第7話 女性ホスト


 深夜の高級クラブでは、ママが一人、パソコンの画面に映る数字と睨めっこをしていた。


 時折、眉をひそめながら帳簿に記入する手が止まる。


 そんな静寂を破るように、ドアをノックする音がした。


「失礼します」


 部屋に入ってきたのは、新人ホステスの杉本美紀だ。


 彼女は、緊張した面持ちでママに向かって言った。


「ご相談したいことがあります。私、ホストクラブのホストになります……」


 ママは驚き、彼女を、じっと見た。


 美紀は、今まで見たこともないようなスーツに身を包んでおり、その姿は、まるでロングヘアーをなびかせる、美少年ホストだった。


「私は、あなたを一人前のホステスに育てようと頑張ってきました。その結果が、これですか?」


 美紀は静かに「申し訳ありません」と言った。


 彼女の目からは、涙がこぼれ落ちていた。


 ママは立ち上がり、厳しい声で「もう二度と私の前に顔を出さないで」と言った。


 その言葉は、美紀の心を刺すようだった。



 泣きながら、部屋を出る美紀。


 残されたママは、彼女の去った後も涙を流し続けた。



 数日が過ぎ、高級クラブの雰囲気は一変していた。


 ホステスたちは自由に男装やスーツ姿で接客をするようになり、クラブは新たな魅力を放っていた。


 常連客の一人である、フェミニズム研究者の沢木教授が訪れて、変わり果てた内装とホステスたちを見渡した。


「ずいぶんと雰囲気が変わったね……」

彼は、感心しながら言った。



 沢木教授とホステスたちは、新しいスタイルのクラブについて語り合った。


 ママの表情にも、少しずつ笑顔が戻っていった。



 杉本美紀は、研究だけに留まらず、実践を重んじるタイプの大学院生だ。


 彼女は、フェミニズムについての研究を活かして、ホストクラブの世界に一石を投じることを決意した。


 その方法は、自らが女性ホストとなり、ミキという源氏名で男性が支配するホストクラブの伝統に挑戦することだった。


 ミキは、男装をしてホストクラブに現れる。


 彼女の着るスーツは、シャープでエレガント、男性的な魅力を漂わせながらも、どこか女性らしい柔らかさが残る。


 その独特な魅力が、訪れる女性客たちを惹きつけていた。



 彼女が担当するテーブルには、いつもとは違う空気が流れていた。


 他のテーブルでは、男性ホストたちが姫たちと、いつものように疑似恋愛のやり取りをしている中、ミキのテーブルでは、ガールズトークが花盛りだ。


 化粧の話、仕事の悩み、恋愛相談など、女性たちは自由に語り合っていた。


「ねえミキ、どうやったら、そんなにカッコよくなれるの?」


 ある女性が尋ねると、ミキは笑って答えた。


「自分を信じて、自分らしくいることかな?」


 その言葉に、テーブルの周りの女性たちは共感し、笑顔が広がった。



 一方、店の他の男性ホストたちは、この新しい空気に戸惑いを隠せないでいた。


 彼らは、ミキと彼女のテーブルが作り出す女子会のような盛り上がりを見て、自分たちの存在が脅かされているように感じていた。


 しかし、彼らには、それをどう変えられるかの手立てが見つからない。



 夜が更けるにつれ、店内は、さらなる賑わいを見せた。


 ミキのテーブルは、笑い声でいっぱいで、他のテーブルとは一線を画していた。


 ミキは、自分が目指すホストクラブの新しい形、女性が自由に自分を表現できる場所を少しずつ、しかし確実に作り上げていたのだ。



 ミキは、店の奥の事務所に足を踏み入れた。


 そこには、龍彦が待っていた。


 彼は、かつてのホストとしての雰囲気を残しつつ、今では支配人としての厳しさも身につけている。


 彼とミキは恋人同士だが、今は、あくまで仕事の話が中心だ。


「ミキ、君は人気はある。だが客単価が低いんだ……」


 龍彦は直接的に、問題を突きつけた。


 ミキは、それを否定できない。


 彼女の姫たちは、確かに他のテーブルと比べると、控えめな注文しかしていない。


 ミキは、心の中で苦悩した。


 彼女は姫たちに大金を使わせることに抵抗を感じていたが、店の利益には貢献しなければならない。



 店内に戻ると、その違いは一目瞭然だった。


 男性ホストたちのテーブルでは、豪華なシャンパンが次々と開けられ、ホストたちは、それを姫たちから振る舞われる。


 一部は、飲まずに瓶を割る、派手なパフォーマンスをしている。



 その一方で、ミキのテーブルは穏やかだ。


 彼女の姫たちは、自分たちで飲むためのリーズナブルなお酒を注文し、あとは楽しい話に花を咲かせていた。


