第28話 水龍と暴風竜

 どれぐらいの間、戦い続けただろうか?

 一分、十分、ひょっとしたら一時間は越えたかもしれない。

 

 竜が振るう爪を打ち払い、風の刃を躱し、前足を斬り落とす勢いで切りかかる。

 だが、ガルムの渾身の一撃は、やはり風の結界に防がれてしまい、表皮を傷つけるだけで終わる。


 この体はあとどれくらい持つだろうか?

 渾身の力で剣を振るたび。

 しくじってその身を削るたび。

 この身を蝕む呪いは意気揚々とその浸食範囲を広げていく。


 ラティアの手によって一度は払われた呪いは、今や右半身を覆いつくさんばかりにまで広がっている。

 だが、手を抜くわけにはいかなかった。

 ガルムが少しでも手を抜けば、あちらはその隙をついて翼を再生させてしまう。

 

 本来のガルムは短期決戦を得意としていた。

 呪いを受けてからは本気を出さずとも瞬殺できる敵しか相手にしてこなかった。

 だからこそ、五年もの間、呪われたまま聖剣の力を振るい続けてこられたのだ。

 ガルムがこの五年で全力を出したのは、ガシュー、ルナール、そして何度か戦った大型魔獣程度だ。


(ラティアに出会ってからばっかりだな……)


 ガルムは思わず苦笑する。ラティアに出会ってからは戦ってばかりだ。

 だが、彼女に出会ったことでガルムは過去から前進できた。

 憎き仇を葬り去ることができた。

 そして束の間ではあったが、素顔のままの自分でいられる猶予を与えられた。

 人間らしく生きられる人生を。希望を。


(恩返しするって、約束したからな……。ここでくたばるわけにはいかねぇ!)


 暴風竜は尾を振り回し、生じさせた竜巻をガルムへ向かって投げつけてくる。

 竜巻は砂塵を瓦礫を巻き込み、黒々とした壁となってガルムに迫りくる。

 

 全力でガルムは回避するが、それこそが失敗だった。

 ガルムが避けた先。

 そこには大口を開き、全力の竜の吐息《ブレス》をこちらへ叩きこもうとする暴風竜の姿があった。


「――――なっ」


 想定外の事態に思考が、行動が一瞬停滞する。

 だが、長年の勘が、今こそが好機だと告げていた。

 ガルムは限界を超えて身体能力の強化を行い、暴風竜へ突貫する。


「うぉおおおおおおおおおお!」


 暴風竜が結界を解いた今こそが、最大のチャンス。

 その首を切り落とすべく、ガルムは放たれた矢のように突き進む。


「GRRRRAAAAAAAAAAAA」


 だが、あと一歩足りなかった。

 ガルムの刃が届くより先に、暴風竜の口腔から吐息が放たれた。

 真正面から受け止める形になり、全身をズタボロにしながら、吹き飛ばされる。


「……ちっ、クソがッ……!」


 生命の聖剣は、担い手を生かすべく、その持てる力のすべてを回復に回す。

 だが、それが仇となってガルムの体は急速に呪いに蝕まれていく。


 この状況はラティアと出会った時に近い。

 すなわち、いつ呪いが暴走してもおかしくはない状況。


(これまで、か……)


 ガルムは半ば反射的に、力の配分を呪いを制御する方向へと向ける。

 このまま無理を続けて自分も魔獣と化すことだけは避けたい。

 だが、そうなると竜の回復も、進行も、阻止することはできない。

 勝ちの目は失われた。そう思われたその時だった。


「――――ガルム! 遅くなって、ゴメン!」


 ラティアの声が聞こえた。

 みれば城壁の上に立つ二人の姿がある。


「……ったく、遅ぇぞ!」


 ガルムは口の端を吊り上げて、地を蹴った。

 その瞳を曇らせていた諦観を、再燃する闘志へと塗り替えて。


「――――ベーオウルブズ!」


 次いで、リオの力強い呼びかけが背を押した。


「一回だけ全力を出す! 私に合わせろ! 鎧装、着装!」

「応ッ!」


 リオの全力――――ならば、水の聖剣と引き換えに獄炎竜を屠ったあの技だろう。

 だとすると、もう少しだけ時間を稼がなければならない。

 

 助っ人の登場に、暴風竜もその危険性に気づいたか。

 ガルムではなくリオへと、その敵意の照準を向けようとする。


「――――させねぇよ! 鎧装、着装」


 ガルムは二人に害が及ばぬよう、全ての力を聖剣に込める。

 ギシギシと全身を蝕む呪いを無視して、力を最大限に引き出す。

 


「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」


 目の前を羽虫のごとく飛び回るガルムに、暴風竜は苛立ちの咆哮を上げる。

 ダメージを受けることを躊躇せず捨て身で攻撃を叩きこむガルム。

 一人ではないという事実。

 頼もしい仲間の存在が、彼にその蛮行を許した。

 暴風竜はその勢いに、その攻撃に、結界を乱される。

 そして、時折その硬い表皮に傷をつけられる。

 

