第2話 超高学歴ホステス

 居酒屋のカウンターで、杉本美紀と龍彦は日本酒を互いのお猪口に注ぎ合いながら、親密な会話を交わしていた。二人の間には、いつの間にか打ち解けた雰囲気が流れており、タメ口での会話が自然と交わされていた。


「美紀みたいな子なら、体なんか売らなくても、稼げる仕事があるよ?」と、龍彦は話し始めた。


「どんな?」美紀の声は好奇心に満ちていた。


「俺の知り合いに、インテリのオヤジが集まるクラブをやってるママがいてさ。ホステスを学歴で採用してんの」と龍彦が説明すると、美紀は驚いた表情を見せた。


「私はフェミニストなんだから。男の人にお酌なんてできない!」美紀は、そう言いつつも、龍彦のお猪口に日本酒を注いでいた。


 龍彦は彼女の矛盾した行動に困惑しながら、「フェミニズムを研究するために、ホストクラブに来たんだろ? ホステスを経験しても、何か発見があるんじゃないかな」と提案した。


 美紀の目が輝いた。「それいい。頑張る!」と、彼女は意気込んで言った。その切り替えの早さに、龍彦も驚いてしまった。


 翌日、美紀はママの面接を受けに、そのクラブへと向かった。面接は、高級感あふれる雰囲気の中で行われ、ママは美紀の学歴と知性に感心している様子だった。彼女の穏やかながらも堂々とした態度が、ママの好印象を呼んだ。


 美紀は無事に採用され、先輩ホステスたちのヘルプから仕事を始めることになった。彼女にとっては、まったく新しい世界だったが、フェミニズムの観点からの新たな気づきを求め、一歩一歩、その世界へと足を踏み入れていった。



 高級クラブのホステスとしての初日。美紀は、先輩たちの接客技術と客層のレベルの高さに圧倒された。彼女は様々なテーブルにヘルプとしてつきながら、先輩ホステスたちが繰り広げる会話の深さに感嘆していた。


 あるテーブルでは、中年の紳士と若いホステスが量子コンピューティングについて熱く語り合っていた。「量子ビットは、同時に1と0の状態を取れるんですよ。これが実現すれば、計算能力は桁違いになります」とホステスが言った。


 紳士は興味深げにうなずき、「量子コンピュータが実用化されれば、現在のセキュリティシステムも、根本から見直しになるだろうね」と応じた。


 別のテーブルでは、ポスト真実とメディアについての討論が行われていた。「現代社会では、フェイクニュースが広まりやすいんです。どうやって信頼性のある情報を見極めるか、それが問題です」とホステスが指摘した。


 客の一人が答えた。「確かに、情報源の確認は重要だね。特にソーシャルメディアでは、一つの嘘が瞬く間に広がってしまうから」


 美紀は次に、グローバル化と文化的アイデンティティについて話し合っているテーブルについた。「グローバル化は世界を繋げる一方で、地域の文化やアイデンティティが薄れる危険もありますよね」とホステスが言った。


 客が答える。「まさにその通り。しかし、デジタル時代には、その地域独自の文化を世界に発信するチャンスも増えている。バランスが重要なんじゃないかな」


 美紀は、これらの会話を聞きながら、自分も先輩たちのようなホステスになりたいと強く思った。


 知的な会話ができるホステスとして、お客様に喜びを提供したい。


 彼女にとって、このクラブでの経験は、ただのアルバイト以上の意味を持ち始めていた。



 その夜、高級クラブに一人の男性客が入ってきた。美紀は、その男性が沢木教授であることに気づき、驚愕した。


 フェミニズムの研究者が、ここにいるなんて。先輩ホステスとともに沢木教授のテーブルに近づくと、彼は美紀を見て目を丸くしたが、彼女が夜の装いに身を包んでいるため、すぐには彼女の正体を判別できない様子だった。


「初めまして、ミキです」と美紀は故意に初対面を装って自己紹介し、沢木教授をさらに混乱させた。沢木教授は内心で彼女の正体を確信しつつも、気づかないふりをすることにした。


