第四章 騎士と魔人

第30話 魔女になった日

 あの日。

 両親を殺され、魔女にさらわれ、あの人に助けられたあの日。


 あの人に助けられた私は、一人で逃げろと言われた。

 だが、怖かった私はあの人の後をこっそりとつけたのだ。

 

 そうして、あの人が呪われた姿を見ることになった。

 その後に竜が暴れ始めてからの記憶がない。

 おそらく、誰かに助けられたのだろう。 


「今日担ぎ込まれたあの子、一体どうしたんだい?」

「なんでも、魔獣に襲われて壊滅した町の生き残りらしいわよ」

「そりゃかわいそうに……」


 無責任な感想が、扉の向こうの廊下から聞こえてきた。


「――――魔獣なんかじゃない、あれをやったのは大魔女だ」


 そう叫びたいが、叫んだって何も変わらない。

 変わらなかった。

 子供一人が何を言っても、妄言だと切って捨てられた。


「そういえば聞いたかい? 大魔女様が殺されたって。しかも犯人は騎士だとか」

「まったく酷い話だよ! 大魔女様が何をしたって言うんだい! あたしらの生活を楽にしてくれた大恩人だってのに、正気を疑うよ!」


 何も知らない人たちの噂話が聞こえる。


「――――大魔女はそんな善人じゃない。一緒にいた子達はみんな殺された」


 そう叫びたいが、もう叫ぶ気力もなかった。

 十人以上いた子供たちはみんな石になって死んだ。

 私だけが運よく生き残ってしまった。

 村のみんなも、お父さんも、お母さんも、みんな、みんな、もういない。

 私は一人きりだった。


「何でも、その騎士は魔獣を狩り過ぎて魔獣に呪われてしまったんだと。身も心を魔獣になってしまったとか」

「それでこの乱心かい? 怖いねぇ」


 呪い、騎士、魔獣。

 その言葉に、ようやく私の世界に色が灯った。

 そうだ、私を助けてくれたあの人達は、魔女に呪われてしまった。

 私の眼の前で呪われて、魔獣へ変えられてしまった。

 兜で顔はわからなかったけど、優しい声と、優しい瞳のあの人。

 あの人にお礼を言いたい。

 今すぐにでも飛び出して行って助けてくれてありがとうって。


 でも……。

 そんな衝動を上回るほどに、怖かった。

 オマエを助けたせいで呪われた、そう言われるんじゃないかと。

 あの人は今も呪いに苦しんでいるはずだ。

 だったら、あの人の呪いをどうにかしないと、私は胸を張ってあの人にお礼を言えない。

 だから、私は……、


「おや、茫然自失って話じゃったが、少しばかり遅かったようじゃのう」


 唐突に聞こえてきた声に目を向けると、月明かりを背に一人の少女が立っていた。

 自分と同じぐらいの年の頃に見えるが、口調がやけに古臭い少女だった。


「……あなた、誰?」

「この顔じゃあ、わからんのも無理もないか。では、これならどうじゃ?」


 その女が指を鳴らすと世界が一変した。

 夜の青に染まっていた世界が一瞬で色褪せる。

 彩のない世界で、先ほどまで少女が立っていた場所に一人の女が立っていた。

 色褪せた髪。メリハリのついた肉体美。そして酷薄に嗤うその顔に見覚えがある。

 忘れるわけがなかった。

 忘れられるはずがなかった。


「おまえは! 大魔女アイネ!」

「おっと、叫ぶんじゃないよ? もっとも、叫んでも誰にも聞こえないがね」


 その言葉に周囲を見渡す。

 色褪せた世界はまるですべてが制止したかのようだった。

 先ほどまで聞こえていた廊下の話し声も、風のさざめきも、古くなった病棟の軋みも、何もかもが聞こえない。

 聞こえてくるのは眼前の女の声だけだ。


「何の用! またわたしをさらいに来たの!」

「いいや、あと数年はそのつもりはないよ。この体は使い捨てるには出来が良いし、無為にワシの魂を摩耗させるわけにもいかないしのぉ」


 魔女はわけのわからないことを言いながらこちらに近づいてくる。


「それよりも、だ。お主、ワシの弟子にならんか?」

「何の冗談? ふざけないで!」

「冗談も何も、お主には魔女の才能がある。それだけの話じゃが?」


 誰がそんなことを、と反射的にこたえようとして、呪いに苦しむ男の姿が浮かんだ。


「……才能」

「そうじゃ、認めるのは癪じゃが、お主は才能だけならワシをしのぐ。数年で立派な魔女になるじゃろうて。それまで、ワシの弟子として鍛えてやろう」


 呪い。この女が欠けた呪い。

 それを解くためには呪いをかけた本人に弟子入りするのが一番の近道ではなかろうか?

 この女が才能があるという私なら、あの人の呪いを解いてあげることができるのではないだろうか?


