第34話 二人の魔女

「――――私のことは気にしないで、ガルム!」


 迫りくるガルムへの焦りで緩んだ大魔女の支配を潜り抜け、ラティアは叫ぶ。

 その思いが伝わったか、ガルムの放った剣がラティアの体を貫いた。

 

「くっ……!」


 想像よりは弱い衝撃。

 見れば、自身を貫いたのは針のように細く鋭い剣先。

 それはいかなる技か。ラティアの体へのダメージを最小とすべく、ガルムは魔剣の形状を変化させたようだ。


 そして、生命の魔剣は自身のコアたる【祝福の結晶】を砕かれた。


「ラティア! 貴様ッ! よくも! よくもおおおおおッ!」


 大魔女の本体である生命の魔剣が破壊されたことで、その本質を顕わにせざるを得なくなったのか。はたまた、本当に余裕がないのか?

 ラティアの精神世界に現れた大魔女アイネは、ラティアが一度も見たことのない容貌をしていた。


 はじめて出会った時の、妖艶な姿でもなく。

 ふたたび出会った時の、幼さの中に老獪さを感じる容姿でもない。


 いったいどれほどの年月を重ねればそうなるのか。

 全身に刻まれた深いシワ。

 曲がり切った腰。

 骨のようにやせ細った四肢。

 

 それはまさに、死期の近い老婆の姿だった。

 だが、気迫だけは今迄見たどの姿にも勝るとも劣らない、執念を感じさせる。


「良いざまね。本体の魔剣が消えてなくなった以上、ここにいる貴方がいなくなれば、大魔女アイネという概念はこの世から消え去る」


 ここにいるのは、ラティアの体に寄生した大魔女アイネの最後のひとかけら。

 もし、ここでラティアが敗北すれば大魔女が復活する可能性が残る。

 ゆえに、負けるわけにはいかない。


「私の体、返してもらうわよ!」

「死ぬのは貴様じゃ!」


 大魔女の意思に呼応するように、何もない空間へと無数の魔法陣が展開される。

 その一つ一つが、人を殺すには十二分の威力を秘めた大魔術。

 世界最強の魔女たるアイネの放つ、最大の攻撃。


「貴様の体を乗っ取り、いまいちど復活を果たしてくれる!」」

「――――私の中で、好き勝手暴れてるんじゃないわよ!」


 ラティアは、展開された魔法陣を見据える。

 そして、そのそれぞれに向かって手をかざした。

 次の瞬間、大魔女の展開した魔法陣がすべて粉々に砕け散った。


「馬鹿な! ワシの術を完全に打ち消したじゃと!」


 予期すらしなかった事態に、大魔女の顔が驚愕に歪む。


「以前の貴様にはそこまでの才はなかったはずじゃ!」

「あなたが私に記憶を見せつけてくれたのを忘れたかしら? 教本としては最高の記憶だったわよ?」


 トントン、とラティアは自分の頭を軽く叩く。


 大魔女の言葉の通り、昨日までのラティアではこの様な芸当はできなかった。

 魔女として生きた経験が圧倒的に足りていなかったからだ。

 だが、今は違う。


 アイネはラティアを自身のものとするために、記憶をラティアへ刷り込んだ。

 ほとんどは苦しくつらい記憶ばかりだったが、中には大魔女アイネが百年にわたって積んだ研鑽の記録も当然紛れていた。

 普通の魔女ならば、見せられても意味を理解することもできない高度な内容。

 だが、ラティアは大魔女をして天才と言わしめた、天性の才の持ち主。

 経験を知識で埋めることができれば、二人の間を隔てる差はなくなる。


「それに……、魔剣本体がなくなって弱体化しているだけじゃない?」

「馬鹿な、馬鹿な! ワシは、ワシはまだ死ぬわけにはいかんのじゃ!」


 二度、三度。

 何かの間違いだとばかりに、大魔女は繰り返し魔法陣を展開する。 

 展開された魔法陣の数は先ほどの倍。

  

