第33話 二人の覚悟

 ガルムが振るう、必殺の剣。

 その前へと、自身の体を放り出す光景が見える。

 

「やめて、止めないでそのまま私を切り倒して!」


 ラティアの願いはむなしく、ガルムの顔が歪む。

 必殺のはずの剣が、急激に勢いを失って止まった。


 ニヤリ、と自身の口角が吊り上がる感覚。

 次の瞬間、自身の両手に握られた魔剣がガルムの胴へ向かって突き出される。


「とまれ、とまれ、止まれ、止まれぇええ!」


 願っても、祈っても、ラティアの体は止まらない。

 そして、ガルムの体へ、自身の手によって剣が突き刺さり、彼は倒れた。


「どうして、どうして止まってくれないの……っ!」


 ガルムは何とか立ち上がり、相手の攻撃をかわし、いなそうとする。

 だが、その動きにはいつものキレがない。

 当然だ、生命の聖剣もないのに、あんな傷を追えば、動くこともままならない。


 だというのにガルムは動き続ける。

 生きるために、ラティアを助けるために。

 その事実がうれしくもあり、苦しくもある。


 助けに来てくれた。

 それは素直にうれしい。

 でも、彼が傷つくくらいなら、もう自分のことなんて放り出して逃げてほしい。

 

 その思いが通じることもなく、ガルムは戦い続ける。

 しかし、限界はすぐに訪れた。


「お願い! 動いて、動いて! うごいてぇ!」


 助けたいのに。その意志はラティアの体に伝わらない。

 体は動かず、時間は止まらない。


 最後のあがきか、ガルムは風の聖剣の力で結界を張る。

 それに対抗するかのようにクレールスが聖剣に力を収束せる。

 世界が闇に沈み、全ての光が政権に収束する。


 そして、世界が光に包まれた。


 視界が戻ったときに見えた光景は、この世の地獄だった。

 クレールスの前方。大広間の半分が解け落ちていた。


 石が溶け出すほどの高温。

 生物が耐えられるような攻撃ではない。


 視界から伝わってくるその事実に、ラティアは崩れ落ちる。


 ガルムが、死んでしまった……。

 その事実に、ラティアの心に残っていた最後の支えがポキリと折れる。


(嫌だ、もう何も見たくない……)


 あの人がいない世界に、自分が生きる意義があるのか?

 希望と気合で保っていたラティアの意志が、この精神世界へと溶けていく。

 思考が散漫になり、体に力が入らず立ち上がることができない。


 だが……、そんなラティアを叱咤するような声が聞こえた。


『貴様の奥義はこの程度かクレールス!」


 視線を上げたラティアの瞳に映る影があった。

 地獄のような光景の上に、立ち上がる人型があった。

 その手に掲げられているのは二振りの剣。

 

 亡き友の化身たる風の聖剣〈イリアス〉

 自身の分身である生命の魔剣〈ベーオウルブズ〉。


『……獄炎竜の方がよほどきつかったぞ!』

 

 全身が黒く炭化したその人型。

 だが、生命の魔剣が脈動する度に、その炭化した部位が崩れ落ちていく。

 そして、傷一つない肉体があらわになった。


 ガルムは生きていた。


『この化物めがッ!』

『化物でも何でもいい。さぁ、ラティアの体を返してもらおうか!』


 そして、ガルムは戦い始める。ラティアを助け出すために。

 

 ラティアの頬を涙が伝っていく。

 我ながら単純だ。

 霧散しかけていた意識が一瞬で焦点を取り戻し、体に活力がみなぎる。


 だが、一刻も早くこの事態を好転させないといけない。


 あの魔剣は確かにガルムの傷を癒やした。

 だが魔剣は魔剣、呪われし剣だ。

 長年ガルムの体を蝕んだ【祝福の結晶】をコアとする剣が魔剣だ。

 その力を振るえば、またあの呪いが彼の体を浸食することになる。

 事実、生命の魔剣を握るガルムの右腕はジワジワと呪いに犯され始めている。


 自分が何とかしなければいけない。

 せめて、この体を、この体を使う大魔女だけは、自分が何とかしなければ。


「――――考えろ、考えろ!」


 だが、その方策が思いつかない。


 ガルムが大魔女に切りかかり、二つの魔剣が交差する。

 その瞬間、鮮明だった心象世界に亀裂が走った。

 気のせいかとラティアが思ったその現象は、ガルムと大魔女が打ち合うたびにどんどん酷くなっていく。


「――――もしかしてッ!」


 ラティアは一か八かと駆けだした。


 生命の魔剣〈クロノミリア〉が大魔女の本体。

 ならば、魔剣で打ち合うこと自体が、大魔女にとっては大きなリスクなのではないだろうか?


