第32話 光の聖剣

 最初に平和があった。

 幸せな家庭、仲のいい友達。

 平和な平和な、いつまでも続きそうなそんな日々。

 

 だが、それは続かなかった。

 

 村を焼かれた。

 背中に大やけどを負った。

 両親を目の前で殺された。

 両親が守ってくれたおかげで、死なずに済んだ。


 一人になった彼女は魔術を使って生計を立てる。

 新しい生活はつらくもあったが楽しくもあった。

 だが、その生活も長く続けられない。

 自身が魔女だとばれてからは一瞬で転落した。


 友と思っていたモノに裏切られた。

 料理に毒を盛られた。

 内臓を焼く毒の痛みにもだえ苦しみながら逃げ出した。


 初めて恋をした。

 間違いなくいい人だった。

 でも、周囲に魔女とばれてからは駄目だった。

 すまないと謝られながら、官憲に突き出された。

 もう何もかもがどうでもよかった。


 ありとあらゆる拷問を受けた。

 相手を苦しめるためだけの行為。

 痛いという感覚がすべての神経を焼き切った。

 痛いという声を発するだけの機械に成り下がる。


 そこまで追い詰められ続けて、ようやく大魔女が目覚めたのだ。

 そこから彼女の復讐が始まった。

 

「ぃ、いやぁあああっ……!?」


 心に、頭に、直接なだれ込んでくる、血と憎悪と痛みの記憶。

 それを瞬きの間に体感させられ、少女の精神は引きちぎれそうになる。


「ほう、これでも駄目か。ワシが見込んだだけはあるの」


 人生の辛い部分を煮詰めたような記憶だった。

 それを短時間に浴びせられてもなおラティアが自我を保っていられたのは、意志の強さによるところが大きい。


「何よあの記憶……、さすがに悪趣味じゃない?」

「あれはワシの記憶じゃ。百年ほど前は魔女は排斥の対象での」

「……同情しろとでも?」

「同情してワシに体を譲ってくれる気になったか?」

「まさか。あんたに復讐が許されるとするなら、あんたを虐げた相手までよ。無辜の人の命を奪っていい理由にはならない」


 これは大魔女の策だろう。

 拷問の記憶を経験させることで精神的に摩耗させたいのだ。


 そして、もう一つの意図を感じる。

 おそらくだが、大魔女は自身の記憶を追体験させることで、ラティアの自我を浸食し、自身に寄せようとしている。

 それによってラティアを同一化するつもりなのだろう。


「だから、私は死んでもあんたに体を譲ってあげない」

「是非もないが、しぶといのぉ。希望など、抱くだけ無駄じゃぞ?」

「別に希望なんて……」

「あの男か? 呪いが解けて用済みになったお主を助けに来てくれると?」

「…………」


 大魔女に心の奥を見透かされ、ラティアは押し黙る。

 助けに来てほしくないけど、やっぱり助けに来てほしい。

 そんな矛盾した感情。


「なるほどなるほど。あの男がお主の心の芯か」


 パチン、と大魔女が指を鳴らすと、何もなかったはずの空間に色が生まれる。

 それは絵画を見せられるような感覚だった。

 おそらく、この光景は私の体が見ている物だろう。ラティアは感覚的に理解する。

 幻のように宙に映し出されたのは、大きな広間だった。

 そこに二人の男がいる。

 騎士団長クレールス・アーデルハイド。そして――――


「ガルム!」


 どうして来てしまったのという思いを、自分を助けに来てくれたという歓喜が押しつぶす。


「残念だったのう。あの男は来てしまったようじゃぞ?」


 ガルムとクレールスは、目にもとまらぬ速度で切り結んでいる。

 ラティアの目ではその戦いの趨勢を正確に把握することはできない。


(呪いがなければ、一対一の戦いでガルムが負けるはずがない……)