「……私、数年であなたを超えられる?」

「ハハハハ、大きく出たの! その可能性は十分あるのお。もっとも、ワシもみすみす抜かれてやるつもりはないがの」


 どうする、と問いかけてくる魔女は少女の顔で老獪な笑みを浮かべている。

 アレはこちらが何を考えているかなんてお見通しなのかもしれない。

 でも、それでも、できることがあるなら、私がそれをやらない理由にはならない。


「わかった。私、魔女になるわ」

「契約成立じゃの。ワシがお主を魔女として鍛え上げてやろう」


 魔女はまだ動けない私の体を抱えると、窓から飛び立った。


******


「ラティアっ!」


 ガルムが飛び起きると、そこに彼女はいなかった。


「気が付いたかい?」

「……リオか。俺はどれくらい寝ていた?」

「あれから数時間ってところだね、私もさっき意識を取り戻したところさ」


 ガルムは筵の上に横たえられていた。

 その頭上には淀んだ曇り空だけがある。

 周囲には何人もの怪我人がガルムと同じように寝かされ、時おり呻き声をあげていた。

 どうやらここは急ごしらえの医療施設のようだ。


「アンタ、その体どうしたんだい? ラティアも見当たらないし、いったい何があった?」


 そう言われてガルムは自身の体を眺める。

 右半身を飲み込み、左半身をも覆い尽くそうとしていた呪いはきれいさっぱり消え去っていた。

 その事実が、先ほど起きたことが夢でなかったのだとガルムに教えてくれる。


「……ラティアがクレールスと大魔女に連れていかれた。いや、違うな……。アイツが身を挺して俺を助けたんだ」


 俺はそんなことなんてみじんも望んでねぇのに。

 そう言いながらガルムは立ち上がろうとする。


「そう……、あの子はそういう道を選んだのね」

「おい、待てリオ。オマエ、知ってたのか?」

「知ってたも何も気づくでしょう? それともあんた、気づいてないふりでもしていたわけ?」

「それは……」


 ラティアはあの日、自分が助けた少女。

 なぜ、今の今まで気付かなかったのだろう。

 いや、考えようとしてこなかっただけか。


 ガルムはこれまでの旅を振り返る。

 今思えば、気付くきっかけなどいくらでもあった。

 自分はどれだけ、あいつをちゃんと見ていなかったのかと思い知らされる。

 

 そう、見ようとしなかった。

 考えようとしなかった。

 失われたはずの過去の自分。

 そこから繋がった命が、今どこで何をしているのかなど。

 知りたくなかったのだ。


 あの日助けた少女の苦しみを。

 親友を失い、己を失い、周囲からは後ろ指をさされ、それでも自分の成したことは間違いなどではなかったと。

 ギリギリのところで信じられたのは、あの少女の存在があったからだ。

 

 彼女の命は守られた。

 彼女の人生は救われた。

 彼女だけはまだ光の中で生きている。

 自分に代わって。イリアスやリオ、助けられなかった他の子供たちに代わって。

 彼女だけはきっと、幸せに暮らしているはずだった。


 それなのに――

 あの子がラティアなのだとしたら、俺は彼女になんて言って謝ればいい。


「あのバカヤロウが……っ!」


 こんな結末なんて望んでいなかった。

 友人を殺して手に入る平穏も、少女を犠牲にして手に入る人生も必要なかった。

 だが少女は、自らを犠牲にしてこんな男を救った。

 それが、彼女の人生のすべてになってしまったから。

 生きる目的のすべてになってしまったから。


 ――――――くそくらえだ。


「で、これからあんたはどうするんだい?」

「決まってるだろう、あいつを助けに行く」


 ガルムは立ち上がった。

 大魔女の手から助け出して、ガルムは彼女に伝えないといけない。

 だが、ガルムの行く手を阻むようにリオが剣を突きつける。


「何のつもりだ、リオ……」

「粋がるのは結構だけどね、聖剣も無くしちまった今のあんたが、あの二人に勝てるとでも?」


 確かに、ガルムの手には、もう聖剣ちからなどなかった。

 生命の聖剣は失われた。

 相手は最悪の魔女と、最強の騎士。

 今のガルムに勝ち目などあるはずもない。


「……ッ、クソが――――ッ!」


 ガルムは行き場のない怒りを地面に叩きつける。

 皮が裂け、こぶしに痛みが走る。

 だが、いつまでたっても傷は治らない。


 力が、力が欲しかった。

 大魔女を、騎士団長を、全てを倒せる力が欲しい。

 ラティアを助け出せる力が欲しい。

 それこそ力が手に入るなら呪われたって、明日死ぬ命だってかまわない。


 その願いが、その思いが、通じたのかもしれない。

 ガシャンと破砕音が響いた。

 直後、どこからか飛来した一振りの剣がガルムの眼前に突き刺さった。


「なッ! これは……ッ。聖剣ティフォンだと……ッ!?」


 稲妻のごとき鋭さを有するフォルム。

 宝石のように透き通った若草色の刀身。 

 失われたはずの【始原の七聖剣】が一振り、聖剣ティフォンに違いなかった。


 イリアスの魔獣化に際して行方不明になっていたはずだが――


 剣が飛んで来た方角。

 そして先ほどのガラスが割れるような大きな破砕音。

 まさか、暴風竜の残骸から飛んで出てきたとでもいうのか。

 ガルムは自身の眼前に突き刺さった剣を抜き放つ。


「軽い……」


 おそるおそる、ガルムは剣に軽く力を籠める。

 ふわりと体の周囲を風の層が包み込んだ。

 体が木の葉のように軽い。


「オマエ……、力を貸してくれるのか?」


 聖剣ティフォンが強く脈動した気がした。

 聖剣オムニスを使っていた時には得られなかった奇妙な感覚。


「そうか……」


 ガルムはその脈動を、この剣の意思と受け取った。

 担い手にふさわしくないものは、聖剣の力を引き出すことができない。


「聖剣ティフォン。いや、あえてこう呼ぼう」


 そして、新たな相棒にガルムは呼びかける。

 この剣が、己が意志で自分を選んだのならば、その意志の持ち主は間違いなく彼だろうから。


「――――聖剣イリアス! 俺にお前の力を貸してくれ!」

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