カクヨムユーザーの皆様ご無沙汰しております。
滝山童子です。
旧年は大変お世話になりました。
2024年は仕事の方が忙しく「物書き活動は本当に中途半端に終わってしまったな」と反省しておりました。
いや、「仕事が忙しかった」というのはただの言い訳ですね。
自分の中で物書きに対するモチベーションと優先順位がとても下がっていました。
その下がってしまった要因の1つが「仕事が忙しかった」というだけで、本当の理由は他のところにあったのだと思っています。
もう何年も前から同じ事で苦しんでいるのですが「読まれないなら、結果が出ないなら意味が無い」「本当に面白い・評価される作品以外は書いても無駄」という気持ちが心の根底のどこかにあって、どんなツラしてるのか分からないような、あるいは存在しない誰かの顔色を伺いながら創作をしていて「これ何が楽しいんだろうな」と思うようになってしまっていました。
でも自分には、仕事以外で自分が何者かを語れるモノが物書きしかなかった。
縋れるモノが物書きしかなかったんですよね。
それが余計に自分の首を絞めていたのかな、持たなくていいプライドを持ってしまったのかな、と今は考えております。
旧年は自分の中でも変化があった年でした。
仕事もそうですが、物書き以外に趣味が2つ増えました。
その趣味と趣味を通して出会えた人達のおかげで、固執していたプライドとか勝手に抱いていた強迫観念から今抜け出せつつあります。
そうして創作から離れて半年ほどが経ち、2025年を迎えた自分が今何を考えているかというと「また書いてみようかなぁ」なんですよね。
正確にはここでお披露目するに至らなかった旧年の作品やアイディアを何とか形にして、公募なりWeb小説なりに投稿したいなという気持ちでいます。
Xをご覧になった方はご存知かも知れませんが、2025年元旦、帰省中に自分はとある挑戦をしました。
実家から20kmほど離れた地元で最も有名な神社まで徒歩で初詣に行ってきました。
G○○gleMapでは片道6時間かかるという道のりです。
これは元々20代後半に人生のどん詰まりに陥った自分が始めたもので、1月1日の午前0時に家を出て、早朝に到着して初詣を済ませ、また6時間かけて下山・帰宅するという行程で行います。熊とか猪とか出るところだったり路面が凍結していたりする山道を真夜中に歩くので普通に危ないのですが、当時の自分は「ここで俺の人生終わっても良いかなぁ」と思っていたので家族には「今こういう状態だからこそ何かをやり遂げて自分に自信を付けたい。これからも生きていかなくちゃいけないんだから」とかそんな薄っぺらい前向き発言をして強行したのが始まりでした。
最初は当時自分の身に降りかかった事やそれに纏わる諸々の感情が頭の中でごちゃごちゃしていて鬱屈とした気持ちだったのですが、歩いているとそんなこと頭の中に残している余裕がなくなるんですよね。
道は合っているのかとか、今自分はどこを歩いているのかとか、山道に入ったら怖いし疲れるし、周囲の景色と自分が目的地に向かって歩いていることくらいしか考えられなくなって、ただひたすら歩くことに没頭できました。
そして神社に辿り着いたときと無事帰宅できたときに物凄い達成感を味わえたんですよね。
図らずも最初に両親を言い包めるためのオベンチャラが現実になったわけです。
この達成感と「八方塞がりでも右足と左足さえ動かし続ければ、ちゃんと自分が向かいたい場所に辿り着ける」という当たり前を元旦に味わいたくて、30歳で膝の手術をするまでは毎年この挑戦を行っていました。
膝の手術をして運動の習慣がなくなってからは「もう若くないんだから」と家族に言われ、自分でもなんとなく「もう無理かなぁ」と思うようになってこの挑戦はいったん幕を閉じました。
多分これくらいの頃からだったんですよね。自分が何かに挑戦しなくなったのって。
仮に何かを始めても結果が出ないと「自分には向いてない」「自分よりも結果を残している人達に自分は太刀打ちできない」「自分がこれをやめても誰も困らない」とか言って本気で取り組むのをやめて。
物書きもこれと似たような状況に陥って、続けてはいたけど全然「本気」で取り組めてはなかったです。でも「もう自分はここでしか自分を表現できない、人と関われない」と思い込んで縋るように創作活動をしたり仲良くなった人に縋っていたり。
正直この2~3年は自分のことをめちゃくちゃかっこ悪いなと思ってました。
そんな自分をどうにかしたくて、初詣チャレンジを今年復活させました。
本当は2024年の元旦も同じ事をやろうとしたのですが、家族に「そんな無茶なことはやめておけ」「もう20代の体じゃないんだぞ」と止められ、「そっかぁ、そうだよな」「そんなことやっても疲れるだけで何の意味も無いよな」と自分の気持ちも流れてしまって。
