第15話 真夜中のタクシー

 深夜一時の駅前のタクシーロータリーは閑散としていた。

 客待ちで停車しているのは私くらいなもので、人影もほとんどない。

 もともとここは終電が止まる駅でもなく、寝過ごした客を拾えるような駅でもなかった。

 それでも私はいつも、この時間になるとこの場所で客を待つ。

 それは二日か三日に一度訪れるかどうか、くらいの頻度でやってくるのだ。

 ウトウトとしていると、タクシーの窓をコンコンとノックする音で目を覚ます。

「今日もよろしくお願いいたします」

「どうも」

 入ってきたのは、銀髪の若い女性だ。少女と言っても過言ではないかもしれない。

 何かしら夜の商売をしているのか、それとも夜遊びをしているのか。

 この少女は時折この時間にやってきては、廃工場が立ち並ぶ人気のないふ頭を行き先に指定して乗車してくるのだ。

 一緒に乗ってくる客もさまざまで、時には有名な女優と思われる女や、大企業の取締役の男にそっくりな人までいるほどだ。もちろん、他人の空似かもしれないが――。

 銀髪の女性とともに乗り込んで来る彼らは皆一様にぶつぶつと独り言を言い、顔色も悪く精神が衰弱しているように思えた。

 有名女優などは何度も繰り返し小さな声で「死、死ぬ、死に、死の――」と不吉な言葉を連呼していた。

 ほかに連れている客も「心の声が聞こえる、頭が痛い」とか「臓器に殺される」であるとか「なんで、どうして『ありがとう』をあと一日はやく……」などなど、意味不明な言葉ばかりなのであった。

 そして女性は、彼らとは一切言葉を交わさない。

 いつも彼らを引き連れるようにして、後部座席の助手席側に座らせ、そのあとはなにひとつ話すことなく静かに座っていた。

 ふ頭までは深夜料金でおよそ一万円未満というところだが、彼女はいつも笑顔を浮かべ一万円札を置いて彼らを連れて降りていく。


 ただ、今日はめずらしく銀髪の女性はひとりでタクシーに乗り込んできた。

 いつものように指定されたふ頭に向かって車を走らせる。

 いつもは奇妙な連れがいるのでそちらに気が向いていたものの、人形のように美しい銀髪の女性と無言の空間を過ごすのも少々気まずい空気であった。

 私は出来るだけ当たり障りのないように、彼女に声をかけてみることにする。

「お客様、今日はおひとりなんですね」

「今日は?」

「いえ、その、いつもはいろいろなお客様とご一緒されておられるので」

 そういうと、銀髪の女性はくふっ、と息を吐き出すように笑った。

「運転手さんはご冗談が上手ですね」

 耳の奥に染みこんでくるような甘く心地よい、それでいてどこか冷たい声――。

「冗談、と言いますと?」

「いいえ、なんでもありません。そうですね、今日は私ひとりです」

「はぁ。あの、いつもふ頭への片道だけですが、お帰りのほうはよろしいのですか?」

「はい。あそこで」

 変わった女性である。

 今はもう使われていない廃工場と、ボロボロのプレハブが潮風で赤くサビついているだけの殺風景な場所である。

 昼間なら好事家が写真を撮りに訪れることもあるだろうが、使われていない工場はまっくらで、夜には本当に何もない場所なのだ。

 それでも彼女は、いつもあのふ頭を指定する。

 不思議には思ったが、深夜のタクシーの乗客にワケ有りなど珍しいことでもない。

 あまり込み入ったことを突っ込んで聞きすぎるのも失礼だし、なにより野暮というものであろう。

 何事も短く返答して終わる女性に、私は結局ロクな会話のアテも見つけられないまま湾岸部へタクシーを飛ばした。

「着きましたよ」

 いつも彼女が指定する、壊れた金網の扉の前でタクシーを止める。

 料金は九千二百円ほどだが、今日も銀髪の女性は黙ってトレイに一万円札を置いた。

 ただ、いつもと違うのは一万円札のうえに一枚の名刺が置かれていたことだった。

「いつもありがとうございます。あの、これは?」

「私の名刺です」

「はぁ」

 確かに彼女が一万円札のうえに置いたものには『脇坂未明』と書かれた名刺があった。

 しかし名刺には中央に名前が印刷してあるだけで、会社や所属、そのうえ連絡先まで記されていなかった。

 どうしたものかと名刺と女性の顔を視線で往復すると、銀髪の女性が口角をきゅっと吊り上げて目を見開いて笑った。

「後部座席のひとたちが、見えたんですよね?」

「えっ、ああ、はい。いつもお連れしている方々ですよね」

「やはり、見えていたんですね」

 耳元に残る甘い声が、静かにその音程を下げていく。

「見えてしまったのなら、次はあなたの番かもしれないから」

「それは、どういう意味で――。いない?」

 ついさっきまで話していた銀髪の女性が、後部座席から消えていた。

 勝手に降車していったのだろうか。

 しかし、私は――後部座席のロックを開けて、ドアを開いていないというのに。

 目の前には、真っ暗な海とふ頭が広がっている。

 束の間、ヘッドライトをつけて彼女を探そうか迷った。

 しかし私は大きく息を吸い込んで、震える手でハンドルを切り今来た道を直ちに引き返すことにした。


 今でもあの駅のそばを通ると、次に彼女と再会した時、何かとてつもない恐ろしいことが起きてしまうのではないかという漠然とした不安に包まれる。

 名前だけ書かれた彼女の名刺は、捨てることがどうしても出来なかった。

 もしもこれを捨てて、再び自分の元に戻ってきたらと思うと、恐ろしくて触れることさえ出来ないのである。

 それっきり、私はあの駅で深夜の客待ちをするのを辞めた。



(了)

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絶望案内人 緒方あきら @ogata-akira

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