第36話 魔人と聖剣の魔女

 魔獣と化した二人の男の、戦いの火ぶたが切って落とされた。


 互いの性能は今や互角。

 そして、生命の魔剣の祝福を受けた二人には、戦う意志ある限り敗北の二文字は存在しない。

 

 逆に言えば、意志を――人としての意識を失った瞬間こそが終焉の時である。

 魔獣になるとはそういうことだ。


 ガシューが、イリアスがそうであったように、魔獣となり果てれば、そこに人としての自我は残らない。

 奇跡的に二人とも意識を保っているこの状況が、いつまでも続くはずがなかった。

 

 これは自ら死へ向かって突き進む戦い。

 これは互いの存在を削り合う戦い。


 右腕を斬り飛ばす。右足を斬り飛ばされる。

 頭をたたき割る。臓物を貫かれる。


 だが双方とも、その一瞬後には傷口を再生させている。


「ガルガンディウム・ベーオウルブズ!!」

「クレールス・アーデルハイド!!」


 二つの魔剣がかち合い、鍔迫り合いになる。

 

 そこにあるのは敵意だけだった。

 相手を倒さなければならないという義務感。

 それ以外の思いも願いも、ダメージを受ければ受けるほどに削れ落ちていく。

 戦う理由――自分の存在そのものが、意識から剥がれ落ちていく。


「ガルム! 負けないで!」


 少女の声が聞こえた。

 そんなありきたりの言葉に、世界が色彩を取り戻す。

 そうだ、オレはあの子のためにも負けるわけにはいかない。

 

 意識が澄み渡っていく。

 勝つのだ。

 勝って守るために俺は戦っているのだ。

 

 殴り、殴られ、斬り、斬られる。

 壊して、直して、癒して、傷つける。

 穿ち、防がれ、斬られ、防ぐ。

 

 ダメージの過多など無意味なはずの戦い。

 それでも互いに身を守る行動を取ることがある。

 なぜあえてそんなことをするのか?

 

 答えは明白だ。

 これは魔獣としての本能だ。

 

 ガルムは生命を見る視界を改めて認識し直す。

 クレールスという魔獣は竜種をも超える生命力の輝きを放っている。

 眼前に太陽があるかの如くまぶしいその輝き。

 直視するだけで目が潰れそうになる。

 だが、ガルムは必死に目を凝らした。

 

 そして、気付いた。

 眼前の輝きは太陽の輝きなどではない。

 幾億、幾兆もの星々の輝き、その集合体なのだと。

 そして、その中に一つだけ、ひときわ強く燃え上がる赤い星があることに。


「見つけた……」


 魔獣は守る。

 ただ唯一の弱点である魔結晶を。


 感覚的に理解する。

 それは自分の右胸の中心にもある。

 魔獣と化したことで、思考力と理性がこそげ落ちてしまったがため、互いに見落としてしまっていた当然の弱点。

 

 ガルムはクレールスの放つ両の拳を受け止めると、がっぷり四つに組み合う。


「オマエ、見えてないな?」


 【命瞳】と名付けたこの力。

 これはガルムが魔獣と戦うために編み出した力。


 炎の聖剣のようにわかりやすい攻撃手段はなく。

 地の聖剣のように誰かを守れる力もなく。

 闇の聖剣のように多彩な技もなく。

 ただ、騎士としての自分を底上げするだけの力をくれた、生命の聖剣。


 ゆえに、ガルムが魔獣との戦いで生き残るには、この力を鍛えるしかなかった。

 ゆえに、この力はただの騎士が一朝一夕で真似できるような力ではない。

 たとえ魔獣化に用いた魔剣の属性が生命であっても、一朝一夕で使いこなせるようになるほどこの技は単純ではない。


 ならば、勝機はここにある。

 狙うべき場所はただ一か所。

 眼前の男の胸に咲く、紅の星。


「見えているさ! お前の動きなど!」


 クレールスは力任せにガルムを投げ飛ばすと、魔剣を構える。

 ガルムもまた風の聖剣と生命の魔剣、その二刀を構えた。


「――――行くぞ!」


 両者は正面から衝突する。

 クレールスの繰り出す連撃を、ガルムは全てその身に受けた。

 受けながら進んだ。

 左腕を切り落とされ、右足を斬り飛ばされ、それでも止まらない。

 右手で握る魔剣を咄嗟に口にくわえ、左腕とともに取り落としかけた相棒を瞬時に拾い上げながら、腕の再生すら待たずにひた走る。

 

 いつ思考がまた魔獣の本能で上書きされてしまうか分からない。

 その前に、決める。

 

 その必死さに違和感を感じたのだろう。

 クレールスの目が動揺に揺れる。

 

 だがもう遅い。

 すでにクレールスの懐にまで潜り込んでいたガルムは、その胸の中心に咲く紅の華――魔獣クレールスの精髄たる魔結晶を、風の聖剣で討ち貫いた。


 直後。

 ピシリ、と音を立てて砕け散ったのは風の聖剣の刀身。

 だが、ガルムのもとにはもう一振り残っている。


「これで、終わりだぁああああああああ!」


 聖剣イリアスを叩きつけた位置と寸分たがわぬ位置へ、ガルムの半身たる魔剣ベーオウルブズが食らい付く。

 息つく間もない追い打ち。

 一刀目で入れた僅かなヒビが蜘蛛の巣状に広がっていく。

 今度こそ魔結晶を木っ端微塵に砕いた。

 同時に、クレールスの全身にも無数の亀裂が広がっていく。


「何故だ……。私が、クロノミリアがこの程度で……」


 亀裂が全身を覆い尽くした瞬間、赤き魔人は砕け散った。


******


「ガルム!」


 決着がつくなり、ラティアはガルムの元へ駆け出した。


「あ……、終わったぞ……えっと、何がだっけ?」


 ガルムの様子がおかしい。


 それもそのはずだ。

 魔剣の力を身に纏い、魔獣と化して既にかなりの時間が経過している。

 まだ自我はあるようだが、それも辛うじてといったところだ。

 

