第2話 教会での出会い
少女に抱きしめられ、困惑していたヴェストル。
そして静かだった二人だけの教会の時間が再び動き出す。
「あー! 良かった、もう独りじゃない!」
いかにも爽快と言いたげにそう叫ぶと慌ててヴェストルから離れる少女。少し赤くなった頬、やや血色の悪い顔を嬉しそうに、または照れながら表情を目まぐるしく変えて。
「ごめんなさい、急に抱きついて! 私、あーと……違う、名前……アオイ!!」
血とは似ても似つかない透明な涙を細い指で拭いながら、アオイと名乗った少女はまくし立てる。
「この街に生き残りがいたなんて!! あなた、名前は? ……顔色が悪いね? あ、ごめん、失礼だったこれ!! 私もそう、髪色とか、目の色とか、“破滅”の時の雨で変わっちゃって……! じゃなくて、自分のことばっかりだ私……あなたのこと、聞かせて! 話し相手がいなくて声が上手く出るか心配だったけど、大丈夫だった!!」
ヴェストルの困惑は増すばかりだ。吸血鬼のカラーの自分に餌が名乗れと言ってくるのは珍しい。いや、未経験ですらあった。
「初めまして、お嬢さん」
コホンと咳払いをして、牙を大きく剥いて見せた。
「吸血鬼です」
大凡、人ではあり得ない角度で開く口。乙女の柔肌を食い破るのに何の過不足もないと思えるような大きな牙。そこまで見せれば、後はヴァンパイアと哀れな犠牲者の雰囲気が出てくるだろう。そう高を括って捕食者は気取った笑みを浮かべた。
しかし。
「おじさん吸血鬼なの!? そうなんだ……実在したんだね、吸血鬼。でも会話ができてよかった。私の血、吸う? 美味しいかわかんないけど、喋れる程度に残してもらえると嬉しいな……あ、でも痛い? 痛いのはちょっと……私、注射とか全然ダメで……世界が滅んで良かったのは、注射をする必要が二度とないってことだと思ってて。あ、それとも逃げたほうが雰囲気出る……? いーやー! たーすーけーてー!!」
一方的に言葉を浴びせ、芝居がかった演技で逃げる素振りと足踏みをするアオイ。ヴェストルは脱力した。顔を手で覆って。
(やっぱり教会なんかにいる女はロクなもんじゃない。さっさと吸い殺してしまうか。しかしこれではあまりにも風情がない)
彼が残念なものを見る目でアオイを見ていると、少女はにこーと笑ってヴェストルの手を取った。
「おじさん名前は?」
「は?」
「だから吸血鬼のおじさんの名前!」
名前について聞かれると、捕食者は観念した様子で答えた。
「ヴェストルだ」
「外国のひと!?」
「見ればわかるだろ、あと人でもおじさんでもない」
「そういうの気にするんだ……ごめんね?」
彼は目を瞑った。自分が空腹で気が狂って幻覚を見ていることに賭けたのだ。そしてゆっくりと目を開くと。興味本位で自分の周囲を周りながらジロジロ見てくるアオイが実在することを確認し。深く重い溜息を吐いた。
「俺はヴァンパイアで、人の血を吸って殺す化け物で、お前はその餌だ」
「そっかぁ」
侮られている。そう感じた吸血鬼は近くの木製の椅子の手すりを無造作に引きちぎった。
「そっかじゃない!! お前一人、引きちぎって殺すのに何の不都合もない!!」
そのまま見せつけるように手すり部分を雑巾絞りにして木片を撒き散らした。デモンストレーションだ。しかし彼もこれは三下の悪党っぽいと自分の正気を疑った。二度目である。
それをムムムという目で見ていたアオイは。心配そうに相手の顔を覗き込んだ。
「ひょっとしてお腹空いてる?」
「あ?」
「だよね、文明がなくなったから。人がいないし、吸血鬼も大変!」
そう一方的に言葉を浴びせると、彼に背を向けてその場に座って正座した。切腹覚悟のサムライスタイルだ。彼女にとっては、だが。
「吸っていいよ、ヴェストル! 一思いにやっちゃって!」
「やったらお前は死ぬが……?」
「最後に会話できる相手ができて私は幸せだった!!」
(幸せってなんだろう)
半ば宗教じみた自問をしながら、吸血鬼は困惑した。
(ダメだ、ハズレだ。こんなヤツの血が美味いわけがない。俺は誇り高きヴァンパイアだ、こんな世界になっても矜持というものがある)
ヴェストルは死を覚悟した。
(自分の最期は餓死だ。この娘の血を吸ったってそれは避けられはしないが。最後の吸血をこの頭のおかしい娘にしたくはない)
心からそう思ったのだ。
子供の皿から取り除かれたピーマンことアオイは、フラフラと去っていくヴェストルに声をかける。
「待ってよヴェストル! 私の血はー?」
「いらん」
「っていうか置いて行かないでよ、また独りになるじゃん!」
「ついてくるな」
外に出ると、夕闇に染まっていた世界はすっかり夜になってしまっていた。
邂逅。運命の交錯。あるいは、奇跡。
滅んだ世界で、二人の出会いをどう呼べばいいのか。それを知る者はいない。
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