第29話 魔女の契約

 ラティアを突き飛ばしたガルムの両の手が、聖剣と共に虚空へ吹き飛んだ


「ぐぁあああああああああっ――――!?」

「ガルムさん!?」


 ボトリ、と地へ落ちたガルムの腕を踏みにじる影があった。


「生命の聖剣か……」


 そうつぶやくと、聖剣〈オムニス〉のコアに剣を突き立てた。

 ビシッ、と音を立てて生命の聖剣に亀裂が走る。


「――――っ!?」


 ドクン、とガルムの右半身が脈動する。

 聖剣の本体が損傷したことで、聖剣の機能が急速に失われていく。

 ガルムが聖剣で無理やり抑え込んでいた呪いが、拘束していた聖剣を弾き飛ばして左半身へと襲い掛かる。


「五年ぶりか、ガルム・ベーオウルブズ」

「クレールス……。クレールス・アーデルハイド!」


 そこにいたのは光の聖剣を構えた騎士団長の姿だった。


「……今更、竜退治に来たって訳か」

「あのバケモノがジルバリオに襲来したとあっては、流石に私が動かざるをえまい」


 ガルムはかつての記憶を思い出す。

 イリアスが暴風竜となった際も、この男は聖剣の担い手全員をもって暴風竜を討伐しようとしたのだ。

 一切の躊躇なく。


「もっとも、私が探していた輩が二人もいるのは、幸運としか言いようがないが」

「――――っ!」


 ガルムは半ば反射的にラティアの前に出ると、自身の力で傷を癒そうとするが、


「させんよ」


 クレールスは腰から引き抜いたもう一振りの剣をガルムの体に突き刺した。


「生命の聖剣と戦って私が負けることはない。だが、時間を稼がれて私の目的を達成しそこなうのは本意ではない」

「ガッ、あぁ!?」

「よって、この魔剣の力を借りよう」

「……まさか、それは!?」


 ひどく有機的なフォルムをしたその剣に、ガルムは見覚えがあった。


「魔剣【クロノミリア】よ、命を喰らえ!」

「がああああああぁあっ!?」


 大魔女アイネが所持していた魔剣。

 生命の魔剣〈クロノミリア〉。

 その力は生命の操作。

 その中には、他者の生命力を奪うというものもある。


 大魔女がその力を行使した際は、生命の聖剣で同じことを行い対抗した。

 だが、聖剣オムニスはコアを砕かれ力を失っている。

 ゆえに、その力の恩恵を受けられないガルムは急速にその生命力を搾取され、立っていることすらままならなくなってしまった。


「無様なものだ。大魔女アイネを殺し、ガシューもルナールも退けたというから万全のタイミングを見計らって仕掛けたが、大げさすぎたかもしれんな」

「てめぇ、いつから見てやがった……? リオはどうした!?」

「最初からだ。リオ君は疲れていたようだったからな、眠ってもらったよ。全く、弱いな貴様は。私ならば五分で片が付いたぞ」

「……相変わらず、口だけは達者だな、クレールス。自分一人じゃ勝てそうにないから、俺に倒してもらおうとしたんだろうが……」


 魔剣に生命力を吸いつくされ、息も絶え絶えのガルム。

 だが、クレールスをにらむその目の鋭さは一層増している。


「何とでもいうがいいさ、貴様はここで死ぬ。その事実は変わらん」


 クレールスは魔剣をガルムから抜き取ると大上段に構える。


「これで終わりだ、死ね!」

「やめて!」


 ラティアはとっさに振り下ろされる剣とガルムの間に滑り込んだ。

 直後、ガルムの首へ勢いよく振り下ろされたその剣が、ピタリと静止する。


 クレールスの持つ魔剣が震えている。

 それは渾身の力で振り下ろそうとしているのに、空間に縫い留められたかの如く一寸も動かない。


「何してやがる! 早く逃げろ……っ!」


 ガルムはその隙に叫ぶ。

 しかしラティアは依然ガルムから離れようとしない。


「大魔女殿、どういうつもりかな?」


 クレールスは虚空に問いかける。


〈その娘は殺すなと言うたじゃろう。それは、ワシの次の体じゃ〉


 それにこたえたのは聞き覚えのある声。

 否、それは声ではなかった。正しくは、頭の中に響く思念。


「馬鹿な、大魔女だと……、間違いなく一片も残らず消滅させたはず……」


 ガルムの動揺を嘲るように、しゃがれた女の声が笑う。


〈ハハハハ、愚か者め! あの程度でワシが死ぬと思うたか? そして、ワシがわざわざ危険を冒してお主の前にのこのこ出てくるとでも?〉


「アイネ。それ以上の無駄口はやめろ。どけ、小娘!」

「いやです」


 ラティアはガルムの前に仁王立ちしてその場から動こうとしない。


「殺すなとは言われているが、傷つけるなとは言われていない。右足を切るぞ」

「絶対にどきません!」


 ガルムの前に立つラティアの足は震えている。

 だが、彼女は決して引こうとしない。


「ラティア……、退くんだっ!」

「私は、何と言われても退きません!」


 ラティアは動けないガルムの体を抱きしめる。


「大魔女、私と取引しましょう」