「なるほど。一対一ならあの男が負けるはずはない、か」

「……っ!? なんで」

「我らは一心同体よ。体の主導権がこちらにある以上、お主の考えは筒抜けじゃ」


 ニヤリと、自分の顔をした大魔女が嫌な笑い方をする。


「そうさの。確かに一対一の戦いでは間違いがあるやもしれぬ。しかし、このワシが加勢したら、いったいどうなるかのう?」

「なっ、やめ……ッ!」

「はははは、そうそう。その顔じゃ。では、お主の心の支え、ワシ自ら叩き折ってやろうか。お主はここで何もできないまませいぜい眺めているがいい」


 ふっ、と音もなく大魔女の気配が消え失せた。

 眼前に広がる景色が勝手に動き出す。


「このっ! やめて、やめてッ! 私の体で、あの人を傷つけないで!」


 ラティアの悲痛な声は、誰にも届くことはなくむなしく響き渡った。


******


「慣れぬ剣だというのに、よく動くな、ベーオウルブズ!」

「生憎とイリアスに勝つために、風の聖剣の研究は欠かしたことがなくてな!」


 二人の戦い方は対照的だった。


 方や、疾風怒濤。風のようなスピードで果敢に攻め立てるガルム。

 方や、紫電一閃。基本的には受けに回り、ここぞというタイミングで必殺の一撃を放つクレールス。


 自前で強化した体に、風の聖剣から力を借り受けることで速度を上げたガルム。

 風の聖剣の扱いのもなれたガルムは、少しづつ速度を上げていく。

 クレールスは少しづつ、その速度に追いつけなくなってくる。


(――――ここが好機だ)


 そう判断したガルムは、瞬間的に風の聖剣から強く力を引き出す。

 今までに倍する速度に達したガルムは、クレールスの意識の外から斬りかかった。


 だが、ガルムが切り込もうとしたタイミングで、ゆらりと視界がゆがむ。

 本来は体の中央をとらえるはずだった突きが、手ごたえがないままに空ぶる。


「チッ、また小細工を!」


 自らの失態を悟ったガルムは、風を纏った体で、木の葉のように宙を舞う。

 次の瞬間、ガルムがいた場所を一筋の閃光が貫いた。


「さすがは風の聖剣。良くかわす。だが、これは躱しきれるか!」


 光の聖剣の刀身が、にわかに太陽のごとき輝きを纏う。

 そして輝きを纏った剣が、まだ間合いではないというのに無造作に振るわれた。


「〈輝閃斬〉!」


 目に焼き付くほどの輝きは、振るった軌跡に沿って、斬撃として宙を飛んだ。

 間合いという概念を完全に無視する、飛ぶ斬撃。

 一撃ならばなんということはない攻撃。

 

