第1話 よくある話③
「あんたがね」
風に煽られながら、エリザは飛んでくる岩に銃口を向けた。
翡翠色の左眼に赤い稲妻が走る。
灼けるような痛みと共に、それぞれの岩に赤い光点が浮かぶ。
発砲、発砲、発砲――!
放たれた38口径の弾丸が、三つの岩を貫き粉砕する。
弾丸はほとんど勢いを殺さぬままガープの頬と左足の脛を掠め、右腕を穿った。
「ちぃっ!」
撃たれた右腕を押さえながら、ガープが後退る。
「敵に下心向けてるからそうなるのよ、このエロゴリラ」
大岩の上に着地すると、エリザはガープ一味を睥睨した。
エリザの左眼――20年前、彼女がクリフハート=ライゼンによって埋め込まれたその眼は、かつて神々がこの大地に封じ込めた魔神グラノクスの眼だと言われている。
その魔眼はあらゆる物の急所を見抜く。
急所が見えるからと言って、それを撃ち貫くことができなければただの宝の持ち腐れだが、エリザは既にその技術を体得している。
正確に射貫くことも、敢えて外すことも、彼女にとっては同次元の行為である程度に。
「このクソアマぁ! 野郎共、かまうな! ぶっ殺しちまえ‼」
号令に合わせて手下どもが一斉に銃を放つ。
エリザは張り付くようにして岩の上に伏せてそれをやり過ごした。
下から放たれた銃弾は岩肌を穿つか空を切るかで全く当たる気配がない。
エリザは岩の上から手下共の手を次々撃ち抜いていく。
「モブの大将みたいなセリフ吐いてんじゃないわよ」
「お前はそのモブにタマぁ捕られるんだよ‼」
顔を真っ赤にしたガープが魔術を発動してエリザを岩ごと宙に浮かせた。
ぐるりと岩が回転し、彼女の姿が岩の側面に導かれる。
岩壁に貼り付くような格好で耐え忍ぶエリザ。
一斉に銃口を向けるガープ一味。
そこへ、
「いい眺めだな、相棒」
白狼――ロディが浮かぶ大岩の上へと足を下ろした。
「バカ! なに余裕ぶっこいてんのよ! さっさと引き上げて!」
手を伸ばすエリザ。しかし、ロディは「ふん、」と鼻を鳴らして、
「そういえばさっき、俺お前に撃たれたなぁ。危うく死ぬところだった」
手を差し伸べるどころか、岩壁に虫のように張り付くエリザを、アイスブルーの瞳で見下ろした。
「え、ちょっと……? 何を言って……」
「いい機会だ。ちょっと痛い目見た方がいいんじゃねぇの? そしたら
「うるせぇええ! さっさと助けろぉお‼」
その美しい毛並みの前足を引っ掴み、エリザはロディを引きずり下ろした。
ほぼ同時にガープ達が一斉に銃をぶっ放す。
けたたましい銃声。
岩肌に張り付く二人に何百という銃弾が牙を剥く。
「くたばれやぁあああ‼」
勝利を確信したガープの声が轟く。
刹那、青白い閃光が全ての輪郭を飲み込んだ。
強烈な陽射しで照らされているはずの荒野に、鋭い冷気が駆け抜ける。
銃弾が岩肌を抉る音と、チャラチャラと何かが地面に落ちる音。
そして、身も心も凍て付くような風音。
何が起きているのか分からず硬直するガープ一味に、世界の輪郭が戻ってくる。
無残な姿のまま浮かぶ岩の前に、呆然と浮かぶ人影。
彼らをたった一人で追い詰めた麗しの祓魔士――エリザだ。
しかし、その姿は、異形のソレだった。
彼女が持つ銀の
狼の口が大きく開き、その奥底から覗く銃口に、青白い光が収束している。
「あ、悪魔だ……」
誰ともなく、声を漏らした。
融合した右腕もさることながら、エリザの顔も人間のそれとは異なっていた。
若草色に変色した左眼は爬虫類のように縦に瞳孔が開かれ、左耳は笹穂型に尖り、顔面を何かが這いずるように脈打っている。
「さぁ、懺悔なさい」
左眼から血涙を流し、エリザはガープ一味を睥睨し、狼の口を地上へと向けた。
臨界点に達した青白光が、一条の光となって迸る。
光は大地に刺さると、吹雪のような風音を掻き立てて膨れ上がり、辺り一帯を飲み込んだ。
廃墟とその周囲を飲み込むほどに膨れ上がった光のドーム。
それはやがて、陽炎のように揺らめきゆっくりと消えていった。
光が消えた後に現れたのは、全てを氷で飲み込まれた白銀の世界だった。
うっすらと白む大地に、エリザが静かに足を着ける。
異形の右腕が発光し、融合が解ける。
ガープ一味は、そのことごとくが氷柱の中に閉じ込められていた。
「あば、あばばばばばば……」
首から下を氷漬けにされたガープが、ガチガチと歯を鳴らしながら恐怖の眼差しをこちらに向けている。
「な、何なんだお前ら……何なんだその魔術は……⁉ そんなでけぇ魔力持ってて、なんで
「さぁ、なんででしょうね」
いつにも増して白く憔悴して見える顔に、エリザは自嘲的な笑みを張り付けた。
一歩、また一歩と近付くその姿は、濃紺のローブに身を包んだ死神そのもの。
「来るな……来るなぁ‼」
己の運命を悟ったガープが泣き叫ぶ。
魔術を発動させようと何度も魔力を漲らせるが、何かに吸い取られるように体から抜け出てしまう。
ガープの前に立ったエリザが、その顎に銃口を押し当て――
――発砲!