 この精神世界に走る亀裂が、大魔女の本体である魔剣に与えられたダメージによって生じたとするならば?

 今、大魔女にはこの体を制御する余裕がなくなってきているのかもしれない。

 

 あるとも知れぬ果てへ。

 自分を心象世界へ押し込めている壁へ向かって走る。


「届け、届け、とどけ、とどけ、とどけえええええええええええええ!」


 そして、ラティアは闇の果てへと手を伸ばした。


******


 生命の聖剣以上に体に馴染む生命の魔剣の力。

 それは自身の体が生み出したモノ故か?

 はたまた、魔剣が生み出す魔性の力によるものか?


 今まで限界だと思っていた力を超え、ガルムは自身の体を強化する。

 ガルムはその膂力でクレールスを吹き飛ばすと、大魔女へと切りかかった。


 魔女の持つ魔剣〈クロノミリア〉

 ガルムの握る魔剣〈ベーオウルブズ〉


 二つの生命の魔剣が火花を散らす。

 脈動する二つの魔剣は、耳障りな金切声にも似た不協和音を響き渡らせる。

 ギチギチと右手を登って、呪いが体を蝕んでいく。

 せっかくラティアの命と引き換えに直してもらったというのに……。

 これではラティアに怒られてしまうな、とガルムは苦笑する。


「グぅっ……」


 打ち合いで敵うはずもない大魔女は、なりふり構わず魔術の雨を降らせた。


 火が、水が、風が、岩が、土砂降りのごとくガルムに向かって降り注ぐ。

 ガルムは全力でそれをかわそうとするが、雨を避けることなどできるわけもない。

 仕方なく、風の聖剣の力を結界の展開へと回し、防御に徹する。


「アイネ、大丈夫か!」

「そう思うならあいつを私に近づけさせるな!」


 魔女は牽制に魔術をばらまきながら、必死にガルムと距離を取ろうとする。

 それを援護するように飛ぶ、クレールスの光の斬撃。


 だがそれは、一歩間違えば魔女をも巻き込む威力と射程を誇る代物。

 ゆえに、魔女にあてる訳にいかないその攻撃は、飛んでくるタイミングも方角もガルムの予想の範疇を出ず、おまけに密度も中途半端だった。


「連携が取れてねぇなぁ!」


 この程度では、止まらない、止まれない。

 ガルムはクレールスに構わず大魔女を追い立てる。

 時おり風の結界を抜けてくる魔術で傷を負うこともいとわない。

 ただ一撃を打ち込めればいい。

 それですべてが終わるのだ。


 クレールスは、じれたように大魔女へ叫んだ。


「アイネ、術はもういい! 逃げろ!」

「――――逃がすと思うか!」


 次々と展開される魔術の雨はクレールスの援護をも阻んでいる。

 だがそれに大魔女自身は気付いていない。

 追い詰められている証拠だ。


(――――勝てる!)


 クレールスが放つ斬撃を躱し、ガルムは一直線に大魔女へ向かって切りかかる。

 その斬撃を、大魔女はなんとか魔剣で受け止める。

 二つの魔剣は共振するように悲鳴を上げる。


 大魔女はその一瞬の拮抗の間に、至近距離での魔術を展開する。

 属性は風か火か、あるいはその複合か。


「ぐ……っ!」


 まだ奥の手を残していたか。

 突如として巻き起こる爆風にガルムは吹き飛ばされる。

 その間に大魔女は宙へ飛び上がり、夜の闇へとその姿をくらませようとする。

 

だが、その直後。

 何を思ったか彼女は魔剣を自らの右足へと突き刺した。


「――――なあっ!?」


 太ももからしたたる血に、大魔女自身が困惑したように声を上げる。

 その体は浮力を失ってゆっくりと降りてきた。

 そして、その一瞬の空白に割り込むようにして大魔女の――少女の瞳に光が宿る。


「ガルム!」


 同じ体だというのに、同じ顔だというのに。

 発せられる声、発せられる言葉、表情、しぐさ、その全てから伝わってくる。

 今、声を発した人物は大魔女ではないと。


「大魔女アイネの本体は魔剣よ、だからっ――」

「えぇい! しぶとい! お主は黙って見ていろ、ラティア!」


 まるで一人芝居でもしているかのような魔女の異様な挙動。


 ラティアだ。

 ラティアがまだいる、ちゃんとあの中に。

 ガルムはふっと笑う。


「……助かったぜラティア」


 ガルムは完全に大魔女アイネを、その手に握られた魔剣〈クロノミリア〉を獲物として捉え、見据える。


「――――魔剣が本体か、どうりで殺しても死なねぇわけだ」

「くっ、来るな!」


 悲鳴にも似た声が、大魔女の口から洩れる。


「貴様の好きにはさせんと言ってるだろうが! 【光輝剣】!」


 満を持したクレールスが、ガルムの進路上に割り込み、斬りかかってきた。

 これまでの回避と遠距離攻撃を主体とした戦術などかなぐり捨てて、自身の身を挺して魔女を守ろうとしている。

 

