうなもんだけどな。ロティアも気を付けろって」

「そっか。言われてみれば確かに」


 ロティアとフフランは顔を見合わせて首を傾げた。


「もう少し仲良くなったら、ポーラから話してくれるかな」

「そうだな。それまではそっとしておこう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星空色の絵を、君に ~インクを取り出す魔法使いは、辺境訳アリ画家に絵を描かせたい~ 唄川音 @ot0915

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画