 虚ろな目には知性の光が乏しい。

 ラティアのことも、目の前にいるから見ているだけのようだった。

 いつ完全に魔獣と化してもおかしくない。


「もう何もしなくていいから、じっとしていて!」


 ラティアは魔女になって五年で、呪いを解く方法へ至った。

 だが、それは方法の一つに過ぎないと、頭の中に残る大魔女の知識が告げている。

 

 体を乗っ取られ、意識を大魔女アイネへと同一化されそうになるのは、人生で最も最悪な経験だったが、この知識を得られたことには感謝すべきかもしれない。

 彼女がその一生で得た知識は莫大すぎて幾つかは既に零れ落ちてしまった。

 だが、これだけは脳裏に刻み込んだ。

 ガルムの体を蝕む呪いを解く方法。

 魔獣と化した体を元に戻す方法。


「大丈夫、落ち着いて……」


 ラティアはガルムの手を取ると、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


(オマエになら任せられるって言ってくれた)


 信頼された以上、その期待に応えたい。

 機材も、材料も足りない。だけど、できるという感覚がある。


「――――鋳造開始」


 ラティアはガルムの体に両の手を当てると、鋳造を開始する。


「――――魔結晶の属性を固定」


 ガルムが今も手に握って離さない魔剣〈ベーオウルブズ〉。

 ガルムの半身と言っても過言ではないその剣をベースとする。


「――――精神性の再現開始」


 ガルムのことは正直分からないことだらけだ。

 それでもわかっていることもある。


「――――魂の再現開始」


 曲がったことが大嫌いで、誰かのために動ける人。

 己の正義に忠実な心。

 多分、それが彼の根っこにあるもの。


「――――工程完了」


 出来上がったのは武骨な剣だった。

 若草色のコアと、まだ色のない透明な刀身。

 これこそがガルムのための剣。


「ここからが本番……」


 呪いを解くには、呪いを封じる力を持つ剣を作るだけでは足りなかったのだ。


 大魔女アイネがガルムの呪いを解いた光景を思い返す。

 アレは剣を介して、呪いをガルムの体に満ちる魔結晶ごと引きはがしていた。

 そして、その引き出した魔結晶をもとに魔剣〈ベーオウルブズ〉を鋳造した。

 つまり、剣はベースとなる道具でしかない。


「ガルム。行くよ……」


 ラティアは先ほどの剣を結晶で覆われたガルムの胸に突き刺し、唱える。


「封印剣〈ベーオウルブズ〉・起動」


 ラティアの言葉を合図に、ガルムの体を蝕んでいる魔結晶呪いが急速に剣へと吸収されはじめた。


 前回はこのまま放置してしまった。それが駄目だった。

 ラティアは封印剣に吸収されていく魔結晶の制御を始める。

 

 魔結晶に役割を与え、剣の形に固定化していく。

 魔結晶呪いは体の末端から中心へ向かって消失していく。

 ガルムの四肢から呪いの証が消え去るまでは順調だった。

 だが、問題はそこからだった。


「……っ、なんて量……ッ!」


 ガルムの体から封印剣に送り込まれてくる魔結晶呪いの量が一向に減らない。

 魔獣と化したガルムの身が抱える魔結晶呪いの量は以前の比ではない。

 毎秒一万の魔結晶呪いを処理しても、それに二倍する量が封印剣に蓄積する。

 解呪に失敗したあの日のように、封印剣の刀身が肥大化していく。

 このままでは容量オーバーで剣は壊れてしまう。


「ここで失敗するぐらいなら……ッ!」


 ラティアは、処理しきれない魔結晶呪いを自分の体に受け入れ始めた。


「――――ッ!?」


 途端、指先が結晶体に蝕まれ始めた。

 体が異物へ変化していく違和感と苦痛に、ラティアは悶えそうになる。

 だが、集中を切らすわけにはいかない。


「ガルムさんは五年も耐えて来たんだ、この程度の苦痛ッ!」

「また……、人の話を聞かずに勝手してんな、このイノシシ女……」


 その一言が、熱に浮かされつつあったラティアの思考を冷やした。


「ガルム!」

「焦るな、オマエならできる……」


 その言葉に、ラティアは一度深呼吸をする。

 そうだ、まだ手はある。


 未だガルムの手にある風の聖剣。

 刃は折れているが、聖剣であることに変わりはないはず。

 

 大魔女にできたのだ。

 今の私にできないはずがない。


「――――並列鋳造開始」


 ラティアは解呪と並行して、もう一振りの剣の鋳造を開始した。

 そして、自分の体に受け入れた魔結晶呪いをその風の聖剣へと流し込んでいく。

 破損した聖剣が、徐々にその輝きを取り戻していく。

 

 自身の体を流れていく莫大な量の魔結晶呪いに、今度は意識が消し飛びそうになる。

 もはや気力との戦いだった。

 

 気絶する前にすべての魔結晶呪いを吸い出せるか。

 魔結晶呪いを制御できずに二人とも死ぬか。

 ガルムの呪いは残すところ、右胸の中心。

 呪いの根源たる、【祝福の結晶】のみ。


「いっけぇええええええええええええッ!!」


 その掛け声が最後の一押しとなった。

 ガルムの右胸を侵す魔結晶が、光り輝く粒子へと変わっていく。

 その光は封印剣の刀身に吸い込まれていき、やがて結晶は跡形もなく消え去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

堕ちた騎士と聖剣の魔女 不知火 詠人 @bonzin17

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画