「この沢木先生は、世界のフェミニズム研究の第一人者なのよ」と先輩ホステスが美紀に教授を紹介すると、美紀は積極的に話に加わった。「前からフェミニズムについて興味があったので、教えてください」と彼女は沢木教授に頼んだ。


 沢木教授は、予期せぬ質問に少し動揺したが、冷静を装って答えた。「フェミニズムは女性の権利と平等を主張する重要な学問です。私たちは、その理念を社会のあらゆる分野で実現していく必要がありますね」


 美紀は、さらに質問を続けた。「こういう、女性が男性を接待するお店は、フェミニズム的にみて、どうなのですか?」沢木教授は、この質問に戸惑いつつ、自分の密かな楽しみを正当化するような答えを試みた。


「まあ、このような場所は、お互いの同意のもとで行われているわけですから、個人の自由の範囲内ですね」と、沢木教授は言葉を濁した。


 先輩ホステスは沢木教授の困っている様子を面白そうに眺めていたが、やがて笑いながら美紀に言った。「そこはつっこんじゃダメよ。お客様を楽しませるのが私たちの仕事だから」



 翌日、心臓がドキドキする中、杉本美紀は沢木教授の研究室へと向かった。夜のアルバイトのことで叱られるかもしれないという不安が彼女を包んでいた。しかし、扉を開けると、沢木教授は意外にも暖かい笑顔で迎えてくれた。


「杉本さん。あなたのホストクラブに関する研究報告書、再度、読んでみました。非常によく纏まっていて、感心しましたよ。あなたが請求した全額を、研究費として認定しようと思います」と教授は言った。


「それって、口止め料ですか?」


 沢木教授は、少し苦笑いを浮かべながら答えた。「フェミニズムを研究している私が、夜のお店で女性を侍らせているなどと知られたら、あまり良いことではないと思うのですよ……」


「先生は、そんなやましい気持ちで、あのお店に行かれてたのですか?」美紀の質問に、沢木教授は答えることができなかった。


 美紀は堂々と言った。「先生のことは口外しませんが、私がホストクラブで使ったお金は、自分で働いて返します。また、お店にお越しください。プライベートでまで、私の顔なんて見たくないでしょうけど」


 してやったりという顔を見せて、美紀は研究室を後にした。沢木教授は彼女の去った後、窓の外を見ながら深く考え込んでいた。「杉本美紀とは、あんな冗談を言える女性だっただろうか」と彼は思った。


 沢木教授は一人で机に向かい、彼女の研究報告書を再度開いた。彼女の言葉が心に残り、彼は自分自身の研究と信念について、もう一度考え直す必要があると感じていた。



 騒がしい音楽と歓声に包まれたホストクラブの一角、杉本美紀と龍彦は店の隅にあるテーブルで、静かに語り合っていた。店の喧騒から少し離れた、この場所は、二人にとっては一時の安息のようなものだった。


「ママから聞いたよ。美紀、仕事頑張ってるんだって?」龍彦が穏やかな声で尋ねた。


「龍彦のおかげだよ。感謝してる。あなたの方は、どう?」美紀は彼に感謝の意を示しつつ、彼の近況に興味を持って尋ねた。


「俺か。この前、代表から、ホストを引退して店の支配人にならないかって言われてさ」と、龍彦は少し寂しげに答えた。


「ホストやめるの? もったいないよ……」美紀の声には、心配の色が滲んでいた。


「俺みたいなゴツい男は、もう流行らないんだよ……」


 龍彦は苦笑いを浮かべながら、店の壁に掛けられたホストたちの写真を眺めた。そこには、アニメやゲームの世界から抜け出てきたような美少年たちの写真が並んでいた。


「接客業で、女性的な容姿ばかりが求められるのって、不公平じゃない?」美紀はフェミニズム的な視点から、その状況を問題視した。


「出たなフェミニスト」と龍彦は笑ったが、彼女の言葉には一理あるとも感じていた。


「龍彦。もう一度、ナンバーワンを目指そうよ」と美紀は提案した。彼女は龍彦のプロデューサーにでもなったかのように、作戦を練り始めた。


 龍彦は、今夜の話題ができてよかったと思いながらも、美紀の真剣な様子に少しの不安も覚える。二人はホストクラブの喧騒の中で、密かな計画を立て続けた。

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