 彼女たちの笑顔を見ていると、高価な酒を注文して欲しいとは言えなかった。



 そんなある日、新しい女性客がミキのテーブルにやって来た。


 彼女の名前は絵里子。


 ネットでミキのことを知り、彼女に会うためだけに足を運んだという。


 絵里子は、周りのテーブルと同じように、ためらうことなく高価なシャンパンやサービスを次々と注文した。


 店内は彼女のシャンパンコールで一気に盛り上がり、ミキも、その中心で輝いていた。


 絵里子のおかげで、ミキは一人前のホストとしての自信を深めた。


 この太客を逃すまいと、彼女を特別なアフターに誘うことにした。



 水族館は静かで、朝日が水槽を照らしている。


 ミキと龍彦は、ゆっくりと展示を巡っていた。


 ミキの目は輝き、彼女の口からは熱心な言葉が流れ出る。


「見て、龍彦。このシーホースは変わってるの。オスが卵を育てるんだよ?」


 ミキが指差す水槽には、踊るように泳ぐシーホースがいた。


 彼女の声は、興奮に満ちていた。


「フェミニズムの観点から見ると、これは性別の役割に対する挑戦だね。通常、母性はメスに関連付けられているけど、この子たちは全く逆なんだ」


 龍彦は、興味深く聞いていた。


 彼の顔には、ミキの話に対する好奇心が浮かんでいる。


「へえ、それは面白い。ホストクラブの改革の参考になるかもね?」


 ミキは微笑んだ。

「ホストクラブの世界でも、男女の役割は変わっていかなきゃ。私たちも、そういう変化の一部なんだよ?」


 二人が次の展示に向かうと、深海魚のセクションが現れた。


 ミキは、不思議な形をした魚を指さした。


「深海では、サイズや形でオスとメスを見分けるのは難しいんだ。外見だけで判断するのは、私たちの世界でも同じ。見た目に惑わされず、その人自身を見るべき」


 龍彦は、うなずいた。

「ミキの言う通りだね。ホストも姫も、見た目だけで判断するのは良くない」



 そんな二人の姿を、水槽の向こうからスマートフォンのカメラが、こっそりと捉えていた。


 撮影しているのは、見知らぬ人物。


 彼らの自然な様子や、水槽に映る美しい光の中でのデートを、その人物は静かに収めていた。



 ミキは、アンコウの水槽の前で立ち止まり、その説明をした。


「アンコウはね、オスがメスに吸着して、ほぼ寄生生活を送るの。これもまた、一つの生存戦略なんだ」


 龍彦は笑いながら、冗談を言った。


「ホストと姫の関係にも似てるな?」


 ミキも、笑いながら答えた。

「でも、本当の意味でのパートナーシップは、お互いに依存しないこと。私たちも、そうあるべきだと思う」



 その瞬間も、スマートフォンのカメラは彼らの姿を捉えていた。


 二人が次に、どんな展示を見るのか、どんな話をするのか、そのすべてが静かに記録されていく。


 しかし、ミキと龍彦は、そのことにまったく気づかないでいた。



 ホスト好きの女性たちのための掲示板の画面が、ミキの目の前に広がる。


「あいつは支配人の女だ」


 この無神経なコメントに、彼女は深くため息をつきながら、キーボードを叩く。


「私は私。誰のものでもない」


 ミキはコメント欄に打ち込み、送信ボタンを押した。


 ホストクラブの彼女のテーブルでは、いつものように女子会が開かれていた。


 今夜は、ミキの恋バナが話題の中心だった。


「ミキ、支配人さんと付き合ってるって本当?」


 ある姫が興味津々に尋ねると、ミキは軽く笑った。

「うん。でも、それが私を変えるわけじゃないから」


 他の姫たちも、それを聞いて、「カッコいい!」「素敵!」「いいなあ……」と賑やかに盛り上がった。


 しかし、その中でも一人、絵里子は異なる様子を見せていた。


 いつもとは違い、彼女は静かで大人しい。


 ミキが彼女に視線を送ると、絵里子は目を逸らし、俯いてしまう。


 その変わりように、ミキは動揺した。



 店が閉まる頃、ミキは絵里子をアフターに誘ったが、彼女は静かに断った。


「ごめん、今日は帰るね」


 ミキは、彼女を店の前まで見送った。


 夜風が、二人の間に吹き抜ける。


「ミキって、付き合ってる人がいたんだね。私、もう来ないかもしれない。さよなら」


 ミキは何か言葉を返そうとしたが、言葉が見つからない。


 絵里子は、去っていってしまった。



 彼女の姿が夜の闇に溶けていくのを、ミキは、ただ静かに見送るしかなかった。


 店のネオンライトが、彼女の寂しげな表情を照らし出していた。

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