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所有権を手に入れる事ができなければ、よかったのかもしれない。
そうすれば、自らの手で命を終わらせるという「絶大な」自由が残されたまま、相手は生きていたのだから。何よりも、僕が他者の死ぬ権利を手にする事自体、合点がいかない出来事だった。自分で自分を殺すような人間だからこそ、本当の自由を奪われる恐ろしさには理解がある。それを解ってて奪うなんて残酷な真似はしたくなかった。
「偲縒(しよる)」
月明かりの照らす、屋根のない廃墟に立っている、少女とは言い難くなった女の、表情が死の安らぎを超越するほどの希望に彩られている。集まった瓦礫でできた床にぽっかりと空いた部分に、地面が剥き出している。そこに建っているのは四角に粗く削り取られた、縦長の大きな石だった。
僕は一人の女をモニタ越しに眺めていた。もはや、その必要はないのだけれど、遠くから見ている。この部屋は相変わらず緑色の照明が灯されて、およそ生気とは程遠い冥界のようでもある(見たことはないが、感覚で)。
「あの女の“水子(みずこ)”は父親が不明です。調べることもできますが……これは愚問でした。あなたの子ではないのに、一体どうして力添えをしようなどとお考えになられたのですか」
ここに常駐している女は饒舌に語り掛けてくる。この八五〇日余りの付き合いの間で、一向に変わらない鬱陶しさだ。それでもあえて変更点を見つけ出して摘示(てきし)するのなら、「対等」になったことだった。
ゐ舞はもう僕のナビゲーターではない。
「あの子には『生きる理由』が、必要だ」
ある種、それは一人言のようでもあった。過去を思い返すほどに、心当たりがある。だが、僕には自嘲するだけの感情表現がない。与えられた命によって、かろうじて続いているという感覚が強まる。こんな僕が“理由”を説くなんて皮肉以外の何物でもない。
「愚かですね。だけど、あなたらしい」
口では素っ気なく言っておきながら、身を寄せて、腕を絡ませてくる。そこには利害関係だけでは言い表せないものが結び付いている。二年前のあの時、この女が居なければ僕は鹿築ゑ瑠寡と共に「人間側」の救世主として生きていたかもしれない。
「ずっとずっと、隣で支えていてあげる」
ゐ舞は僕と同じ、第二人類だから、食事や睡眠を取る必要がない。お互いがこの場所で会ってから、年だって取っていない。ずっと一九歳のままだ。モニタの向こう側の人たちはわずかにでも老けていく。第一人類足る由縁であり美徳だ。
僕は望んでこの体になったわけじゃない。納得のいく死こそが人に示されるべき至上の幸福だとする考えは揺らがない。あの時、殺したのもそういう人々に限られた。現に、僕みたいな、逝くことで満たされる人間は数多く居る。第二人類みたいな、煩悩にまみれるだけの道楽人形に自ら落ちぶれる事は醜いとさえ思う。
だが、第一人類には「死」が不足している。機械が管理するようになってから、全世界において、おびただしいまでの死体の山が築き上げられた光景はなくなった。本質的な自治は人工知能が行い、人はそれぞれ生きている。生きる理由は嫌というほど持っているみたいに。
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たとえ、死神と罵られようとも、僕にはやるべきことがある。それは命令だからじゃない。既に、この身を縛るような制約もないが、使命感は残された。玄関の鍵を締め忘れただとかいう些事には収まらない、大きな心残りだった。
「……行くのですか」
ささやくような声がする。それに、一度の短い口付けで応える。曇っていた顔が少しだけ晴れる。何も心配する必要はない。僕の生きている目的は一つしかないのだから。
「嫌い」
こうして、考えていることはすべて彼女に筒抜けなのだ。だから、あえて何も言わない。
切実に求められたのであれば、できる限りの報いをその手に与えよう。
粒子航行の力を借りて近くまで転送された後、目的地まで歩いていく。辺りは草木が繁っているばかりで、住宅や繁華街からは孤立していた。そのおかげで夜の空はやけに多くの星が光っている。だれもが近寄る事をやめた区域。そこにひっそりと自宅で暖を取るように、一人の女性が低い体勢になっている。
建物とは名ばかりの残骸に足を踏み入れていく。その音に呼応して、彼女が立ち上がる。
「ミツハル」
顔を合わせるや、すぐに駆け寄ってくる。外見は大人に近付いていても、こういうところを見ると、内心でほっとしてしまう。
