せつない人魚姫の儚い世界で少女達は楽園の夢を見る…(眠れない夜の残酷童話)

愛野ニナ

第1話


 深夜のカフェで、美月はアユムを待っている。

 午前二時。この時間帯はホス狂いばかり。満席に近く混み合った店内では、皆どこか暗い顔でスマホを見ている。

 アユムからの着信がまだ来てないことを確認し美月はスマホから顔をあげた。

「えっと…?」

 なぜか向かいの相席には黒いゴスロリを着た知らない女の子が、いったいいつからいたのだろうか、美月のことをじっと見つめている。淡い色のビー玉みたいな目をしている。まるで人形のガラスアイ。透き通るような真っ白い肌にゆるく巻いた綺麗な長い髪。それにしても美少女だ。

「誰かわかんないけど…別にいいや。彼氏待ってるんだ私。彼氏、アユムって言うの。お店のミーティング終わったらアフター行くんだ。彼氏の店はね、この近くのホストクラブで」

 唐突に話を始めた美月を警戒することもなく、ゴスロリの美少女は囁くように言った。

「ねえ、あなたの夢をきかせて」

 会話が全く噛み合っていないが美月は気にしない。

「夢?そんなの決まってる」

 アユムを待つ美月は、彼との幸せを夢見ていた。

「ナンバーになったら結婚しようねって言ってくれたんだ。それまでは私もがんばって、アユムを支えるのが私の夢」

「そう、叶うといいね」

 ゴスロリの美少女が静かな微笑を浮かべる。

「あ!アユムからライン来た」

 美月は立ち上がり満面の笑みで去っていった。



 美月と入れ替わるように雨宮ルチルが店に入ってくると店内にいる女達の視線が集まった。サラサラのショートカットにスラリとした長い手足。細身の長身で美少年と見まごうルックスの美少女。

「今の子何?いかにもな量産型」

 席に着くなりルチルが言った。

 テーブルの上で美月が残したパフェが溶けかけている。

 ミヨミはパフェを脇によけると確認もせずルチルのぶんのアイスティーを注文する。

「いいじゃない。誰にだって夢を見るくらいはね。みんながルチルみたいに特別なわけじゃない」

「特別って何だよ。…まあいいけど。それで、やっぱり行くわけ?」

 眉をひそめるルチルの顔には若干の嫌悪感が漂っている。

「別にルチルは来なくてもいいよ」

「そんなわけにもいかないだろ。一緒に行くよ。君は何かと危なっかしいから」

 ルチルの言葉にミヨミは嬉しそうに微笑んだ。

「もしかしたら、ちょっとおもしろいものが見られるかもね」

 その翌日に早速、ミヨミとルチルは二人で行った。ホストクラブには夢の残滓ばかりが漂っている。だが、結晶化できないその残骸は、きれいじゃないとミヨミは思った。


 

 雑居ビルの屋上を月明かりが照らしている。

 コンクリートには白いスプレーで描かれたらくがき。

「HEAVEN」

 かろうじて判別できるアルファベットの文字と、その先に延びた矢印が一箇所だけ破れた金網のフェンスを指し示している。

 美月はその矢印に従って進み、破れたフェンスをくぐり抜ける。

 フェンスと宙の間の数十センチの地面は、たぶん生と死の境界線だ。

 ここから飛び降りれば、「HEAVEN」へ行けるとでもいうのだろうか。この、境界線を一歩踏み出せば?

 眼下に広がる景色は、薄汚い欲望の街。飾り立てたイルミネーションとそこに集まる人々の喧騒。

 美月にとって世界は、この地上は、ただひたすらに生きづらくて苦しい。

 物心ついた時からずっと付きまとう、自分の環境すべてをとりまく違和感。それを誰に説明してもうまく伝わらなくていつしか諦めた。

 美月の地元は北国の海辺の町だった。灰色の空とうら寂しげな海に荒ぶる波が気分をいつも陰鬱にさせた。地元に残れば男は漁師に女は漁師の妻になるしかないようなうんざりするほど時代錯誤な田舎。進学や就職をしたければ都心に出ていくしかなかった。

