第5話 ホスト家政婦

 ホストクラブの煌びやかな照明の下、杉本美紀と支配人の龍彦は、あるイベントを企画した。彼らが目指すは、ただの夜の華ではない、多才で魅力のあるホストの育成だ。そこで始まったのが「ホスト料理コンテスト」だった。


「今夜は、みんなで新たな才能を発見しよう!」


 龍彦の声が響き、ホストたちは、腕に自信を持つ料理を次々と披露していく。熱気と切磋琢磨の空気が店内を満たし、姫たちも、その情熱に引き込まれていく。


 シェフ帽を斜めにかぶり、エプロン姿で火に向かうホストたち。彼らは普段の華やかなスーツ姿からは想像もつかないほど真剣で、それぞれが工夫を凝らした料理を競った。


 中でも「煌めきのシュン」ことシュンは、彼の得意なフレンチ・オムライスが評判を呼び、見事に優勝した。


 龍彦はシュンをステージに呼び、「おめでとう、シュン。君の料理技術、明日からは昼間も使ってもらうよ。ホスト家政婦第一号としてね!」と発表した。


 会場は一瞬の静寂の後、驚きと笑いに包まれる。シュンは目を丸くし、「え、まさか……家政婦って、本当ですか?!」と困惑の声を上げた。しかし、そのショックを受けた表情が、かえって姫たちの心を掴み、拍手と笑い声が響いた。


 美紀は微笑みながら、この改革がホストたちにとっても姫たちにとっても、新たな魅力となると確信していた。彼女は「皆さんの日常に、もう一つの輝きを。それが私たちの目指すホストクラブの姿です」と語り、新しい挑戦のスタートを告げる。


 家事代行サービスを兼業するホスト。シュンは渋々ながらも、翌日からの新しい仕事に臨むことになる。



 シュンは、薄暗いアパートの玄関で深呼吸をし、ホストとしての顔を脱ぎ捨てた。彼が訪れたのは、シュンの同僚・レンを担当にしている姫の家だった。


 シュンは、作業着で台所に立つ。彼の手際は良く、包丁が野菜を刻む音だけが時間を告げていた。彼女は隅に控えめに座り、時折、感心したように見守っていた。


 ホストが、他のホストの姫を奪うことは許されない。料理を作る間、二人の間には妙な緊張感が流れていたが、それは徐々に和やかな空気へと変わっていった。


「ありがとう、シュン。美味しそうなものを、こんなに作れるなんて」と彼女は言った。その言葉に、シュンは少し照れくさいように微笑んだ。彼にとって、感謝される仕事は新鮮で、心地よいものだった。


 作り置きの料理が冷蔵庫に並ぶと、彼女は報酬を手渡した。「本当に、ありがとう。また頼むからね」と言って、彼女は満足そうに笑った。


 シュンは「こちらこそ、ありがとうございました」と返す。彼は部屋を出る際、ふと思った。彼女はホストクラブでホストに、どんな感謝の言葉を投げかけているのだろうか。


 夜の街に消えていくシュンの背中は、もう一つの彼の世界へと戻る準備をしていた。



 シュンは家事代行サービスを終え、キラキラと煌めくホストクラブでの夜の仕事に戻った。そこに彼の日中の顧客である女性が現れた。彼女が担当にしている、レンが別の客をもてなしている間、シュンはヘルプとして彼女の席についた。二人の間には、昼間の出来事を知る者同士の、何とも言えない気まずさが漂っていた。


 彼らは昼間の出来事には触れず、無理に会話を続けた。しばらくすると、レンが席に加わった。シュンと女性は互いに一瞥を交わし、昼のことは内緒にすることで了解した。罪悪感を抱いているのか、女性はレンのために高価なシャンパンを注文し、彼の売り上げに貢献した。


 店内にはシャンパンコールが響き渡り、レンもシュンも女性の名を呼んでは称えた。これがホストの世界における、感謝の表現なのだ。


 女性は店を出るときに、レンの魅力を称えたが、「ありがとう」という言葉は口にしなかった。彼女が去った後、シュンは一人、静かにたたずんでいた。昼間、彼女が家事代行の彼に言った「ありがとう」が、心の中で鮮明に蘇る。それは夜の世界では聞けない、新鮮で心地よい言葉だった。



 シュンは、ある家庭から家事代行サービスの依頼を受けた。家に到着すると、彼を待っていたのは無愛想な父親と、同じく無愛想な小学生の兄弟だった。父子家庭なのかも知れない。母親の話は振らないように気をつけようと、シュンは思った。


 シュンが料理を始めると、幼い兄弟が彼に何かを言いたそうな視線を送っていた。シュンが話しかけると、兄の方が「お兄ちゃん、ホストなんでしょ?」と小声で尋ねた。シュンが「そうだけど……」と答えると、さらに幼い弟が「お母さんを返して」と訴えた。その言葉に、シュンは衝撃を受けた。


 続いて、兄の方がシュンに母親の写真を見せた。彼は写真の女性を見て、息を呑んだ。彼女は、彼の働く店の客であり、またもや同僚のレンを担当にしている姫だった。シュンは混乱しながらも、咄嗟に「知らないなあ。見つけたら、連絡するね」と嘘をついた。


 父親も子供たちもシュンの言葉に、ほんの一瞬だけ期待を見せたが、すぐにがっかりした表情に変わった。


 シュンは料理の作り置きを終えて、その家を出た。静かな通りを歩いている彼の心の中は、今日の仕事が終わったことの安堵感と、この家族に何もしてやれなかったという無力感とが交錯していた。



 夜、煌びやかな照明が彩るホストクラブには、普段と変わらぬ賑わいがあった。しかし、この夜は少し特別だった。例の幼い兄弟の母親が店に来たのだ。他のホストに先を越されないよう、シュンは素早く彼女のテーブルに向かった。


「ホスト家政婦のシュンです」とシュンは、わざとらしく自己紹介し、彼女を笑わせる。彼女は笑顔になり、すぐにシュンの噂を持ち出した。「シュンくん。ホスト料理コンテストで優勝したんだって? どうしてそんなに料理が上手なの?」彼女の興味深そうな目がシュンを捉えていた。


「俺、小さい頃に母親を亡くして、ずっと弟と妹の面倒を見てきたんですよ」と、シュンは優しく微笑みながら答える。その瞬間、彼女の目には共感の涙が浮かんだ。「偉い!」彼女は、心からの賛辞を送った。


 彼女は次第に心を開き、自分の話を始めた。家事や育児に追われ、誰からも感謝されず、常に一人で全てを背負っている孤独感。そんな彼女の満たされない承認欲求が、ホストクラブへと彼女を導いたのだった。


 本来の担当ホストであるレンがテーブルに来たとき、彼女は涙を流していた。レンは驚き、何が彼女を、そこまで悲しませたのかと心配した。シュンは、彼女の話に耳を傾けながらも、内心では葛藤していた。彼女が家庭に戻ったら、店とレンの売り上げは下がる。しかし、一方では彼女の心の安寧を願う気持ちもあった。


 シュンは彼女を優しい目で見つめながら、言葉を選んだ。「大丈夫ですよ。ここに来れば、俺たちがいますから」


 彼女はシュンの言葉に救われたように、少し安堵した笑みを浮かべた。その夜、彼女は少し元気を取り戻して、店を後にした。

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