彼の中には怪物がいる

梅里遊櫃

彼の中には怪物がいる

 噎せ返りそうになったあの香りの名前を今の私は知っている。

 振り返ると華やいで、あの時期のことが初恋と呼ぶのなら、私は同じ感情を与えてもらえることなんてないのだろう。


 大学生になりアルバイトで花屋で働いている私は控えめな白い花を見つめた。 

 特に大きくもないその地区に一つはあるだろう花屋で、少し暗めの店内だが、そんなに暗すぎることもなく、控えめで棘のあるその植物を見るには十分な明るさだ。その花を私は象徴としていた。


「バカみたいよ」


 静かに一人の店内に響き、なんとなく気になって受けたこの花屋のためにも、メモとペンを取り花の勉強をし始めた。

 端から順番に、旬を追って。

 そういうことをして一年経ち多少は知識がついたと自負している。

 きっと今花に執着しているのも、その象徴との出会いと別れの時の香りが意識に残っていたからなのだろう。

 ゆっくりと目を閉じ、いたいけにも思えるあの時期に心を溶かす。



 中学一年生の私は無駄な潔癖で学校のドアをハンカチで開けるような生徒だったがそれ以外は普通の学生だったでしょう。

 空は晴れ渡っていて、学校を出るとつける手袋の中は少しじっとりと蒸し暑さを感じて気が滅入ってしまいそうで、でも外すことのできない潔癖さに嫌気がさした。

 道は蒸気を放っていて、私は早く秋にならないか、と恨めしくアスファルトを見つめた。


「お姉さん」


 家の前に着くと同世代の少年がはにかんで私に声をかけた。少し大人びて見えるこの少年は、小学5年生。

 ちょうど一年前、彼の母親に連れられて我が家に挨拶に来た。それ以降何度か遊び相手をしている。


 ハーフだったか、髪の毛が透き通るグレーで、作られた人形のような顔立ちをしている。

 髪の毛は太陽の反射でキラキラと光り、より少年を現実味のないモノへとさせた。

 暑さと少年の髪の毛の眩しさに目を細めると心配そうに少年は覗き込む。


「お姉さん、暑いのは苦手?」


 ガラス玉のような瞳が手袋を見つめ、私に問う。少し後ろめたくて、手袋を取る私はとても臆病者だ。


「好きではないね。でも、夏にしかできないこともあるから好きでもあるよ」

「よかった。僕、今日学校でよく飛ぶ紙飛行機を作ったんだ」

「ゲームとかじゃなくて?」

「そう、色紙をたくさんもらって、試行錯誤しているところ」


 時代錯誤のような少年の無邪気さに私はクラっとした。少年は公園に私の手を引くと、私に向こう側にいて欲しいと言う。


「そんな、狙ったところに飛ぶの?」

「飛ぶように作ったんだ」


 少年は年齢に見合った明るい笑顔で私に告げる。

 それっと投げた紙飛行機、どこに飛ぶのやらわからないそれを見つめた。少年の思惑通りにはいかない紙飛行機は脇道に逸れて、かろうじて私の近くに落ちた。

 取りに行くと駆け足で少年が寄ってくる。


「作り方が甘かったのかな」

「でも、すごく角も綺麗に折れているよね」

「綺麗におる方を教わった。 折り目に合わせてカッターの背で折り目に合わせるんだ!」

「じゃあ、少し作るのに時間がかかりそうだね」

「どうだろうそんなことないけど。色紙はまだあるし、もう少し考えて見る」


 嫌味のない少年の姿はきっとクラスの中でもきっと一目置かれているだろうに、誰かといることがほとんどなく、私によく懐いている。

 きっとまた作ったら持ってくるのだろう。私はその予感をしたし、的中した。



 ある日は飛び過ぎて私の後ろへオーバーに通過し、ある日は私のところまできたら少年の方へと戻っていった。

 そうして、毎日毎日呼び出され、繰り返していくうちに少年からもらった紙飛行機は私の部屋にたくさん溜まっていく。

 ちょうどいい大きさの缶に入れているがそろそろ溢れかえりそうだった。



 そうして一月経った時、少年は白い紙飛行機を作ってきた。白紙のように見えるそれは薄く中が透けて見える。


「それ!」


 投げる少年はいつも通り、この紙飛行機を飛ばし終わったら何をしてあげようか。勉強をした日もあったし、ゲームをした日もあった。

 そんなをことを思いながらぼんやりと眺めていると、私の前でストンと落ちる。

 私は少しも期待しておらずビックリして、拾い上げた。


「やっった!」

「やっと届いたね」


 すっこし、複雑におられた紙飛行機、白い紙の中がうっすらと透けていて、黒い文字が見える。私は興味本位で、綺麗に畳まれたその紙飛行機を広げると「好きです」の一言。


「やっと届いた」


 少年は158センチの私より少しだけ小さい背丈で、私に近寄ってくる。

 笑みが深まり、私は影が近づかないようにと、後ずさる。どの紙飛行機からなのか、一ヶ月を経て夏の暑さはもう消えているのに、私は汗が吹き出るのを感じた。


「秋は夏と同時にやってくる」


 少年は私に言う。

 きらめく髪の毛はグレーではなく銀の色。

 香る匂いは柊。

 金木犀にも近いその香りは控えめなはずなのに私には噎せ返るように感じた。大人びた少年は学校にいる誰よりも妖艶な瞳で私を見つめた。


「でも、もう遅い。 僕はもう帰るよ」


 少年は私を後追いすることなく、一人家へ帰っていった。

 公園に残された私はどうしたらいいのかもわからず、開いたこの紙飛行機を持ったまま、しばらく立ち尽くした。



 そして、その後私はどうにも恋愛ができず何かに怯えるように男性と接触しない女子高を選び、女子大に通っている。

 あの日々は戻ってこない。

 少年はその後すぐ引っ越していった。


 あの夏の日々を思い出すたび、私は後ろを振り返る。

 どこかで見ているのではないかと、考える。男性と関わるたび少年の深い笑みを思い出すのだ。

 きっと私の人生の象徴なのだろう。

 花屋で今日も柊を見る。ひらくドアの音ときらめくグレーは銀の色。缶の中にある沢山の愛は私の永遠の宝物だ。

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