 美月は高校を卒業する直前に地元から飛び出した。我慢の限界だった。今も故郷に未練など露ほども無い。

 だが、上京はしてみたものの行き先が無い。

 ある時はネカフェ、ある時は神待ち、ある時はわずかな金と引き換えに声をかけてきた男とホテルで過ごした。

 やっぱりここにも居場所なんて無かった。

 どこに行っても世界と相容れない自分。

 美月の心に暗い絶望が広がる。

 …もう死んじゃおう。

 そう思い、飛び降りようとしたビルの屋上で。

 アユムに出会ったのだ。

 酔い覚ましの休憩に一服しにきたと言い、そして。

「俺さ、この下の店で働いてるんだ。話きくからさ」

 虚ろな意識のままに連れられいったホストクラブの眩しさに美月は目を細める。

「どうぞ、お姫様」

 アユムが屈託のない笑顔を向けて美月の手をとった。

 救われたと思った。

 運命だと思った。

 その日からアユムの存在が美月の生きる意味の全てになった。

 でも、ホストクラブの王子様はいつも別の姫を、つまり被りの客ばかりをかまっている。

 美月はもっと稼ぐためにとソープランドで働いた。アユムと幸せになる日を夢見ながら。

 泡風呂に包まれて、まるで人魚姫みたい。仕事中の少しぼんやりした頭で美月は思う。子供の頃にきいた人魚姫のお話を唐突に思い出し、そして納得した。

 そっか、私は人魚姫だったんだ。

 この世界では息することさえ苦しいのも、作り物みたいなこの自分の体の違和感も、それは私が人魚姫だから。

 でも、私は見つけた。

 アユムが私の王子様。この世界でただひとりの。王子様と結ばれたら息することさえ苦しいこの世界も、きっと苦しくなくなるはずだから。

 ソープランドの仕事は心身ともに辛かったが、アユムに会いにいける日を思うことが心の支えになった。アユムはいつも体調を気づかってくれたしメンケアもしてくれた。

 待機中にラインを確認するとアユムからメッセージが入っていた。

「仕事どう?」

「今日わりとヒマ。早く会いたい。ぴえん」

 美月の返信に既読がすぐに付く。そしてメッセージがまた返ってくる。

「俺も会いたいよ。でも美月には無理させたくない。今月もう二百使ってくれたし」

「ううん、だって少しでも早くアユムの夢叶えたいから」

「ありがとう美月。愛してる」

 美月の心に得も言われぬ多幸感が広がる。

「もっと稼ぎたかったら出稼ぎ紹介しようか。保証がついて…」



 それなのになぜ。

 地方の出稼ぎから帰ってきてお城に会いに行ったのに。

 私の王子様はあいかわらず被りの女をかまっている。

 もちろん仕事だとはわかっているけど。

 でも。

 もう耐えられない。

 見たくない。

 私以外の他の女の隣でラスソンを歌うアユム。他の女と同伴をするアユム。他の女とアフターをするアユム。他の女にも優しく接するアユム。他の女に笑いかけるアユム。

 美月は席を立ち、アユムのいる被りの席に向かって歩いていく。美月に付いていたヘルプのホスト達が慌てて引き留めるが意に返さなかった。

「もう死んじゃうから!」

 美月は叫んだ。

 アユムの隣で被りの女の子が美月をじっと見つめていた。淡い色のビー玉みたいな目。どこかで見たことがある黒のゴスロリ、真っ白い肌、ゆるく巻いた綺麗な長い髪。こんな美少女に好意を寄せられたらアユムだって…。

 許せない!

