雪世

富本アキユ(元Akiyu)

第1話 雪世

俺が俺であることに何の意味があるのだろうか。

そんな正解などあるはずのない事を、時々考えてしまうことがある。

今日も無意味に生き延びてしまった。

もしかすると今夜眠りについたら、俺の人生は終わるのではないか。

もう明日は、やってこないのではないか。

今夜、俺の心臓は突然止まるかもしれない。

そんな事を考える。

明日がやってきたとしたら、俺はまた無意味に生き延びるのだろうか。

なぜ俺は生まれてきたのか。

なぜ俺の心臓は、動き続けるのか。

なぜ? 何のために?

俺は生かされている意味があるのか。


答えなど出るはずがない。

考えても無駄だ。エネルギーの無駄遣いだ。

そう自分に言い聞かせ、考えるのをやめる。


湯船から上がり、タオルで濡れた体を丁寧に拭いていく。

今夜は冷える。今日は、今年最初の雪が降った日だ。

雪が降れば、三年前のあの日を思い出す。


◇―――――――――


三年前の十二月二十四日。

世間はクリスマスで浮かれているが、俺には何も関係もない事だった。

就職活動をするのは、年が明けてからだ。

相変わらず無気力で何の生産性もない一日を送ろうとしていた。

午前中は寝て過ごし、正午を回った頃の時間帯に、ようやくベッドから起き上がる。

いくら俺が無職の身であったとしても、金銭的に厳しい状況にあったとしても、空腹は容赦なく等しくやってくる。

生きとし生ける者全て、空腹が空気を読んで収まることはない。

嗚呼、腹が減った。

貯金の残高も減る一方だが、食わぬ訳にはいかない。

ここで体調を崩し、病気にでもなってしまえば、俺は本当に詰んでしまう。


近所のスーパーに食料を買いに行く為、玄関のドアを開けたらビュッと強風が吹いた。

目に飛び込んできたのは、積もりに積もった真っ白な雪。

雪が降っているのか。ついてない。


寒さに震えながらも、なんとかスーパーに到着する。

今日はこれでいいか。

もやしとカップ麺を手に取り、さっと会計する。

買い物を済ませて帰路に就く。

ようやくボロアパートが見えてきたところで、道に何かが落ちているのに気が付いた。

何だ?

近づくと、そこには男が倒れていた。


「おい、あんた。大丈夫か?」

「うっ……ううっ……」

「しっかりしろ。今、救急車呼んでやるから」

「腹減った」

「……なんだって?」

「もう三日、何も食べてない」

「……とりあえず、うちに来い。このままじゃ二人とも凍えちまう」


男を部屋に連れていき、今買ってきたばかりのもやしが入ったカップ麺を器に移し、作ったラーメンを分けてやった。


「ほら、とりあえず食えよ。生憎、俺の分しか買ってきてないから一個しかねえんだ。かさ増しにもやしが入ってるが、それで我慢してくれ」

「ありがとう……。ありがとう……」


男は涙を流しながら、もやし入りのカップ麺を平らげた。

男にも色々と事情があるのだろう。だがそれを聞くのは、野暮ってものだ。


「それ食ったら帰りな。こんなボロい部屋に住んでるんだから見りゃ分かると思うが、俺も他人の世話焼ける程の余裕もねえし、お人好しでもねえからよ」


男は深々とお辞儀をして、部屋を出て行った。

あー、全く、どうして助けちまったんだろうな。

他人を助ける余裕なんて、今の俺にはないはずなんだがな。


それから年が明けて、日雇いバイトで食いつないで三年が経った。


あれから三度目の冬が来たんだな。

あの男は、どうなったかね。

どこかで野垂れ死んだか、それとも生きてるのか。

まあ俺には関係のない事だ。もう会う事もない。


コンコンコン。

玄関のドアをノックする音が聞こえてきた。


俺の家を訪ねてくる奴なんて、新聞の勧誘くらいなものだ。

しかしこの雪が降る中、新聞屋もご苦労なことだ。


ドアを開けると、そこには、スーツ姿の知らない男が立っていた。


「……誰?」

「良かった。まだここに住まわれていたんですね。三年前の冬、このアパートの前で倒れていたところをあなたに助けて頂いた者です。私、雪世悟と申します」


前は、無精髭が凄かった。

髭がなくなったのと清潔感のある小綺麗な格好をしていたから、全然分からなかった。


「ああ、あんたか。何だ? 何の用だよ」

「あなたにお礼を言いたくて、お伺いさせて頂いたんです」

「別に良いよ。まあその格好からして、なんとか生きてんだな」

「ええ。あなたにご馳走して頂いたあのラーメン。あの一杯が私の人生を変えてくれたんです。あなたに出会えなければ、私は野垂れ死んでいた」

「長くなりそうか? 寒いからまあ上がれよ」

「お邪魔します」


雪世が語ったのは、自身の身の上話だった。

友人の借金の連帯保証人になり、住んでいた家を取られ、仕事は会社の経営不振によってリストラに遭い、ホームレスになったそうだ。

そして途方に暮れていた時、俺のアパートの前で倒れてしまったらしい。

あの後、あのラーメンの味に感動し、ラーメン屋になりたいと思ったようだ。

そして色々なラーメン屋を回り、店で頭を下げた。

個人経営のラーメン屋に土下座して頼み込んだところ、ついに住み込みで働かせてくれるようになったそうだ。

人間、その気になれば、プライドなんて簡単に捨てられるんだと、雪世は熱心に俺に語った。


「私、三年間、朝から晩まで死ぬ気で働き続けました。そして、ついに自分の店を出したんです。あなたに私のラーメンを食べて頂きたいんです」

「悪いな。外食するほどの金銭的な余裕なんてないんだよ。日々の生活でカツカツだよ」

「あの……もし宜しければ、私の店で一緒に働きませんか?」

「えっ?」

「私があなたと出会ったのは、きっと運命だったんです」

「まあ日雇いの仕事も、また探すのも面倒だしな。別にいいよ、働いても」

「本当ですか? よろしくお願いします」


俺は、日雇いバイトよりましだからという軽い気持ちでラーメン屋になった。


それから十年。

雪世と二人で、人と人を繋ぐ温かいラーメン屋。<ラーメン絆>を盛り上げていった。



「おっちゃん、絆ラーメン。もやし増しましで」

「はいよ」


俺は慣れた手つきで、いつものようにラーメンを作る。


「うん、美味い。やっぱりおっちゃんのラーメン最高だな」

「そうか。そりゃ良かった」

「凄いよな。今度は海外出店だろ?」

「まあな」

「今じゃラーメン絆は、ラーメン業界最大手だもんな」

「雪世の経営手腕が凄いんだよ、あいつは忙しそうにあちこち飛び回ってるけど、俺はラーメン作るしかできねえよ」

「でも、いつもラーメン絆のサクセスストーリーには、おっちゃんの話が出てくるもんな。おっちゃんは、伝説のラーメン屋の店主だよ。おっちゃんのファンも多いんだぜ」

「よせよ。俺はラーメン作るだけだって。美味い物食えりゃ、人は幸せなんだよ。俺はそれを提供するだけさ」


そうだ、もっともっと世界中の人達に美味いラーメン食わせてやりたい。

それが俺と雪世の思いだ。


嗚呼、やっと見つけた。

これが……これが俺の……生かされている事の意味だったんだ。

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雪世 富本アキユ(元Akiyu) @book_Akiyu

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