第31話 風の聖剣イリアス

 夢を、夢を見ていた。

 かつてあったかもしれない、魔女に精霊術を教わったころの記憶。

 ラティアが魔女になると決めてから今日まで五年。

 その五年の最初の一週間の記憶。


「こんな記憶、いったいどこから掘り起こしたわけ?」


 白けた気持ちと共に、ラティアは目を見開いた。

 そこはどこでもない場所だった。

 光もなく、上も下もなく、ラティア以外何もいない。


「おや、もう気づいたか」


 どこからともなく大魔女の声が響き渡る。


「気づくも何もないでしょ。何よ、さっきの茶番は……って。なに、その姿」


 そんな何もないはずの場所に、どこからともなく大魔女の声が響き渡る。

 先ほどまで何もなかったはずの場所にいたのは、一人の少女だった。


「分かっておるじゃろう? かつてのお主の姿、そして今のワシの姿じゃ」


 そう言ってクルクルと回る少女の姿は間違いなく、ラティアの体だった。

 自分と同じ顔で、自分じゃない存在が、自分では絶対にしない顔をしている。

 違和感に、ラティアは反吐が出そうになる。


「返しなさいよ、私の体!」


 ラティアは、周囲の精霊の力を借り受けようとするがうまくいかない。


「無駄なことはやめよ、ラティア。ここはお主の体の中。しいて言うなら魂とか、精神とかそういった何かの中じゃ。この体の占有権がワシにある以上、お主はここでは何もできん」

「……口は出せるのね」

「まだ今はの。もっとも、それがいつまで続くかはお主しだいじゃな」

「つまり、私がここから消えると、私が死ぬってことね」

「そういうことじゃの。あのままずっと夢を見ておれば、苦しむこともなく、お主の意識はグズグズに溶けて消えて、この体は完全にワシのものになったというのに」

「それ、私を気遣ってるつもり? あんたに心配されるなんて反吐が出るわ。そもそも、あんたはそんなに生っちょろい性格じゃないでしょ」

「ほう、ずいぶん強気じゃの。仕方ないのぉ……」


 パチンと、大魔女が指を鳴らした次の瞬間。ラティアの体に無数の矢が突き立った


「――――いっ……ッ!?」


 突如迸った激痛に、ラティアは思わず苦悶の声を上げて、痛みの走った部位に手を当てようとする。

 だが、手を当てる頃には、突き刺さった矢が全て消え去っていた。


「あまり調子に乗るでないぞ?」

「今のは……」

「体の主導権はもうこちらにある。お主を生かすも殺すもワシの気分次第じゃ」


 大魔女の背後の空間を埋め尽くさんばかりに文様が浮かび上がる。

 ラティアにはわかる。その一つ一つがすべて必殺の威力を持つ大魔術だ。


「――――ここからは容赦なくお主の魂を削っていく。せいぜいあがけよ?」


  ******


 たとえ聖剣を失っても、担い手自身の培った力が失われるわけではない。

 水の聖剣を失っても、高い水属性への適性を生かしたリオの戦闘能力は、並みの騎士をはるかに凌駕していた。

 そうでなければ暴風竜相手に単騎で時間を稼ぐことなどできはしない。


 生命の聖剣を失ったガルムにも、同じことが言える。

 生命属性の制御は騎士にとっては基礎中の基礎。

 ガルムが戦闘時に行っていた身体能力向上や治癒能力向上などは、騎士ならば誰でも行使できることだ。


 きちんとした訓練を積めば、相手の生命力を見る能力、ガルムが【命瞳】と名付けた力さえ使えるだろう。

 生命の聖剣は、ガルムの持つ力に大幅に補正をかけていただけに過ぎない。

 もっとも、聖剣がなければその意思が折れない限り無限に戦うなどという狂戦士じみたことはできないわけだが。


 ガルムは風の聖剣の使い心地を試しながら荒野を駆ける。

 風の聖剣が担い手に与えるのは、一言で言うなら風のごとき速さだ。


 風を制御することで極限まで空気抵抗を減らす。そして、風の力の後押しを受けた体は、音の速さを優に超える。

 その気になれば、竜巻や稲妻を起こしたり、風の結界を張ることもできるだろう。

 ガルムはかつてこの聖剣の身の担い手と、毎日のように戦ってきた。

 ゆえに、風の聖剣にできることは全て知っている。


 だが、ガルムは風の聖剣から供給される力を、動きの補助だけに回すことにした。

 新たに手に入れた慣れない武器に振り回されるよりは、多少効率が落ちても自身の得意分野で戦うべきだと考えたからだ。


 試運転を終えたガルムは、そのまま風に乗って、遮るものなき空へと飛び上がる。


「――――【命瞳】」


 生命を感知する瞳で、ガルムは周囲を見渡す。

 生命の聖剣の補助がなくなり、以前ほど自然に行うことはできなくなった。

 だが、集中すれば何ということはない。

 

