第35話 二人の騎士
ラティアが倒れ伏していたのは、いったいどれくらいの時間だったか。
数秒だったかもしれないし、もっと長かったかもしれない。
ピクリとも動かなかった少女の体が、むくりと立ち上がる。
「アイネ!」「ラティア!」
二人の男の声が響き渡る。
「ガルム……、ただいま」
そう少女に笑いかけられたのは、呪いによってボロボロになった男の方だった。
男は少女に拳を振り上げる。
「一人で勝手に突っ走ってんじゃねぇよ、このイノシシ女!」
「ごめんなさい」
だが、その拳は苦笑とともに開かれて、少女の頭にポンと置かれただけだった。
「馬鹿な……。アイネは、アイネはどうしたッ!」
「……あの人は、消えちゃったよ」
ラティアの言葉に、クレールスは自身の足を治すこともせず、砕け散った魔剣クロノミリアの残骸へと這いよる。
そして、その残骸に触れた。
クレールスが触れた先から、魔剣の残骸は粉微塵に崩れ落ちていく。
その事実に、クレールスは力なく頭を垂れた。
ガルムはその様子を見届けると、左手を再生させ、風の聖剣を回収する。
魔女が死んだ今、その器であるラティアの利用価値もなくなったはずだ。
もうこいつがラティアを追い回すこともないだろう。
ガルムはラティアに目で合図し、一度この場を離れようとする。
「――――待て、ベーオウルブズ!」
「今はオマエに興味なんかねぇよ。ラティアさえ無事に帰ってくればな」
「いいや……、私には大いにある! あるのだよ……っ!」
ゆらりと体を起こしたクレールスの顔は狂気じみていた。
「貴様は……、貴様だけは絶対に許さん!」
崩れ去った魔剣の残骸をギュッと強く握りしめると、クレールスは叫ぶ。
「生命の魔剣クロノミリアよ! 大魔女アイネよ! まだ生きたいという意思があるならば、我に力を!」
その言葉に応えたか。
魔剣クロノミリアの残骸がクレールスの体へ次々と突き刺さった。
「――――グハッ!?」
突き刺さった無数の残骸達は、クレールスの体の中を這いまわる。
そして、体の中心に集合し、胸の中心に結晶体の華を開かせた。
血のように朱く、暗い花を。
華から生み出された無数の赤い結晶体が、クレールスの体を覆い尽くしていく。
それはガルムに切り落とされた足さえ補い、再構築する。
結晶体は、光の聖剣〈ユースティア〉すら取り込み、金色に輝く聖剣を黒く朱く染めていく。
「嘘でしょ、あれは……っ!」
「魔獣化……。魔剣クロノミリアの残骸の力とでもいうのか……」
魔剣により、人が魔獣になる現象。
だが、そこに顕現したのはドラゴンや獣ではなく、紅の魔人。
全身に赤き鎧のごとき結晶を纏い、暗き光をともした剣を持つ魔人だった。
「――――サァ、決着ヲツケヨウカ!」
ガシャンガシャンと耳障りな音を響かせて、赤い魔人はガルムに近づいてくる。
「ラティア、離れてろ! ――――鎧装、着装!」
言うが早いか、ガルムは風の聖剣が生み出す最強の鎧を纏う。
そして、聖剣の力により自身の速度を極限まで引き上げる。
それに加え、生命の魔剣の力を最大限まで励起。
自身の限界まで身体機能を強化すると、一足でクレールスへ斬りかかった。
音すら置き去りにし、光のごとき一閃。
「……遅イナ」
だが、ガルムの渾身の一撃は、クレールスの左手に難なく受け止められた。
間違いなく全力だった。
だというのに、クレールスに掴まれた風の聖剣はびくともしない。
「クソっ……! ならば……!」
ガルムは生命の魔剣を、聖剣を掴むクレールスの左手へと追加で打ち込んだ。
クレールスの左手がボトリと切れて落ちる。だが、
「……フン」
その左手はすぐに、磁石が引き寄せられるように切断面に接合した。
「……化物かよ」
あの尋常ならざる回復力。
そして、異常なまでの膂力と反応速度。
間違いなく、魔剣〈クロノミリア〉の力を取り込んでいる。
近接戦闘経験のない大魔女ですら、最強の騎士であるガルムと互角に戦うだけの力を与える生命の魔剣。
その力を聖剣の担い手が有すればどうなるか?