生ぬるい風の中で、軽く乾いた銃声が鳴り響いた。
エリザのものではない。
その証拠に、ガープの顎には風穴一つ空いていない。
当の本人は銃声を聞いて失神してしまったようだが。
「う、うう、動くな!」
ガタガタと震える銃口。引き攣った声。
そこに立っていたのは、依頼人のオラリオだった。
「ガープを開放しろ! そいつには、この先も金をもらわないと困るんだ‼」
よくある話だった。
辺境区に住む者達のほとんどが、その血縁に魔族がいる者達だ。
薄れているとはいえ魔族の血が齎す頑強な体が、過酷な環境下でもなんとか彼らを生かしている。
しかし、その生活は貧しい。
そんな彼らの生活を救っているのが、ガープのような悪党がばら撒く〝目溢し料〟だった。
「あんた、こいつらが女売ってるの、知ってたでしょ?」
「……」
オラリオは口をつぐんだ。
視界の端で、ロディが救出した女たちが力なく座り込んでいる。
別々に売られていくはずだった母子がひしと抱き合う姿もあった。
「……じゃあ、どうすれば良かったのですか? 諦めて、娘を殺せと?」
濁った灰色の眼でオラリオはエリザに訊ねた。
「娘を医者に診せました。郊外区にある街に行って。でも治すには手術が必要だと。とても高額な、私たち辺境民には手が出せない金額です」
震える声でオラリオは続ける。
「薬だって、決して安くない。手術ができないなら娘には薬を与え続けるしかない。でもそんなお金をいつまでも工面し続けられるほど、ここでの生活は甘くないんですよ」
干上がった大地と容赦なく照り付ける陽射し。
夜は冷たい風が吹きすさび、作物も育たない。
月に二度来る配給車には街で売れ残った粗末な物しか並ばず、十分な栄養価の食事とは程遠い。
それでも彼らがこの土地を離れないのは、ここでしか生きられないから。
聖域の外では魔獣が跋扈し、街に引っ越せば魔族の血が混じっているというだけで法外な市民税を支払わされる。就ける仕事も過酷なものばかり。
彼らに残された運命は、この天候に晒されて緩やかに死ぬか、頑健な体を酷使して死ぬか。
300年の月日の中で成り上がった者もいなくもない。
だがそれは、その者に才覚があり、それを発揮する運に恵まれたからだ。
力も運も持たぬ弱者は、耐え忍び、強者に縋って生きていくしかない。
その強者が、たとえ悪魔だったとしても。
それが、辺境に生きる者達の――魔族の血が流れる者達の宿命であった。
「私はまだマシな方だ。私はコイツが撒いた金を村の皆に分配しています。私腹を肥やさず、皆の生活が少しでも楽になるように活かしています。だから……」
「『だから見知らぬ誰かが犠牲になっても関係ない』って?」
エリザの翡翠色の瞳が、まっすぐにオラリオを捕らえた。
「こうするしかないんです。娘を生かすためには」
「そう。別にいいんじゃない?」
「え?」
エリザの返答に、オラリオは呆気に取られた。
「それが正しいと思うなら、撃てばいい」
そう言って、エリザはオラリオに歩み寄る。
一歩、また一歩と近付くたび、オラリオの震えが大きくなる。
「ほら」
銃身を掴むと、エリザは己の胸に銃口を宛がった。
「これで元通りよ」
そう、エリザは静かに告げた。
先ほどから片時も離さない、まっすぐな瞳で。
「あ、ああ……」
オラリオの手が、やかましく震える。
青白くなった顔にじっとりと脂汗を浮かべ、荒ぶる鼓動のまま肩で息を漏らし。
まるで自分に銃口が突き付けられているかのように。
娘の顔が過る。
幼いころは、とてもお転婆な子だった。
いつもそこらを駆けまわり、花のように笑い、家の手伝いもよくする元気な子だった。
病に侵されてからは、血を吐きながら咳をして、落ち着いているときはベッドの中から寂しそうに窓の外を見詰め。
心配をかけまいと、私たちの前ではいつも作り笑いをして。
それでもたまに、こう言うのだ。
「ごめんね」と。
「何もできなくて、ごめんね」と。
その言葉は、私が言うべきセリフなのに‼
「あああああああああ――……ユナァあああああああ‼‼」
慟哭と叫びの中に娘の名が迸る。
オラリオが引金を引くと、乾いた銃声が青い空に響いた。
「やればできんじゃん」
「へ……?」
あまりにも軽い調子で言われ、オラリオは瞑った眼を恐る恐る開いた。