「なにを……!? おい、何を言ってる、ラティア!」

「ガルムは黙ってて!」


〈この期に及んで。お主、主導権が自分にあるとでも思っているのか?〉

「そんなこと思っていません。でも、私が死んだらとても困るでしょう?」


 そういうとラティアは、未だに宙に静止したままクレールスに抵抗している生命の魔剣の刀身へと自ら首を寄せる。

 表皮が切れて、つぅと赤い血がしたたり落ちる。


〈……とりあえず話だけは聞こうかの〉


 ラティアの覚悟のほどを知ったか、大魔女の意思はラティアに続きを促す。


「私は大人しくあなたのものになります。だから、あの人を助けて。呪いを解いて傷も治してあげて。そして、この場は見逃してあげて」


〈ずいぶんな業突く張りじゃの〉


「私の命は安くないの。それはあなたが一番よく知ってるでしょ」


〈じゃが、傷を治した途端に襲われてはかなわん、まずはお前が体を差し出せ〉


「いやよ、あなたが私との約束を守る保証がない」


〈……呪いだけは先に解こう〉


「わかったわ、契約成立ね」


 そう言ってラティアは懐から巻物を取り出すと、何かを書き加える。

 そして、親指を噛み切って血判を押すとクレールスへと投げてよこした。


「魔女契約か、ずいぶん用意がいいな。で、これでいいのかアイネ?」


〈問題ない、契約成立じゃ。クレールス、魔剣を手放せ。絶対に手を出すなよ?〉


「……御意に」


 クレールスが魔剣から手を離すと、魔剣はそのまま宙に浮かんだ。


「……やっぱり魔剣そこにいたのね、貴女」


〈カカカカ、流石にバレるか。さぁ、契約じゃ。その男を治してやろう〉


 ガルムはラティアに体をそっと起こされる。


「……ふざけんなよ、ラティア! ……テメェの都合で、勝手に、決めるな!」

「ごめんなさいガルム。でも、今の私にこれしかないの」

「うるせぇ! オレの呪いはオマエが解け! こんな奴らはオレが叩き潰す!」


 手を挙げる力すら残っていなかったが、ガルムはそう啖呵を切る。

 ラティアは、なぜか悲し気に、苦々しく笑った。


「私じゃ無理。失敗したのを見たでしょ? 次に失敗したらどうなるか分からない」


 そう言って、ラティアはただ穏やかに微笑んだ。


「……っ! やめろ……、やめろラティア!」


 ラティアは動けないガルムを再び寝かせると、その場を離れる。


〈話は済んだかの?〉


 そして、あの日の少女は、大魔女の言葉に小さく頷いた。


〈では、始めるかの〉


 その言葉が聞こえた瞬間、生命の魔剣がガルムの体に突き刺さる。


「――――がッ!?」

「何するの! ガルムを傷つけないで!」


〈黙って見ておれ! この半端者が!〉


「――――あああああ!?」


 ドクン、ドクン、と生命の魔剣が脈動する。

 まるで何かを吸い出すかのように。


〈ほう、これは……! さすがといったところか。竜種にも匹敵する密度の魔素に耐えるだけのことはあるわい……。生命の聖剣よ、最後の務めを果たせ!〉


 大魔女の呼びかけに答えるように、生命の聖剣が飛来する。

 そして、ガルムの体に、その右胸に突き刺さった。


「な、何を」


 ラティアは呆然とその光景を見つめる。

 

 聖剣と魔剣。

 二つの同じ属性の剣が、共鳴を始める。

 そして、コアを砕かれ刀身にひびが入っていた生命の聖剣が強く脈動していく。

 

 変化は、ガルムの体の末端から始まった。

 人の原形をとどめていなかった右半身。

 その足元からベリベリと音を立てて結晶がはがれていく。

 その現象は四肢の末端から右胸の中心へ、生命の聖剣が突き刺さった場所へと収束していく。

 それに伴って、聖剣は刀身とコアとなっている魔結晶が修復していく。

 だが、新緑の如く明るい緑色だった刀身は、枯れ果てた落ち葉のように黒くくすんでいく。


〈顕現せよ、魔剣オムニス! 否、こう呼ぶべきか? 魔剣ベーオウルブズ!〉


 金切声にも似た産声が周囲に響き渡る。

 ガルムの胸に埋め込まれた【祝福の結晶】が剣のコアと融合する。

 魔剣ベーオウルブズが、ガルムの体から解き放たれ新生した瞬間だった。


〈ふむ、悪くないできじゃの。これはもらっていく。さぁ、ラティア。こちらの契約は果たした、そなたの体、もらい受けるぞ〉


「……わかったわ」


 ラティアは、大地に横たわるガルムの姿を眺める。


「らてぃ、あ……」


 ガルムは最後の力を振り絞って、ラティアへ向けて手を伸ばした。

 呪いの象徴たる結晶体が完全に消えたその体、その顔、その瞳を見て、少女の頬に一筋の雫が伝い落ちる。


「さようなら」


満足げに笑ったラティアの体に、生命の魔剣が深々と突き刺さった。


「さようなら、私の騎士様」

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