コスモスの苑

真留女

妻が逝って2度目の正月

 玄関から郵便受けまで年賀状を取りに行く。そのまま出るのは寒いがコートを羽織る程の距離でもない。これまで映子はどうしていたんだろう、あれの事だからそのまま飛び出していったんだろうな。元旦からエプロン姿で小走りに葉書を取りに行く姿が見えるようだ。まあ、そんな事一度も気にしたことも見た事もないんだが。

 全盛期には輪ゴムを十字にかけてまとめた束がいくつも届いていた。

それを、差出人別に企業と個人に分け、個人の分は昨年のうちに映子が年賀状を送っておいた相手とそうでない分に分けてから、私のところへ持ってきた。

 まず、こちらからは送っていない分を見る。大抵は部下や下請けだからそのままでいいが、たまにすぐ送らねばならない名前があると、映子に渡し、今日中に投函するように言った。何も言わなくてもその分は、次の年に映子が準備する年賀状リストに加えられていた。あれはそういう事が得意であった。多分、好きだったのだろう。


 それにしても今年は随分年賀状が少ない。


 役員定年を迎えた時は半分ほどに減ったがそれでも、もっと来ていたと思うのだが。まあ、昨年の正月は映子の喪中欠礼で空き、今年は映子がいないからこちらからは出していないしなあ。

 会社の人間はやめ時を探していたのだろう。映子との付き合いで送られていた賀状も当然きてはいない。

 そのすべては、私の世界から消え、二度と戻る事はない。

いや、誰もかれもが初めから存在していなかったような気にさえなる。


 今は元旦からコンビニもスーパーも開いているから特に不自由はない、ネットで〝特選〟とあるおせちを買ってみたがどれもこれもまずくて酒の肴にもならない。映子は私の母に仕込まれたおせち料理を死ぬ年まで作っていた。さすがに少しきつそうに見えたが、懐かしい母の味が食べたくて気づかぬふりをしてしまった。

子もなく、親も見送った老夫婦の正月など元々静かなものだったから今の状況も特に寂しいとは感じない。ただ、酒のお変わりの度に席を立たねばならんのは面倒くさい。


 映子は無駄口をきかず、黙々と働く良い妻だった。私も暴力など振るったこともないよく稼ぐ亭主だったと思う。私が映子を泣かせたことはなかったし、映子の涙を見た事も一度しかない。

 あれはまだ結婚数年目の頃、孫の誕生を切望していた私の母に

「一歳年上の女房は金のわらじで探せというけど、三歳年上の女房はどんな履物で探してたら孫が生まれたんだろうか」

 と言われたと泣きながら訴えた。ただの冗談で泣くなと諫めた記憶がある。正直、私も子供は欲しかったが、できない事で映子を責めたことは一度もない。人は与えられた世界で正しく生きて行けばいいのだ。

 そういえば、あれから映子は泣かなくなったし、泣き言さえも言わなくなった。よく分かってくれたのだろう。


 たいした事ではないと思っていた入院であっけなく映子が旅立った後も、死期を予感していたかのような見事な準備に助かった。

 必要な事はノートに書いてあったし、洗濯機も、乾燥まで自動のものに買い替えてあった。残される私に不自由のないようにという心配りが細かなところまで行き届いていた。

 映子は、死期を計れるような病だったのだろうか? なぜ私に黙っていたのか? 聞いたか? いや、私は聞いていないと思う。 

いずれにしろきちんと向き合って話すことは一度もなかったから、ノートだけが頼りだった。

 そのノートに〝葬儀は簡略に、納骨については手配済みなので、下記の電話番号に連絡して指示に従って下さい〟とあった番号に電話した。


 実家の墓は長野にあって、両親はすでにそこで眠っている。我々夫婦もそこに入ればいいのだが、その電話番号は近郊の市外局番だった。

 もしかしたら、墓を継ぐ者もいないから永代供養を考えたのか、後々私が墓参に遠方に出向かなくてもいいようにしたのかとも思いながら、その墓苑『コスモスの苑』の指示通り映子のお骨を持ってむかった。


 応対してくれたのは、時岡という女性職員だった。説明では、墓の形態は共同永代供養墓で預けたお骨は規定の容器に移し替えて土中に直接納骨される。やがて容器は土に溶け、骨もまた土にかえるというのだ。映子はすでに同意の書類も提出し永代供養料の入金も済ませていた。これが最後の望みであるなら、それも良いかと思ったのでお骨を預け、墓に案内してもらった。

 そこは、まるで西洋庭園のような造りの沢山の花に囲まれた場所であった。その一角に大き目のタイルのような四角い石を敷き詰めた場所があり

「こちらをご契約頂いております」

と示された石には小さく赤字で映子の名前があった。

「この石の下に埋葬いたします」

「この石の下に」

「はい」

 赤い文字には映子の強い意志がある気がした。目を中央のプレートにやって驚いた。〝女一人生きて ここに眠る〟とあったのだ。

「あれはどういう意味ですか?」

「こちらは、女性専用の共同供養墓になります」

 なんだって? 今何と言った? 

目に映る木々や花がゆらりと揺れた。


事務室のソファーで気が付いた。

「大丈夫ですか? 何かお薬でも」

「いや、大丈夫です。ご迷惑かけました。少し暑かったようです」

私の問いかけに「お心のうちまでは分かりませんが」と前置きして、時岡さんは映子が契約した時の話をした。

 数年前、映子が地域ボランティアで声掛け安否確認を担当していた一人暮らしの老女が亡くなった。彼女には身寄りもなく、私が死んだらここへ連絡してと頼まれていたこの場所へ、映子はその時初めて来て共同墓の存在を知ったという。

「何度もお墓参りに来られては、ベンチに座ってじっと考えていらっしゃいました。ボランティアでお世話されていた他の独居女性にもご紹介いただき、数名の方にご契約頂きましたので、映子様もお気に召してはおられたのだと思います」

 そこまで言って、少し言いよどんでしまった彼女に私はうなづいて話を続けるように乞うた。

「二年ほど前でしょうか、直接こちらにお越しになって契約をされました。医師より余命宣告を受けたとの事でした」

 「ねえ、ちょっと私だめみたい」と言ったが夫は株のチャートを見ていて返事もなかった。その時心が一気に解き放されたのだと、限りある命が力をくれたと話していたという。私は、妻という職務を完璧に成し遂げる。誰の為でもなく、〝妻〟でしかなかった自分の一生をきちんと終わらせる為に。そして一番望む事をする。「もう、心がワクワクして止まらないわ。嬉しい」と言いながら契約書にサインをしたという。


 分からない、私には分からないが妻の最後の願いを踏みにじる夫にはなりたくなかったから、そのまま遺骨を預けてきた。

 妻の心に何が育っていたのか、それを育てたのは誰なのかいまさら考えても仕方がない。どうせすべては無に帰するんだ。

 それにしても、今年は随分年賀状が少ない。

               

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コスモスの苑 真留女 @matome_05

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