第二十六話 「新しい朝が来る」
青年はまっすぐにイズミを見つめて言う。
「今生の別れには、まだ早いだろう」
イズミはわずかに目線を下げ、小さく首を振った。
「まったく……、お前さんは世界の広さを知らないな」
青年はため息をつき、空を見上げる。
「皇国にはお前さんのような混血は少なからず存在しているし、なかには人間と共存しているという話も聞く。つまりだ、鬼人の血を克服して人間と共に生きる方法が、この世界のどこかにあるかもしれないってことだな」
青年はイズミに手を差しのべる。
「俺は旅を続けるつもりだ。もしかしたらその道中で、それが見つかるかもしれない」
「……本当に、見つかるでしょうか」
「見つけるんだ」
その言葉が、彼女にとって唯一絶対の答えだった。
心から彼女が望んでいる願いだった。
イズミは青年に歩み寄ると彼の手を握り、少しぎこちない微笑みを浮かべた。
青年はうなずくと彼女の手を離し、店主のもとへ行くようにと目線でうながした。
「俺は都の門のそばで待っている。ゆっくり旅支度をしてくるといい」
はい、とイズミはうなずき、店主のもとへ行った。
店主は青年に頭を下げ、イズミと共に店へ戻った。
遠ざかる二人の姿を見送りながら、青年は言う。
「心配するな。ちゃんと面倒は見るさ。試作品ばかりとはいえ、お前さんには皇都でよく甘味を食わせてもらったからな」
青年は目線をわずかにさげる。
彼の足元にはうっすらとした彼自身の影があった。
その影の隣に、もう一人分の影が並んでいた。
影には、その主たる実体はない。
「お前さんの息子が店を継いだって話は聞いてたが、まさかこんなことになってたとはな。ひさしぶりに懐かしい甘味が食えるかと思って来てみたってのに、えらい目にあったぞ」
影は何も言わない。言えない。
青年は腕を組み、目を閉じる。
「安心しろ。イズミの母親はもうここにはいない。本当に眠っちまったようだ。俺が言うんだから大丈夫だ。お前さんもたいへんだったな。ずっと悔やんでいたんだろ。だから今の今まで眠れなかった。イズミの母親にも気づかれないような、深い深いところで眠りを失くして苦しんでいたんだ」
影は微動だにしない。
「でも、もういいだろ。ゆっくり、安らかに、眠ってくれ」
青年は隣の影に目を向ける。そこに影はなかった。
影があった場所に、一人の男が立っていた。
その男の足元には、影がなかった。
「本当に眠れば、彼の国へ迷わずいける。お前さんの家族は、そこで待ってくれてるはずだ」
男は何も言わなかったが、青年に向かって礼を言うように頭を下げ、橋の向こうへと歩き出す。
一歩、二歩、三歩と歩みを進めたところで、男の姿は消えた。影も残らなかった。
青年は短くため息をつき、空を見上げる。
新しい朝が来る。
精霊ノ世紀 『大橋の鬼』 青山 樹 @aoyama-itsuki
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