 落下までの時間を使って、ガルムはディアマンテ近郊をぐるりと見渡す。

 

 人、人、人。

 

 無数の人がいる。

 そして、遠く魔獣領域には数えきれないほどの魔獣がいる。

 人間だけでなく、野生動物や魔獣の生命も感知してしまうこの力では、特定の人物の位置を割り出すことは難しい。

 だが、ガルムには当てがあった。


「ことさら強い反応は、あっちか」


 騎士団長クレールス・アーデルハイド。

 大魔女アイネ。


 この地方で有数の力を持つ二人は、間違いなく強大な生命力を持つ。

 それは星の海で一際輝く、二つの一等星を探すような作業。

 神経を削る作業ではある。

 だが、呪いから解き放たれたガルムには難しくなかった。


 魔界域のすぐ近くを、ガルムは風の聖剣の力で、風よりも早く駆けていく。

 浮遊機体なら半日はかかるであろう距離を、ガルムは一時間で駆け抜けた。


 たどり着いたのは、かつて大魔女が根城にしていた古城。

 ここに大魔女アイネが、騎士団長クレールスが、そしてラティアがいるはずだ。


 大門を抜け、長い廊下をかけ、玉座の間だった場所へ通じる扉を蹴破る。

 そこは広い部屋だった。

 天井と壁のほとんどが抜け落ち、満月が見えている。

 そして、部屋の中央に鎮座する玉座に腰掛け、ぐったりとしているラティアの姿があった。


「ラティア!」


 すぐに彼女の元へ駆け付けようとするガルム。

 だが、それを阻むように斬撃が飛んできた。


「――――チィッ!」


 とっさに後退して距離を取る。

 見れば、騎士団長クレールスが玉座脇で、聖剣を構えていた。


「性懲りもなく来たな、ベーオウルブズ」

「おい、テメェ! ラティアをどうした?」

「別にどうも? そもそもあの体は、すでに大魔女アイネのものだ」

「いいや、あれはラティアのものだ。寄生虫はとっとと追い出してやる」


 剣帯から剣を引き抜いたガルムは、クレールスへその切っ先を突き付ける。


「昔のよしみもある。今すぐ帰るのなら、見逃してやろう」

「冗談が上手くなったな? テメェは昔のよしみだろうが、魔女のためなら関係なく殺すクズ野郎だろうが。五年前のようにな!」


 互いに構えた姿勢のまま距離を詰めていく。

 一歩一歩進むごとに緊張感が高まっていく。


「彼女の献身で拾った命。捨てるつもりか、ベーオウルブズ?」

「拾った? オレは一度たりともこんなことをしてくれと頼んだつもりはねぇよ」

「そうか。だが、生命の聖剣がない今の貴様が、この私に勝てるとでも?」


 ゆらりとクレールスの体がブレたかと思うと、目にもとまらぬ速度で踏み込んできた。

 まさに光速の一太刀。

 並大抵の相手ならば、自分が斬られたことすら気づけぬままに倒れるだろう。

 だが、ガルムはそれを難なく受け切っていた。


「テメェの目は節穴か?」

「……馬鹿な! それは風の聖剣ティフォンだとッ!」


 風を纏う若草色の刀身は、光の剣にも劣らぬ輝きと鋭さでもって敵を威圧する。


「否、これなるは風の聖剣イリアス。彼の遺志を継いだ、貴様を斬る剣の名だ」


 クレールスが間合いを取り、戦いは仕切り直される。


「よかろう。ならば遠慮はいらんな」

「負ける前に負け惜しみをほざくとは、用意周到なことだ」


 風と光。

 その力を振るう騎士たちによる、目にもとまらぬ戦いが始まった。

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