夕闇世界のヴァンパイア

マヌベロス

第1話 滅びた世界のスロー・ダンス

 ある日、世界は滅びる。

 それも、突然に。


 理由は教えてもらえない。泣いても止めてはくれない。何もかもメチャクチャになって、何もかもおしまい。

 それが彼らを取り巻く全てだ。


 青年が夕暮れに無駄にブーツを踏み鳴らしながら歩く。

 彼の名前はヴェストル。ロングコートを着た、背の高い。

 ヴェストルは吸血鬼である。白い髪と真っ赤な瞳さえなければ。普通の、ありふれた、なんてことない成人男性に見えることだろう。

 問題があるとすれば、見る人がもういないことだが。


「…………はぁ、早く落ちろ太陽」


 憂鬱そうに落ちる太陽を睨む。彼は経験則で、これくらいの陽光なら浴びても自身の呪われた体は滅びないことは知っている。ただ、自分の活動を制限している太陽に恨み言を言っても構わないと自分を慰めていた。

 強烈な虚脱感。もう三ヶ月は血を吸っていない。


 吸血鬼である以上、血は吸わなければならない。それは当然、人間の血だ。

 ただ滅んだ世界でそれが貴重品であることを彼は重く……重すぎるくらいに受け止めている。


 どうして人が姿かたちもなく、遺体すら残らず消え去ったのか。

 それなのにビルは傾き、荒れた墓地の墓石という風情を見せているのか。


──この街ごと消え去ってくれていれば、いっそ諦めもつくというものを。


 血を吸えない吸血鬼はアイデンティティをこまめに自らに問う。

 血を吸えないなら吸血鬼はただの鬼じゃないか。冗談じゃない、と。


 この街に来て二週間。人の影を探し続けた14日間。もしかしたら、という考えが足を進めた336時間。

 成果はゼロ。


 彼は『とりあえず赤黒いソーダ水でも残っていたら口にするか』と嘆息し。

 荒れ果てた街でまだ中身がある自販機を探した。


 日本という国はなかなか面白いもので、金と飲み物が詰まった機械が数十メートルごとに外に並んでいる。

 彼はこの国に来た時、目を丸くしたのをよく覚えている。

 もちろん、もう世界に平和も、冷たいソーダ水も、日本という国も残ってはいないが。


「喉の乾きくらいはなんとかしたいよな」


 そう、ヴェストルが最近増えた独り言を口にしながら、街を見渡すと。

 人の声が聞こえた。


 幻聴だ。そんなことあるわけがない。今までも自分の女々しく愚かしい感覚器官に何度も騙されてきた。

 いや、だが。しかし。


 声が聞こえた方向に走る。

 吸血鬼というのは耳が良い。音が聞こえた方向に走ってもなかなかたどり着かない。


 あったのは、教会だ。

 忌々しい十字架も夕陽に照らされて血のような赤。

『椅子と、十字架と、オルガンと──オルガンがあるってことはここは正教会じゃないんだな、じゃない、違う、今は』

 混乱する頭をなんとかまとめ上げて、ヴェストルは教会のドアを音を立てて開く。


 そこにいたのは、制服を着た少女だった。

 少女が驚きと共に振り返ると、淡桃の髪が揺れた。翠の瞳がヴェストルを見て目いっぱいに見開かれ、そのまま両手を広げて走ってくる。


 ヴェストルは一瞬、正気を失った。久しぶりの食事だ。口を大きく開けて、餌に向かって走る。芳しい鮮血の味を彼の舌はまだ覚えていたようだ。それが年頃の娘であるならヴァンパイアにとって申し分もないだろう。


 そして。


 少女はヴェストルに抱きついた。


「は?」


 彼は大口を開けていたので間抜けな声が出る。耳を突いたそれが自分の声だと信じられないという表情で“餌”の顔を見た。


「ようやく見つけたっ! 生き残りのヒト!!」


 涙が滲むグリーンの双眸。感極まった声で自分を見上げる少女。


 こうして二人は出会う。

 どうしようもなく。仕方なく。そしてとびっきり運命的に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る