エリザは目の前に立っていた。
その美しい顔に似合わない、白い歯をニッと剝き出した豪快な笑みを湛えて。
その胸に、弾痕はない。
呆気に取られているオラリオに、エリザは親指を立てて視線を促す。
「え……」
彼女が示したのは、彼が撃った弾の行く末だった。
ガープを捕らえた氷柱の、胸のあたり。
分厚い魔氷の壁に穿たれた9mm弾が、金色に煌めいた。
当のガープは、まだ白目を剥いて失神している。
「『ただ乞い縋るだけの者に、神は奇跡を齎さない』」
独り言のように、エリザはその言葉を口遊んだ。
「『神が奇跡を齎すのは常に、己の運命と真摯に向き合う者だけ』なんだってさ。本当、ケチよね」
オラリオの肩を叩き、エリザは背を向けて歩き出す。
「おい」
その背を呆然と眺めていると、ドスの利いた声が上から降ってきた。
「は、ははは、はい!」
「あいつらのこと、任せていいか?」
アイスブルーの瞳がギロリとこちらを睨め付けている。
「え、あ……」
「どっちなんだ、あぁ?」
「は、はい‼ 責任を持って送り届けます‼」
「ならよし」
そう言って、黒髪の男――ロディもオラリオの肩を叩いてエリザを追う。
「あ、あの……」
去っていく二人の背中に何と声をかけていいか分からず、オラリオが言い淀んでいると、
「最初に言ったでしょ、あたしは
「あの、それって……」
「2000万あれば足りるでしょ? 娘さんの手術」
後頭部を搔きながら、そうエリザは答えた。
「……ッ!」
その返答に声も出せず、頽れるようにして大地に額を付けたオラリオは、両手を組んで礼の言葉を繰り返した。
それに背を向けたまま、二人は歩き出し、
「あ……」
その場で凍り付いた。
地に伏して祈るオラリオの元へと戻り、その肩を気まずそうに叩く。
「あ、あのぉ~……」
鉄屑と化した愛車を指さし、その祓魔士はバツの悪そうな苦笑で顔を歪めるのだった。
「車、一台もらえない?」
♰
陽炎が揺らめく荒野を、一台の車が駆け抜けていく。
ところどころに錆の浮いた、パステルブルーの軽トラック。
運転手は男。艶やかな漆黒の髪を風に弄ばれるまま流し、サングラス越しに輝くアイスブルーの瞳で変化の乏しい赤茶けた地平をじっと見据えている。
「『ただ乞い縋るだけの者に、神は奇跡を齎さない』だったか? お前も修道者らしいこと言うんだな」
男――ロディは、サイドボードに足を投げ出して座る女に訊ねた。
「まぁねー」
頬杖をついて窓外の景色を見るでもなく見ながら女――エリザは、あの言葉を自分に授けた人物のことを思い出していた。
〝いいですか、エリー。ただ乞い縋るだけの者に、神は奇跡を齎しません〟
駄々をこねる自分に、その人物は優しく諭す。
〝神が奇跡を齎すのは常に、己の運命と真摯に向き合う者だけです。つまり、ここにある宿題を片付けず駄々をこね続ける貴女に、神は自由という奇跡を齎してはくれないのです〟
今思えば、かなりオーバーな例え話だ。
だが、宿題を片付けると、彼はその後の授業を取りやめて自分と遊んでくれた。
あの時の彼も、優しい笑顔を自分に向けてくれていた。
私から全てを奪い、この忌まわしき左眼を授けた憎き復讐相手。
そのはずなのに、未だに彼との甘い一時を思い出してしまう。
そんな自分に腹が立った。
「……あの時、オラリオが撃つって分かってたのか?」
声色から何かを察したロディが話題を変える。
「んーにゃ、最初は撃たないと思ってたわ。あいつの弱点が娘だった間は」
「ほう?」
「だけど変わった。私が銃口を押し当てたあたりかな。あいつの中で、娘の存在が自分を奮い立たせる
エリザの左眼――それはかつて、神々がこの大地に封じ込めた魔神グラノクスの左眼だと言われている。
あらゆる物の急所を見ることができるその眼は、ある程度の知性を持つ者の精神的急所も見せてくる。
人の一番見られたくない部分を否応なく見せてくるこの左眼を、エリザは疎んでいた。
しかし――
「ま、弱さは時として強さに変わるってことよ」
そんなよくある話を口遊み、エリザは仄かに笑った。
D.H.B -Diabolic Holy Bullet- 滝山童子 @TKYM-DJ
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