 美月はテーブルの上のアイスペールを掴むと中身の氷をアユムと被りの女に投げつけた。

 店を出て非常階段を駆け上がり美月はビルの屋上へと向かう。

 アユムと出会ったこの場所から飛び降りてやるのだ。そうすればきっと一生消えない記憶としてアユムの中に存在し続けられるだろう。

「美月!」

 背後からアユムの声が聞こえる。

 …追いかけてきてくれた。

 美月の顔が綻びかけたのも束の間、振り向くとアユムの背後に、屋上の入り口であの被りのゴスロリがこっちを伺っている。

 アユムが美月の腕を掴む。

「俺に恥かかせるなよ」

「だって!アユムが本当に好きなのは私でしょ。私が彼女だよ。婚約者なんだよ。だから、きもい客とするの我慢していっぱい働いた。せっかくエースになったのに、他の女なんて呼ばないでよ」

 美月は激昂しその思いをすべてぶつけた。

「仕方ないだろ。仕事なんだから」

「もうホストやめてよ。結婚しよ。私がもっと働くから」

「…お前、いいかげんにしろよ」

  アユムの顔に浮かんだ怒りを見て美月は悲しみが込み上げてくる。

 一緒に過ごす時間の至福と恍惚、そして身を切り刻まれる程に痛い不安と嫉妬が美月の中でめちゃくちゃに、狂ったように駆けめぐる。

 …もうしんどいよ。

 私はただ、私だけを見て欲しかっただけなのに。

 アユムが好きで。

 本当に好きで、好きすぎて。

 どうしようもなかったんだもの。

 だから、私は…。



 雑居ビルの屋上を月明かりが照らしている。

 コンクリートには白いスプレーで描かれたらくがき。

「HEAVEN」

 かろうじて判別できるアルファベットの文字と、その先に延びた矢印が一箇所だけ破れた金網のフェンスを指し示している。

 少女達はその矢印に従って進み、破れたフェンスをくぐり抜ける。

 フェンスと宙の間の数十センチの地面は、生と死の境界線…なのかもしれない。

 少女が二人、ミヨミとルチルは屋上の境界線に並んで立ち、地上を見下ろした。その視線の先には、暗い熱狂を孕んだ人だかりが異様な空気に包まれていた。

 先刻この雑居ビルの屋上で客の女が担当ホストを刺した。刺されたホストは自力でビルの外の路上へと逃げ出し倒れた。周辺にいた人々が通報し、ホストは担架に乗せられ救急車で運ばれ、ホストを追ってきた女は現行犯逮捕で連行されていった。

「こんな事件、最近じゃめずらしくもないな。女もホストもやっぱり量産型。それも軽蔑するタイプのね。他人の気持ちなんか考えもしない自分にしか興味がない男、そんなつまらない自己中男に依存してる自分の価値を他人の中にしか見出せない女」

「でもルチル。ありふれた人達だって夢は見るよ。それが、ありふれたつまらない夢、だとしてもね」

 ミヨミがくすくすと笑う。

「かわいそうな人魚姫。王子様と結ばれて幸せに…なれなかったね。それでも、王子様を刺した人魚姫は故郷の海に帰るのかな。海の泡にもなれなかったみたいだけど」

「…だから嫌いなんだよ人魚姫は」

 どこか演技めいたミヨミの物言いに対して、ルチルの声には悲しみが含まれているかのようでもあった。

「困ったお姫様は君だけでじゅうぶん」

「誰のこと?」

 少女達はわずかに戯れの様な言葉を交わす。

 そして。

 ミヨミは屋上に残されていた血まみれのナイフを拾い上げた。

 王子様を刺したナイフに結晶化する人魚姫の夢。

 満月の輝きは実りの光。

 今夜もまた、叶わなかった夢が美しい結晶となった。ミヨミにはそれが見えた。

「もらっていくね。あなたの叶わなかった夢」

 少女達の頭上を大きな黒い鳥が旋回しながら舞っている。まるで見守っているかのように。

 ミヨミは誰にともなく問いかける。

 ねえ、楽園はどこにあるのかしら。



 *** **** ***



 海の国にいた人魚姫おんなのこは憧れの都会へとやってきました。

 ある日、お城の王子様ホストに出会い恋をしましたがどんなに尽くしても気持ちが伝わらず、王子様は別のお姫様かぶりと結ばれているように見えるのでした。

 心が壊れてしまった人魚姫は、王子様をころせばもう誰にも取られないで自分のものにできると思い、愛を込めてナイフで刺しました。しかし、とどめを刺す前に逃げられてしまいました。

 願いは叶わず。人魚姫は悲しみのあまり海の泡となって消えてしまったのでしょうか。

 その続きは誰も知らないのです。




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