 だが、それだけでは足りない。

 一人の力では最強の竜種へは届かない。


「水の聖剣〈カタラクティス〉よ! 我が全霊をもって汝が力を開放せん!」


 周囲の大気から、地面から、水気が失われていく。

 ことごとく吸い上げられた水分が、リオへ、水の聖剣〈カタラクティス〉へ――――天を差す刃の先へと収束していく。

 その莫大な力の余波か、同時に空気が一瞬にして乾き、ざらついていく。


「――――!」


 ガルムたちの周辺から突如、幾本もの間欠泉が噴出した。

 その水も宙へ舞いあがり、吸い込まれていく。

 そして、リオの頭上には暴風竜よりもはるかに巨大な水球が形成される。


「――――【水龍大瀑布】!」


 リオが聖剣を振り下ろすと、その力は解き放たれた。

 全てを押し流す力の象徴。

 水龍を象ったその威容が、暴風竜へ向かって殺到し、激突する。

 迸る水の奔流が、幾層にも重ねられた風の結界を次々とはがしていく。

 だが、その勢いは長くは続かなかった。


「ぐぅ……っ!」


 バリン、と音を立てて水の聖剣が完全に砕け散った。

 莫大な量の水を制御していた聖剣が失われる。

 

 だが、迸る水の本流は無秩序な水流ではなく、意志持つ水龍の如く、その咢を暴風竜へと向け続けている。

 今、その全ての制御はリオの力だけで行われている。

 人間の限界を超えた負荷に、リオが膝をつく。


「リオさん!」

「まだだ……っ! 私の手で、終わらせる!」


 リオの限界を超えて、水龍が必死に暴風竜へと食らいつく。

 身の丈を超えた魔術の行使に、全身の血が沸騰し、筋繊維が断ち切れていく。

 だが、リオは止まらない。


「――――いっけぇぇっ!」


 そうして水龍の顎は、幾層にも重なる暴風竜の結界を食い破り、ついにその首にまで喰らいついた。


「GYAAAAAAAAAAAAAAA」


 必死に抵抗を繰り返す暴風竜。

 だが、その身を守る結界はもう存在しない。

 その隙を見逃すガルムではなかった。


「――――喰らえっ! 俺の全力全開!」


 一刀で、鋭い爪がきらめく右前脚を切り飛ばした。

 二刀で、バランスを崩して重量がかかった、左前脚を切り飛ばした。

 三刀で、落ちてきた首を跳ね飛ばした。

 

 四刀

 五刀

 六刀

 

 ガルムが刃を振るうたびに暴風竜の体が切断されていく。

 

 七刀

 八刀

 九刀

 

 そうして、体のすべてを切り刻み、飛び出した巨大なコアを最後の一刀で両断した。


「……あばよ、相棒」


 断末魔の悲鳴はなかった。

 ズズン、と地鳴りを響かせて暴風竜が倒れ伏す。

 残った体は、バキバキと音を立てて結晶体へと変化していった。

 生命活動が止まったことで、魔獣としての形を保てなくなったのだろう


「はぁ、はぁ……」


 ガルムは膝をつくと、生命の聖剣をしても癒しきれぬ傷に、痛みに苦しみ悶える。

 呪いは、今や胴体を全て覆い尽くすまでに復活している。

 これ以上はまずい。

 ガルムは鎧装を解除し、聖剣の力を全てを呪いの制御に回した。


「ガルムさん!」

「遅ぇぞ、ラティア」


 すぐにラティアがガルムのもとへかけてくる。

 その様子にガルムが思わず安堵の吐息をつく。


「すみません、遅くなってしまって……。あぁ、呪いがこんなに……」


 ラティアは、再びガルムの体を覆ってしまった呪いに顔を曇らせる。


「なんてことはないさ。オマエが治してくれるんだろ?」

「……はい! あなたは私が何があっても絶対に直します! じゃあ、私は早速、暴風竜の魔結晶を採取してきますね!」


 ラティアはそう言い残して、崩れ落ちた暴風竜の死骸へと走っていった。

 気の早い奴だ、とガルムは苦笑する。


「ベーオウルブズ。……いや、ガルム。ジルバリオの皆を守ってくれてありがとう。そして、イリアスを開放してくれて、ありがとう……。アタシ一人ではどうにもならなかった」

「オレ一人でも絶対に勝てない戦いだった。オマエ達二人のおかげだよ」

「……そういってもらえると嬉しいね」


 リオの頬に涙がつぅと伝っていく。

 最愛の人をようやく弔えるのだ。

 自分がいては邪魔になるだろう。

 ガルムはリオの元を離れ、ラティアの元へ向かった。


「ガルムさーん! 助けてくださいー! 暴風竜が大きすぎて、私じゃ手も足も出ませんー。多分この下なんですけれど……」

「何やってんだオマエは……。仕方ねぇ奴だな……」


 暴風竜の体は完全に崩れ去り、そこに残されているのは若草色をした残骸の山。

 ラティアの細腕では歯が立たないようだった。

 彼女の指示に従って、ガルムは目的の魔結晶を探して山を切り崩していく。


「……呪いが解けたら、ガルムさんはどうしたいですか?」

「考えたこともなかったな」


 復讐を果たすことに、生きることに精いっぱいで、明日を考えたことなんていつ以来だろう。

 自分が何をしたいのか、そんなことすらわからない。


「もしよかったら何ですけれど、私と……」


 ラティアが何かを言おうとして口ごもる。

 そして、意を決して、再度口を開こうとしたその時だった。


「――――鎧装・着装」


 ブワッ、と二人の背後で突如巻き起こる圧迫感と輝き。


「危ねぇ!」

「え!?」


 二人の視界を光の壁が遮るのと、ガルムがラティアを突き飛ばすのは同時だった。

 ラティアを突き飛ばしたガルムの両の手が、聖剣と共に虚空へ吹き飛んだ。

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