「――――その程度!」


 だが、ラティアはその全てに対応する。

 魔術の射出を事前に防ぐことはかなわなかったが、各属性の魔術に対応した防御魔術で、敵の放った魔術を打ち消していく。 


 ここは精神の世界。

 己のイメージがすべての世界。


 大魔女が作る魔術はすべてがアイネの攻撃の意思。

 それを打ち消すの魔術はラティアの防衛の意思だ。


 魔剣による体の支配が解け、大魔女の圧倒的な優位性が失われた今。

 この場ではより意志の強い方が勝利する。


 そう、これは消耗戦だ。

 どちらの精神が早く摩耗するかという戦いだ。

 ゆえに、戦いは魔術の競い合いのみならず、互いの精神を削る方向へと向かう。


「死にたくない、死にたくないって、あなた一体どれだけ生きたいのよ! もう百年以上生きているんでしょ! 罪もない人の体を乗っ取って、自分のものにして!」


 ラティアの父母もそのせいで死んだ。

 ラティアと同じく、誘拐された子供たちもラティア以外、全員死んだ。

 ラティアは心の底から噴き出す怒りを魔術へ乗せてたたきつける。


「どうせ一生をかけたところで、何も生み出せぬ有象無象の命よ。それを才覚ある者が有益に使って何が悪い! 人類の進歩の礎となれることに感謝すべきじゃ!」

「あんたにいったい何の権利があるっていうのよ! この死に損ない!」


 息をつく暇もない、怒声と魔術の応酬。

 放たれる輝きに、言葉に、意思に、少しづつ互いの存在が削れていく。


「その日を生きてるだけの大義もない者に、ワシの志が分かるわけがない!」

「普通に生きることの何がいけないっていうのよ! その普通の人たちが食べ物を、服を、作ってくれるから、私達は魔術にうつつを抜かしても生きていけるのに!」


 この女は、いったい何様のつもりなのか。

 人は集まって、色々なことを互いに補って生きていく生き物だ。

 そこに役割ごとの差こそあっても、優劣の差などあるはずもない。


「そもそも、偉そうに言ってるけど、アンタの大義って何よ! ちゃんとみんなに伝えたことあるの!?」

「それは……っ!」


 ぴたり、と大魔女の動きが止まる。

 言葉の応酬が止まった。


「あ、あれ? おかしいの、ワシは、ワシは……。いったい何のために……?」


 自身の大義。よって立つ場所。

 忘れることなどあるはずのないそれを、必死に思い出そうと大魔女は頭を抱える。


「哀れな人。長く生きすぎて、目的も失ったのね……」

「あり得ぬぞ、そんなことッ! そんなことがあるはずなかろうがッ!」


 大魔女の体が、不意に末端から結晶化を始める。

 大魔女は自身の体を魔結晶へ、魔剣へと変質させ、他者の体を乗っ取り、長きにわたって生きながらえてきた。

 魔剣という本体がなくなった今、自身の存在理由すら思い出せなくなった魔女は、意思ある存在とは言えない。

 このまま放置すれば、ただの結晶体へなり果てるだけだろう。


「ワシの体が! 意識が、保てないっ! 嫌じゃ、このまま終わるのは嫌じゃ!」

「――――そう。じゃあ、あなたのままで終わらせてあげる」


 そう呟くと、ラティアは自身の剣、聖剣ダンバイスをイメージする。

 この空間はラティアの精神世界。

 イメージこそが力。

 ゆえに、自身が作り上げた剣を再現することなど造作もない。


 傘に擬態させた、ラティアの聖剣〈ダンバイス〉。

 ラティアは、その切っ先を大魔女へと突きつけた。

 聖剣は唸りをあげて、その力を臨界へと高めていく。


「大義……! ワシの、ワシの成すべきことは……」


 大魔女はまるで迷子になったように視線をさまよわせる。

 その瞳は今までの熱を失い、ただ揺らいでいる。


「――――さようなら」

「そう、じゃ! ワシは、魔女が……幸せ……社会、を……」


 ラティアが放てる最大の一撃。

 聖剣ダンバイスによるすべての属性の力を内包した一撃が放たれた。

 光と闇が、火が水が風が土が、そして生命が、全てが原初の形にほどけていく。

 そして、大魔女アイネという存在は影も形もなくなった。

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