今年も当然同様に制止されたのですが「いや、今年はやるよ。もう決めたから」と押し切りました。
近年熊の被害が増えつつあると言うことで流石に真夜中の登山は断念しましたが、それでも初日の出からスタートして当時よりも安全な(常に人里を通る)ルートを選んでチャレンジを開始。
歩いている間、いろんな事を考えました。
その全部がなんか小難しいことや高尚ぶったことではありません。
仕事のこととか今日帰ったら晩ご飯何かなとか、旧年の振り返りとか今年はどんな年になるかなとか、めちゃくちゃ腹が痛くて「ウ○コしたい、でもトイレがない、 もう最悪どこかのお宅にトイレ借りるか?いやでもただの不審者じゃん・・・どこかに隠れて致すほかないか・・・」とかしか考えられなくなったりとか、そんな感じです。
今年書きたいと思っている物語の映像が脳内で流れたりもしました。
そんなふうに歩いていると、前回と同様、歩くことに没頭し始めたんですよね。
でも今回はちょっと違って、俺が歩いている道を車が通り過ぎていくのを見て「あの車に乗っている人達は俺のことどんなふうに思ってるのかな」とか今神社に向かって歩いている自分を客観視(?)し始めたんですよね。
もう歩道と呼べる箇所がなくて車道の隅を歩いている自分。
ツーリング趣味の人はバイクだったり最近ではロードバイクも山道を走ってますが、「徒歩」で神社まで向かっていたのは自分一人でした。
その神社に初詣に行くのに最適な方法は「車」。それを選ばずして、よりにもよって徒歩で向かっている自分を、通り過ぎていく人達はどんな風に思っているのかな。
邪魔だなぁ。
何であいつこんな山道歩いてるの?
この辺の人なのかなぁ。
車持ってないの?
わざわざ歩いて行って意味あるの?
こんな感じかなぁ。
確かに、車社会の我が地元において、他の人からしたら山の中腹にある神社まで歩いて行くって意味の無い行為だと思うんですよね。
疲れるし時間使うし。断然車の方が速いし快適だし。
でも、今回俺にとって「速く快適に神社に行く」ことは目的ではないんですよね。
神社まで徒歩で行くことで、俺にしか味わえないメリットがある。
それはどんなに他人に説き伏せても理解されないでしょう。
なんかね、全部それでいいんじゃないかなって思いました。
創作だって理解できない人には一生理解されないでしょう。
書籍化したいなら、結果を出したいなら先人が歩んだ最適解がある。
でも自分はそれで目的地まで行きたいわけじゃない。
G○○gleMapが示した最短ルートじゃなくて、景色がきれいな道を歩きたい。
車じゃなくて徒歩で、流行廃りじゃなくて自分が好きなジャンルで、目的地に到着する行程にも意味を持たせたい。
徒歩だと車よりも速く辿り着けないけれど、めっちゃ疲れるけど。
それでも歩いて行くことに自分は意味を見出してるんだよなと。
なんかそういうことを忘れてたなぁって思いました。
速く目的地に辿り着きたいんじゃなくて、自分がやりたい方法とルートで目的地に辿り着きたい。
車でびゅんびゅん飛ばして自分よりも速く目的地に辿り着く人はいるし「お前そんな方法効率悪くね?バカなんじゃないの?」とヤジ飛ばしてくる奴もいるし、そんな人達が視界に入ることで焦ってしまったり自信を喪失してしまうこともあるだろうけど。
右足を出した後に左足を出す、これを繰り返していれば目的地に辿り着くとは思うから。
「自分のやりたいように、またやってみようかな」と思いました。
そんなわけで今年の抱負です。
今年は〝文武遊全道〟で行きます。
文:10万字以上の長編新作を一本公開・もしくは公募投稿
それとは別でオセロニアの二次創作〝ノベロニア〟作品を出す
武:バスケットボールで40歳までにダンクする
遊:『逆転オセロニア』の対戦イベントで旧年以上の結果を残す
この3本柱を頑張ります。
小説投稿プラットフォームは今まで通りカクヨムを使うかなろうに戻るかは検討中です。
ですが、投稿・公開するまで一人で黙々と作業するのは自分の性に合わない事が明確に分かったので、自分の創作進捗を相互フォローされている方限定で公開していきます。
プラットフォームはここ https://t.co/VwP1mPqzbS(Xの固定ポストでも飛べます)
こちらで「相互フォロー限定公開」として各作品の進捗を公開していきます。
そこである程度形になったモノをカクヨム・なろう等に公開していきたいと思っているので、滝山にチャチャ入れたい、応援したい、一緒に作品作りしたい相互フォローさんは登録・フォローをお願い致します。
滝山童子史上もっとも長い活動報告となりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
今年はいろんな事に前向きに挑戦していきたいなぁと思っておりますので、どうか温かく見守ってください。
本年もよろしくお願い致します。
滝山童子