 だが、振るう斬撃すべてが、振るわれる剣速そのままに、剣閃を生み出した。

 無数の斬撃が形を持って、ガルムめがけて飛来する。


「クソっ、風よ!」


 視界を埋め尽くさんばかりの光の斬撃。

 ガルムは疾風のごとき速度で、その合間を駆け抜ける。

 クレールスへ近づくにつれ斬撃の密度が上がっていく。

 ガルムは回避を最低限にとどめ、全身に傷を負うことすら構わず突っ込んでいく。


「相も変わらず自分の身を顧みないな貴様はッ! 光よ!」


 言葉に応え、光の聖剣がひと際強く煌めいた。

 眼前に太陽が現れたかののごとき輝きが、周囲を白一色に染め上げる。


「目つぶしは、もう俺には効かん!――――【命瞳】」


 ガルムは生命を見る瞳を見開く。

 生命の聖剣がない今、この力を長時間使えば目が潰れてしまう。

 だが、相手は光の聖剣の担い手。

 どのような古材をされるか分からない以上、光に頼らない視界が必要だった。


 この場に生命は三つ。

 ガルムとラティアとクレールスだけだ。

 そして、クレールスはガルムとは目と鼻の先。

 この瞳の力をもってすれば、クレールスの動きなど丸見えだった。

 打ち下ろされる剣を受け止めると、ガルムはクレールスに渾身の蹴りを放った。


「――グッ!?」


 勢いよく吹き飛んだクレールスを追い、風を纏って一気に飛翔するガルム。

 クレールスは勢いを殺せぬまま壁に激突し、態勢を立て直せていない。

 千載一遇の好機。


 音すら置き去りにした勢いを乗せて、振りかぶった剣を振り下ろそうとした。

 だが、ガルムが狙ったその先には、もう一つの生命反応があった。

 それは、クレールスをかばうような動きで駆けこんで来た。


「――――っ!?」


 半ば反射的に剣の勢いを殺す。

 ビタリと剣の切っ先がその生命反応――ラティアの首元で止まった。


「……ラティア?」


 そして、その一瞬の隙をついて、ガルムの胴に剣が突き刺さった。


「否、ワシの名はアイネ。大魔女である。お主がお探しのラティアは死んだよ」

「がっ……、あぁああ……!」

「魔剣クロノミリアよ、生命を喰らい尽くせ」


 突き刺された黒く禍々しい剣が、ガルムの体を蝕んでいく。

 ごっそりと生命力が持って行かれる感覚。

 不意打ちにも近いその一撃に、四肢に力が入らず、ガルムは崩れ落ちた。


「危なかったのう、クレールス」

「邪魔をしてくれたな、と言いたいところだが、礼は言っておこう、アイネ」


 ガルムは力の入らぬ体を無理に動かし、突き刺さった剣から逃れようと足掻く。

 認めるわけにはいかない。ラティアはそこにいる。

 まだ生きている。


「嘘を、つくな……。あいつが、そんな簡単にくたばる訳がねぇだろう……」

「嘘かどうかはお主が判断せい。さぁ、すぐにでもアイツの後を追わしてやろう」


 虚ろな目をしたラティア大魔女が指を鳴らすと、魔剣がガルムの体からひとりでに抜け、宙を舞う。

 そして、その切っ先を今度はガルムの首筋へと向ける。


 まだ、死ぬわけにはいかない。


 閃く魔剣クロノミリア。

 ガルムは残った気力を振り絞り、風の聖剣を起動する。

 剣から生まれた風で自身の体を吹き飛ばすことで、無理矢理に距離を取った。


「おや……まだそんな動きができたのかえ?」


 魔剣をアイネ自らが引き抜いてくれたのは幸いだった。

 だが、状況は完全に不利だった。

 一対一ならばともかく、二対一となるとさすがに勝ち目が薄い。


「……傷の治りが遅い」


 回復に必要な生命力は、生命の魔剣に根こそぎ奪われた。

 今のガルムは気力だけで動いているが、それもすぐに尽きるだろう。


「……二対一とはなりふり構ってねぇな!」

「今更言い訳かベーオウルブズ。貴様の聖剣は失われた。無い物ねだりをしても仕方がなかろう」

「俺の聖剣を壊した張本人に言われても納得いかねぇな……。生命の聖剣と俺の呪いをベースに造った魔剣、アレはどこにある?」


 ガルムの言葉に、一瞬だがアイネの顔が歪み、視線がブレる。


「クレールス、お喋りに付き合ってやる必要はない! 殺せ!」

「だそうだ。とどめだ、死ね!」

「なるほど……、ここにあるんだな?」


 ガルムは自身に残った体力と気力の全てを風の聖剣につぎ込んだ。

 ガルムの体を包み込むように、幾層にもわたる風の結界が展開された。

 ガルムの首を狙ったクレールスの攻撃が、あっさりと弾かれる。


「結界! ならば……ッ!」


 風の結界に対抗するように、光の聖剣が輝きを増していく。

 真夜中だというのに、聖剣は昼のように明るく周囲を照らす。

 そして、対照的にクレールスの周囲以外が完全な闇に沈んでいく。

 夜の星の光も、空に輝いていた満月も、すべてが闇に沈んでいく。

 光の聖剣の切っ先に収束した光が、第二の月をこの場に顕現させる。


「喰らえ我が奥義! 【エクリプス】!」


 クレールスが剣を振るった軌跡が新たな月を形作る。

 その軌跡は太陽のごとき輝きを見せ、闇に満ちた世界を一瞬で白く染め上げた。

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