その答えがここにある。
だが、ガルムとて生命の魔剣の担い手。
相手のスペックが分かれば戦いようはある。
「準備運動ハ終ワリダ、コチラカラ行カセテモラオウ」
ガルムが瞬きした一瞬だった。
間合いの外にいたはずのクレールスが、一瞬でガルムの眼前に現れた。
「――――速いッ!?」
気を抜いたつもりはない。
だというのに相手の動きをまるで認識できなった。
その事実に、ガルムは戦慄する。
降り注ぐ剣戦。
ガルムは体にムチ打ち、魔剣の力を引き出し、何とかそれをかいくぐる。
だが、これは小手調べに過ぎなかった。
「ドウシタ、ソノ程度カ!」
体勢を崩したガルムへ、打ち下ろしが来る。
回避が間に合わない。受けるしかない。ガルムは防御姿勢をとった。だが、
「――――ガッ!?」
桁違いの膂力。
生命の魔剣で強化されたガルムをも圧倒的に上回る力。
そして、その威力を維持したまま、攻撃は途切れることなく連鎖した。
まともに受けるしかなかったガルムは、一撃ごとに体にダメージが蓄積していく。
態勢を整えることすら許されない。
ガルムは連撃の嵐を前に耐えることしかできなかった。
その体に、鎧に、ダメージがどんどん蓄積していく。
そんなガルムを救ったのは、雨のように降り注ぐ魔術だった。
空間を覆い尽くすように展開した無数の術は、火を、水を、風を、光を浴びせる。
想定外の方向からの攻撃に虚を突かれたか、クレールスの攻撃が一瞬止まる。
ガルムはその隙にラティアの前まで駆け付け、その体を抱えてると駆けだした。
「馬鹿野郎! 離れてろって言っただろうが! テメェが狙われたらどうすんだ!」
時間を稼ぐため、建物から飛び出すとガルムは全力で森を駆ける。
「離れてます! あのままだったらガルムさん死んでましたよ!」
「……っ。わかってる。正直助かった」
ラティア放った言葉は事実だった。
普段ならば、ガルムは肉を切らせて骨を断つ戦術をとる。
だが、相手が生命の魔剣を有する以上、その戦い方では泥仕合にしかならない。
そして、同じ生命の魔剣とはいえ、出力が相手の方が上である以上、泥仕合になった時点で勝敗が決まってしまう。
自分とクレールスの差は何か。ガルムは考える。
二人とも聖剣と魔剣の力を有している。
出力的には五分のはずだ。
差があるとするなら……。
「覚悟を決めないといけないか……。ラティア、後を任せていいか?」
「イヤです……。今度は何をする気なんですか!」
駆けるのを辞めたガルムへ、ラティアはきつい視線を浴びせる。
「魔剣の最後の力を引き出す」
「ガルムさん、何言ってるか分かってますか! 魔獣になっちゃうんですよ!」
「あぁ、そうだ。そこまでやらないと勝ち目がない」
ラティアの拳が強く握られる。
怒りに、悔しさに震える少女の口から、ギリリと歯がこすれる音が聞こえる。
「ふざけないでください! ガルムさんが死んじゃったら、ガルムさんが魔獣になっちゃったら、私はどうすればいいんですか!」
「だから頼んでいる。もし、オレが魔獣になったらオマエが何とかしろ」
「無茶苦茶です! 失敗したらどうするんですか!」
「オマエならできる。いや、違うな……」
ガルムは少女を地面に下ろし、その肩に手を置いた。
「オマエになら、任せられる」
少女は何かを言いたげに口を開くが、顔を歪め、やがて何も言わずに閉じる。
代わりに、ガルムから顔を背けて弱々しく呟いた。
「そんなこと言われたら、やるしかないじゃないですか……」
「ありがとう」
ガルムは少女の覚悟に感謝した。
アレは今でこそガルムを狙っているが、ガルムを倒した後は何をしでかすか分かったものではない。
だから、アレを世に解き放つわけにはいかない。
だが、今のガルムにあれを倒す方法はない。
ゆえに、アレに勝つには同じ段階まで登るしかない。
危険な賭けだ。
戦いに勝っても負けても、凶悪な魔獣が少なくとも一体残ることになる。
だが、俺はラティアを信じたい。たとえどちらが倒れたとしても、ラティアさえ生き残ってくれれば未来への希望は潰えない。そう信じている。
「お喋りは終わりかね?」
「余裕だな」
「当然だ。今の私が貴様に負ける理由がない」
ここで勝てなければ全てを失う。
ここまでしたんだ。
こいつはラティアを見逃がしてなどくれないだろう。
ならば、この命、彼女のために使いたい。
「魔剣〈ベーオウルブズ〉よ、我が半身よ! この命と引き換えに、我に力を!」
その言葉に応えたか。
魔剣がガルムの体に突き刺さった。
瞬間、世界の全てが裏返った。
視界が紅に染まる。
光で世界を認識できなくなった。
この景色は生命の視界。
ガルムが【命瞳】となずけた力と同じ視界。
自分の体が完全に別物として作り替わっていくのを感じる。
痛みはない。
ただ、ガルガンディウム・ベーオウルブズという存在が削れていくのを感じる。
体全体を若草色の結晶が覆い尽くしていく。
右胸を中心に始まったそれは四肢全てを飲み込み、風の聖剣すらも飲み込んだ。
そして、変化は終わった。
「ベーオウルブズ、貴様!」
「待タセタナ。ジャア、始メヨウか?」
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