第6話 子どもホスト

 夜が更けるホストクラブの控え室。静まり返った空間に、蓮の怒声が響く。


「あの母親を家庭に戻してやれだって? 俺の売り上げは、どうなるんだよ!」


 怒りで顔を歪める彼の姿は、普段の洗練されたホストの面影からは程遠い。


「十分、稼いでるじゃないか。レンは凄いよ。でも、あの人の本当の笑顔を取り戻してやりたいんだ」


「シュン、お前、売れないからって、俺に嫉妬してるだろ?」


 その言葉にシュンは深く傷つきながらも、表面上は平静を保った。シュンは、ゆっくりと息を吸い込み、自分の過去を話し始めた。


「俺は、小さい頃に母親を亡くして、ずっと弟と妹の面倒を見てきたんだ。寂しくて、辛かった。母親が生きていてくれたらって、何度も思った。俺には、あの子たちが他人とは思えないんだ……」


 レンは動揺した表情を見せるが、すぐに怒りを取り戻す。


「わかったよ。勝手にしろ。その代わりに一発、殴らせろ」


 レンの拳は震え、目は怒りに燃えていた。シュンは静かに目を閉じ、覚悟を決める。レンは力いっぱいシュンの顔面を殴り飛ばし、そのまま店内に戻っていった。


 床に倒れたシュンは、痛みに顔を歪めながらも、ゆっくりと立ち上がり、静かに窓の外を見つめた。



 ある日の昼下がり。シュンは例の無愛想な父親と、その息子たちのために、料理の作り置きを始めていた。キッチンは、忙しなくも和やかな雰囲気に包まれている。


 彼は料理をしながら、依頼主である父子に手伝いを求めた。予想外のことに戸惑いながらも、父親も息子たちもシュンの指示に従って作業を始めた。


「じゃあ、これをこう切ってみて。そう、その通り!」


 シュンの声が、キッチンに響く。皆、初めての作業に手こずりながらも、シュンの優しく丁寧な指示に従っていた。


「ありがとう。みなさんのおかげで、早くできましたよ」とシュンが感謝を伝えると、無愛想だった父親の顔にも僅かながらの笑みが浮かび、子供たちは得意げに笑った。


 作り置きが終わると、今度は父親と息子たちから、シュンへの「ありがとう」が返ってきた。家の中は、明るい雰囲気に包まれた。


 シュンは家を出る前に、「これから、秘密の練習を始めますよ」と告げた。父親も息子たちも、何のことかと首をかしげながらも、シュンの提案に興味津々の様子だった。



 母親が酔っ払って家に帰ると家の中は、まるで小さな祭りのように飾り付けられていた。壁には手作りの飾り、テーブルには色とりどりの花が飾られ、家全体が暖かい光で照らされている。


「姫様、おかえりなさいませ」と、幼い兄弟がホスト風の言葉遣いで出迎える。母親は、その突然の出来事に笑ってしまった。


「お飲み物は、いかがなさいますか?」と続ける子どもたち。


「お水をもらおうかな?」と、母親は答えた。


 兄が「お水いただきました!」と叫びながらキッチンへと駆けていく。その後ろから、普段は無愛想な父親が、ゆっくりとやってきて、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、グラスに注いだ。全てはシュンによる「秘密の練習」の成果だった。


 子どもたちは、ホストクラブのシャンパンコールを真似て「お水コール」を始める。彼らは得意げに「姫」をもてなす。


 母親は、彼らの演出に心を動かされ、笑いながらも涙を浮かべた。


「お母さんを、許してくれるの?」


 母親の目に映る家族の姿は、いつもとは違い、温かく、明るく、愛情に溢れていた。彼女は、自分の大切な場所に帰ってきたことを実感した。



 翌朝、家は朝日で明るく照らされていた。久しぶりに、母親は台所に立ち、家族全員のために手の込んだ朝食を作っている。彼女は丁寧に目玉焼きをひっくり返し、トーストを焼き、フルーツをカットする。テーブルには、彼女の愛情が込められた様々な料理が並んだ。


 家族は久しぶりに揃って食卓を囲み、食事が始まる。父親と息子たちは美味しそうに食べ、顔には笑顔が広がる。


「ごちそうさま」と、家族が声を揃えて言う。


 さらに父親が「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えると、息子たちは「姫、ありがとうございました」と、おどけた言葉を投げかける。


 母親は嬉しそうに「姫じゃないでしょ。お母さんでしょ」と笑いながら嗜めた。


 母親は、いつものように忙しい一日を始めるため、会社に向かった。彼女のスマートフォンには、レンからの営業メッセージが届いている。メッセージは、恋心を匂わせるような怪しい文面だった。しかし、彼女は返信せずにスマートフォンをしまった。


 終業後、彼女は一刻も早く家に帰りたいという思いでいっぱいだった。オフィスを出ると、彼女は迷わずに自宅へと足を進める。家に近づくにつれて、彼女の歩みは速くなり、心は軽くなっていく。


 家に到着した母親がドアを開けると、再び温かい家庭の光景が目に飛び込んでくる。昨夜のような特別な飾り付けはないが、家族が一緒にいるだけで空間は暖かく、穏やかな気持ちにさせられる。彼女は家族に囲まれ、普通の日常が幸せであることを、改めて感じるのだった。



 ホストクラブの煌めく灯りの下、シュンはレンのテーブルを賑やかにしていた。レンの毒舌とシュンのいじられキャラが絶妙に絡み合い、客たちは心からの笑いと共に豪華な夜を楽しんでいた。


 シュンは、この場所で自分が演じる役割を、心地よく受け入れていた。彼にとって、これもまた彼の生き方の一つなのだ。


 翌日、昼近くになってシュンは、ゆっくりと目覚めた。彼の部屋には柔らかな日差しが差し込み、静かな朝の余韻が残っている。午後からは、彼の副業である家事代行サービスの仕事が控えていた。そんな中、ふと故郷の母親に電話をしたくなった。


 懐かしい故郷の母親の声が、聞こえてくる。彼女の声には変わらぬ愛情と、少しの不満が混ざっていた。


「あんた、東京で料理の修行なんて、いつまでやってるの?」


「あんたは、ひとりっ子なんだから、早く帰ってきて定食屋を継いでくれなきゃ……」


 彼女の言葉は小言のようでありながらも、シュンにとっては故郷の温かい記憶と結びついていた。彼は微笑みながら、母親の声を聞く。母親の小言が逆に彼を安心させ、彼に力を与えてくれる。


 彼にはホストクラブのキラキラした夜の世界だけではなく、もう一つの大切な居場所があるのだ。


 電話を終えたシュンは、ゆっくりと身支度を整え、家事代行サービスの仕事に出かけるのだった。

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