第4話 ホスト受付嬢

 フェミニズムの視点からのホストクラブの経営改革が始まり、大学院生の杉本美紀が、そのリーダーとなった。彼女の一つの提案、ホストに会社の受付嬢を体験させるプログラムが実施され、店で一番のイケメンである空也が挑戦することになった。


 初日、空也はホストそのままの派手な服装と髪型、厚化粧で一流企業の受付に座った。


 コンビを組んだ本物の受付嬢は、彼の見た目に内心驚きつつも、彼の隣で自分の席に座った。彼女は空也の姿を見て、「こんな人に何を教えても無駄だろう」と感じ、すべての業務を自分一人で行うことに決めた。


 「女性客は俺に任せて」と豪語する空也だが、始業時間が来ると、彼の予想は見事に裏切られた。男性だけでなく女性の客も、彼の前には立ち止まらず、本物の受付嬢の前に長い行列ができた。空也の前には、誰も寄り付かない。


 焦りを隠せなくなった空也は、受付嬢が応対している女性に話しかけようとするが、不快な顔をされてしまう。それを見た受付嬢は、彼に対して「あなたはニコニコしながら座っていればいいのよ」と軽く注意する。


 受付嬢は電話応対、来客対応、アポイントの管理など、テキパキと業務をこなしていた。彼女の動きはスムーズでプロフェッショナル、電話の取り次ぎ一つをとっても的確で、来客に対しては常に丁寧で穏やかな笑顔を絶やさなかった。その様子は空也とは対照的で、その差は明らかだった。


 空也は自分が受付として全く役に立っていないことに気づき、焦りとともに少しの屈辱を感じ始めていた。彼はホストとしての自信と誇りを持って、この仕事に挑んだが、実際には全く違うスキルが必要だったのだ。彼の焦りは深まり、どう動いていいのか分からないまま、彼は、ただ座っているしかなかった。その間も、受付嬢は彼を気にすることなく、一人で受付業務を完璧にこなしていた。



 空也は受付嬢のアドバイスに従い、ロビーの一角にある受付カウンターで、丁寧な笑顔を絶やさずに座っていた。彼の目の前で、一人の女性が通り過ぎながら振り返り、友好的に手を振った。空也も、彼女に向けて親しみやすい笑顔で手を振り返す。しかし、彼の前で立ち止まって仕事を頼む人は、誰もいなかった。


「何か手伝えることはないですか?」と空也が受付嬢に申し出ても、「大丈夫。あなたはニコニコと笑って、座っていて」と優しく断られた。空也の笑顔は徐々に力を失い、彼の表情には焦燥が浮かんできた。


 しばらくして、一人の中年男性が堂々と受付に近づいてきた。男性は空也を一見して、「ここは一体、何をしてるんだ? ホストが、なぜ受付にいる?」と怒り気味に質問した。空也は戸惑いながらも何とか説明しようとしたが、男性は更に声を荒げ、不満を露わにした。この状況に圧倒された空也は、体調不良を訴えて、その場を離れた。


 受付嬢は、空也が去った後、もう彼が会社に戻ってくることはないだろうと思った。



 受付嬢の予想に反して、空也は翌日、会社のロビーに再び姿を現した。


 今日の彼は、違っていた。サラリーマンらしいシンプルなスーツに身を包み、髪は黒く短く整えられており、化粧は、ほとんど感じられない自然な状態だった。彼の、この変化に、受付嬢は目を丸くして驚いた。


 社内を歩く空也に、すれ違う社員たちが好意的な反応を示すようになった。「空也さん、頑張ってますね」といった声が、彼にかけられた。空也は自分に対する、これらの反応に戸惑いつつも、ほっとしたように微笑んだ。


 ロビーに戻ると、彼の変化は来訪者にも気づかれ始めていた。いつもの受付嬢の前には相変わらず長い行列ができているが、空也の方にも視線が集まるようになっていた。彼に近づいてきた来訪者たちが、親しみやすく声をかけてくる。「大変そうだけど、頑張ってるね」という言葉が、空也にとっては不思議だった。


 来訪者が、ひと段落したとき、空也は不意に自問自答するように、「俺、頑張ってるのかな?」と受付嬢に尋ねた。彼の言葉に受付嬢はクスッと笑い、「見た目も頑張りのうちよ」と、温かい言葉を返した。



 夜の煌びやかな街。キラキラとネオンが光る中、空也は昼間のサラリーマンの格好のまま、ホストクラブへと足を踏み入れた。彼の姿は一際異彩を放ち、他のホストたちは驚きの声をあげる。


「おい、空也。そのスーツはなんだ?」一人が笑いながら尋ねた。空也は、にっこりと笑って、「例の会社の受付から、そのまま来ちゃったよ」と答えた。


 店内は、彼の変わりようにざわつき、姫たちは興味深げに空也を見つめた。テーブルに着くと、空也の大ファンである一人の姫が言った。「空也くん、今日も最高。いつもと違うけど、頑張ってるんだね?」


 空也は、彼女の言葉を不思議に思いながらも微笑んだ。「ありがとう。俺、頑張ってるみたいだね……」


「空也くんが頑張ってるんだもん、私も頑張る!」彼女は嬉しそうに、高いシャンパンを注文した。これが、歌舞伎町の姫たちの「頑張る」なのだ。


 空也は内心、疑問に思っていた。今までの派手な衣装と髪型、メイク。ホストとして容姿を磨いてきた努力は、頑張っていなかったのだろうか。彼はサラリーマンの装いで、この世界で「頑張る」ということを、改めて考えていた。


「ねえ、空也。明日も、そのスーツで来るの?」


「どうするかなあ……」



 翌日、会社の受付に立つ空也は、いつものホストの微笑みを浮かべながら、静かに時を過ごしていた。しかし、彼の存在は、ただの飾りではなく、じっと観察し、学んでいた。隣の受付嬢が忙しく動く中、彼は、その手際の良さ、言葉遣い、対応の仕方を注意深く見ていた。


 昼が過ぎ、訪問客の波が一段と高まり、行列は伸び続けた。ついに、我慢の限界に達した一人の訪問者が、空也に声をかけた。「すみません、こちらの書類を……」空也は瞬時に立ち上がり、少し緊張しながらも、覚えたての業務を開始した。隣にいる本物の受付嬢は、ハラハラしながら自分の業務を続けた。


 空也は、一つ一つの仕事に慎重に取り組み、分からないことがあると、すぐに受付嬢に相談した。彼の真剣な態度に周囲は感心し、彼に任せた訪問者も満足した様子だった。


 その夜、昼間の受付嬢と彼女の同僚が、空也のホストクラブを訪れた。空也を見つけると、彼女たちは興奮気味に話し始めた。


「空也くん、昼間は本当にカッコよかったよ。あなたの頑張り、すごく感じた!」


 空也は嬉しそうに笑い、「あなた方のサポートのおかげで、頑張れました」と応じた。


 女性たちは彼の努力を称え、少し贅沢なシャンパンを注文した。店内は、和やかな雰囲気に包まれる。空也は、その夜も多くの姫たちに囲まれながら、彼らにとっての「頑張る」を体現し続けるのだった。

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