会うといつも「子供」の話を夢中になってする。我を失ったように、たくさんの事を話す。それとも、普段の彼女の我こそが失われた我だとしたら、これは本来の我だとも呼べなくはない。
うれしそうにしゃべっている女性の一言、一言に黙って耳を傾ける。満足いくまで話し尽くされた時に、ようやく声を掛ける。
「このままだと、第一人類は直(じき)に居なくなる」
「それはいいことだね。みんな死ねば、それがいい」
無感動に言い放たれる。我を取り戻した女の目は純粋にも、夜の影より冷たい闇が施されて、暗黒物質(正体不明の物質)のような深淵を写していた。
「『やつら』の狙いは、人類の再編。だが、そこには『死ぬべきでない命』も、大勢ある」
「それが、わたしたちに何の関係があるの。遅かれ早かれ死ぬんだから、死なせておけばいい」
「同じ言葉を、偲縒にも、言えるのか」
冷酷に物語っていた人の眼差しが揺らぎを生む。やはり、まだ七〇〇〇日程度も生きていない、いち人間に過ぎない。こういう時、年長者の自覚が勝手に働いてしまうのは不本意だが、都合がよかった。言葉に説得力が含まれる。
夜の静寂が共存する沈黙が支配する。人肌の温もりすらなさそうだった瞳は次第にぬれていく。終(つい)には、膝を着いて、天を仰ぐ。そこには手で触れられないほど広大な場所に自然の星図が張り巡らされている。
「すまない。言い過ぎた」
「……別に、いい。わたしこそ、ごめんなさい。他人がいくら死のうが関係ないって思ってた。でも、『もう』そう思っちゃ、いけないんだった」
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僕は手を差し伸べ、それに伴って脱力していた脚がゆっくりと立ち上がる。しばらく、二人で星空を見上げていた。隣に居るカグラは見たこともないくらいのやさしい目をしていた。
じっと立っていると、服のそでが引っ張られた。
「ねえミツハル、すべてが終わったら、わたしと一緒に居てくれる、わけにはいかないよね」
僕の生きている理由がそう問い掛ける。なくならずとも、やがて目的は移ろう。その果てに、まだカグラの隣に寄り添うべき存在がだれも居ないとしても、僕はそこに収まりたいと考える頭を持ち合わせていなかった。
「理由がない」
「なんの?」
「きみに寄り添って、生きていくための理由が、ない」
感情が乗らない声で身もフタもなく、酷い口振りだったに違いない。そこには悪意ではなく、心から思った様が集約されていた。
「ふふ、仮にあなたとわたしじゃ、相性最悪な組み合わせになるかしらね」
「なぜ」
「あなたは、死ぬことをちっとも怖がらない。わたしは、生きることに期待を持っている」
ああ、それでいい。それがきっといい。
「だけどね、あなたの気持ちもよく解る。死ぬ方がいいこともあるって」
カグラの冷たい目が闇を帯び始めている。この人は死を愛でることもできる。それは生前の僕にもあった淡い憧れ。だが、そこには来てほしくなかった。なぜ、このように思うのかは自分では判らない。こんなにも、最上の死を共有できるはずの間柄なのに。
「わたしはあなたさえ良ければ、いつでもいいのよ。『あちら側』でも偲縒には会える」
「そうはさせない」
「…………」
見詰め合った。時の流れを忘れるくらい、互いに目を逸らすことなく、言語を用いずに「語り合った」。死は尊い。死は美しい。死は心地いい。その通りだと思う。僕が愛し、焦がれる、唯一の安らぎをくれる。甘いいざないが視線を通して、僕の脳髄に注ぎ込まれる。
「ミツハル」
彼女の方から身が寄せられる。体の温かいのが伝わってくる。やせたうちにある母なる柔らかみを伝えている。我が子が寂しい時、不安な時にこそ、安堵を与えられる数少ない概念。それが僕の体に正面から触れている。
「あなたはいつもわたしを大切に思ってくれている。この先もきっと。でも、死んでしまえばもうそんなに頑張らなくていいの」
「僕は――」
「言わなくていいよ。わかってる。けど、疲れたら、いつでも戻ってきて」
カグラは僕を強く抱き締めていた。確かに感じられる鼓動が見えずとも激しくきらめいている。その光が失われるようなことがないように、生きていくのだ。死のささやきが僕たちが連れ去ってしまわないように。
この先に待つのは終極の予兆か、それとも。
おわり
あなたに出逢うまで僕は暗黒物質を食む星彩(仮題) この名前は使用できません。 @RK_org
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