鈴の音のイヴ

川辺 せい

鈴の音のイヴ



 シャンシャンシャン、鈴の音が聞こえたあの夜を思う。似合わないサンタ帽をかぶった彼の面影が、暗い部屋の天井にゆらりぷかりと浮かんで消えた。隣に寝転ぶ横顔に指先で触れて、少しだけ笑う。大人になったらサンタクロースはやってこない。私もずっと、そう思っていた。


 今日は眠れそうにないな、という感覚とは仲良しだから、すぐにわかる。がんばってもどうしたって寝つけない夜というものは、諦めて朝を待つしかない。そういえば今日は、12月24日だった。クリスマスイヴだなぁなんて思う暇もない生活、ひとりぼっちで寂しいなと思えていた時期はとっくにすぎて、今はひとりでいる方が楽だ。私は厚手のダウンジャケットを羽織って、マフラーを巻いた。部屋の電気を消して、鍵を閉める。どこのお店も混んでいるだろうから、今日は夜の散歩といこう。


 煙草の銘柄を覚えてくれているあのコンビニ店員さんは、今日もレジに立っているだろうか。今年もいちごのショートケーキをたくさん売るらしい。ホールケーキは予約制だけれど、毎年受け取りに来ない人がいるから廃棄をもらえるかもしれないと笑っていた。ホールケーキをまるごと食べるのって夢があるなぁと思いながら、私は最寄りのコンビニへ向かう。


「わ、すごい。サンタさんだ」


 レジでせかせかと働いている彼を見つけた瞬間、思わず声が漏れてしまった。こちらに気づいた彼は、恥ずかしそうに笑いながらぺこりと頭を下げる。私は店内をうろついて、適当な缶チューハイを手に取った。


「クリスマスケーキ、売れましたか?」


「結構売れましたね。ケーキ屋さんで買うより安上がりだからってお客さんが多かったです」


「おっ、すごい。お疲れさまです。サンタコスまでするんですね」


「これは、店長の悪ふざけで……野木さんはこれから晩酌ですか?」


 手馴れた様子でレジを操作して缶チューハイといつもの煙草を袋に入れてくれた彼に、「これから散歩」と伝えればびっくりした表情を返される。サンタさんでも、びっくりするんだなぁ。


「危ないですよ、こんな夜に。よかったら、僕と一緒にケーキ食べませんか?」


「え、ケーキ?」


「さっき廃棄になったばっかりの、持って帰っていいらしくて。僕もう上がるので、ちょっと待っててもらえれば」


「私が一緒に食べちゃっていいんですか?」


「もちろん。やりましょうよ、クリスマスパーティー」


 あんまり楽しそうな彼につられて、やりますか、と頷く。にこっと笑った彼には、サンタ服があまり似合っていない。準備してくるので待っててください! とバックヤードへ消えた彼を待つ間、私はコンビニの外で煙草を吸いながら缶のプルタブを起こした。ケーキを人と一緒に食べるのなんていつぶりだろう。


「すみません、お待たせしました」


「お疲れさまです、早かったね」


「ありがとうございます。野木さん、寒くないですか?」


「うん、厚着してきたから大丈夫。というか、その服のままでいいの?」


 彼の頭には赤と白の三角帽子。全身サンタさんのまま。華奢な体格だから、だぼだぼと布が余っている。


「今日は僕が、野木さんのサンタってことで」


「え、どういうこと」


「公園まで、歩きましょ」


 彼のことはなにも知らない。ただよく顔を合わせる店員さんと、客の私。おかしな夜だなと思いながら、全身赤い人の隣を歩く。みんなは今ごろ、クリスマスケーキを囲んだり恋人とイルミネーションを眺めたりしているころ。コンビニしかない若干田舎な住宅街を歩くのは私とサンタさんだけ。


「僕もお酒買ってきたんですよ、本当はシャンパンがよかったんですけど」


「あのコンビニには置いてないですもんね」


 たどり着いた公園のベンチにふたりで腰掛けて、缶と缶をこつんとぶつけ合う。乾杯、と笑った彼の表情に、なんだか犬みたいだなぁと思った。


「犬顔サンタかぁ、アイドルのコスプレみたい」


「へ、犬?」


「ううん、こっちの話」


 不思議そうに首を傾げながら、サンタさんはケーキの箱を開ける。現れた立派なホールケーキに、私は思わず声を上げた。


「ちゃんと、いちごのショートケーキじゃないですか」


「もちろん、ちゃんといちごのショートケーキです。メリークリスマス、野木さん」


「うわぁ、完璧なクリスマスになっちゃった」


「はは、なんですかそれ」


 はい、野木さんのフォーク、と手渡されたのはコンビニでもらえる白いプラスチック製のそれ。不気味なほどずっとにこにこ楽しそうな彼と一緒に、ケーキ入刀ならぬ入フォーク。


「野木さん、今日はどこへも出かけなかったんですか」


「うん、今夜はどこも人が多いから。それに、クリスマスにはあんまり興味がなかったんですよ」


「なるほど。それでコンビニに行ったらサンタクロースと遭遇してしまった、と」


「そう。まさかこの歳になって、サンタさんからクリスマスプレゼントがもらえるとはね」


「プレゼント、ってほどのものじゃないですけどね。このケーキ、結構おいしいですね」


「うん、おいしい。クリスマスも悪くないなぁ」


 謎のサンタクロースとクリスマスケーキ。おいしそうにケーキを頬張る彼の口もとにはちょっとだけクリームがついているけれど、面白いからなにも言わないでおく。


「野木さんって意外と単純ですね」


「その方が楽だからね」


「そういうもんですか?あ、ちなみに小道具もちゃんとあるんですよ」


 彼はサンタ服の大きなポケットから、持ち手の先にたくさんの鈴がついたものを取り出した。


「よく聞いててくださいね」


 シャンシャンシャン、シャンシャンシャン。それは誰もが耳にしたことのある鈴の響き。今にも粉雪が舞い落ちてそうな、トナカイに引かれて走るソリが空を飛んでゆきそうな。


「どうですか? 今夜は僕が、本物のサンタクロースです。手、出してください」


 手渡されたのは、小さな小さなスノードーム。ガラスに閉じ込められたクリスマスツリーの上に、雪が降る。思い出なんかなくても、世界がちょっとだけきらきらして見えてしまいそう。


「野木さん。下の名前、教えてくれませんか」


 人懐っこそうな犬顔をゆるりと綻ばせた彼は、僕の名前は、と口を動かす。その響きを何度も頭のなかで反芻して、名前を呼んだ。白い息が浮かんでは消えて、ケーキの甘さだけがほんのり残る。彼は、私がはじめてこの目で目撃したサンタクロース。私のなかでは本物の、たったひとりのサンタクロースだった。



Fin.

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