 光を剣に纏わせた渾身の打ち下ろし。

 雷霆もかくやというその打ち込みを、ガルムはかわすことができず受け止める。


 その後も、クレールスはまともに受ければ致命傷は免れない、必殺の一撃を繰り返し、繰り返し打ち込んできた。

 スタミナも、ペース配分も全く考えていない、捨て身の連撃。

 この調子では、数分と立たずにまともに動けなくなるだろう。


 必死の時間稼ぎといったところか。

 よほど魔女を殺されたくないらしい。


 ガルムはその場に押しとどめられ、対応を余儀なくされる。

 このままでは大魔女に時間を与えることになる。

 ラティアの意識がまだ残っているとはいえ、それがいつまでもつかが分からない。

 

 流れゆくその連撃は、夜空に描かれる星座の如く。

 斬った軌跡がそのまま光撃となる、斬撃空間。

 相手を逃がさず追い詰め切り刻む、光の檻。

 

「ならば……!」


 ガルムは、思考を限界を超えて加速する。

 世界を切り取る光の檻。

 形作るものが人間であるが故に生じる、一瞬の隙。

 その隙を突くべく、ガルムはあえて斬撃に身をさらした。


 左腕が消し飛んだ。

 風の聖剣が音を立てて宙へ舞う。


「……腕の一本ぐらい、くれてやる!」 


 だが、それだけだ。

 苦痛と衝撃が全身を襲うが、来ると分かっていればどうということはない。

 ガルムは左腕を犠牲にクレールスの間合いへと大きく踏み込む。

 そのまま、残った右腕に全力を籠めて振り抜いた。


「しまっ……」


 振り抜かれた剣は、クレールスの足を切断する。

 その体が地面へと崩れ落ちていくのを見届ける間も惜しみ、ガルムは左腕から血と呪いを振りまきながら疾走する。


「魔剣クロノミリアよ! 命を喰らえ!」


 背後こちらを振り返った大魔女の顔が恐怖に歪む。

 悲鳴にも近い声を上げて、大魔女は魔剣から力を解き放った。

 

 グッ、と体が引きずり出されるような錯覚。

 大魔女に近づくほどに、自身の生命力が引きずり出されていくのを感じる。

 だが、今更そんなものはどうでもいいと、ガルムは魔剣〈ベーオウルブズ〉の力をを励起する。


「命なんてとうに懸けてる。その程度で止まるわけがねぇだろうが!!」


 自身の生命が尽きるより先に相手を倒しきればそれでいい。

 自身の肉体がどうなってもいいと、魔剣の力を全身にみなぎらせる。

 過剰に供給された力が、ガルムの全身で暴れ狂う。

 人類の肉体の限界を超えた力が、皮膚を裂き、筋繊維を断ち、骨をゆがめて、神経が悲鳴を上げる。

 だが、もたらされた結果は劇的だった。

 ただの一歩で音を置き去りにしたガルムは、一瞬で大魔女の元へと追いついた。


「やめろ、やめろ、やめろぉおおおお!」


 ラティアの体を盾に、大魔女は魔剣クロノミリアを覆い隠す。

 それを見たガルムの腕が一瞬止まりかける。だが……


「――――私のことは気にしないで、ガルム!」


 その言葉が最後の後押しになった。

 【命瞳】を、生命を観測する瞳をガルムは見開く。

 そして、ラティアの命を、魔剣クロノミリアのコアの位置を認識する。


「魔剣〈ベーオウルブズ〉よ! 貴様が生命を司るというのなら、貴様が我が身から生まれたというのならば、我が意志に応えよ!」


 ガルムの意志に応え、魔剣はその刀身の形を変えていく。

 鋭さはそのままに、まるで紙のように薄く、針のように細く。

 

 ガルムはクロノミリアのコア目掛けて、最速の突きを放った。

 ラティアの体を傷つけぬよう、針の穴を通すレベルの繊細な技巧で放たれた攻撃。

 剣の切先がラティアの体を突き抜ける。

 そして、魔剣〈クロノミリア〉のコアへと突き刺さった。


「あぁああああああああああッ!!」

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 

 断末魔の悲鳴が響き渡り、魔剣のコアたる【祝福の結晶】がひび割れていく。

 そして、魔剣クロノミリアが砕け散った。

 大魔女の、ラティアの体が、どさりと地面に崩れ落ちた。

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