第四帖 薄雲

前編

其ノ一 石鹸

 長月ながつきのある夕方のこと。


「お優、みせのお客人にお茶を出しに行って欲しいんだけど、丁度ちょうど茶葉が切れて居てね。悪いが急ぎ、離れの納戸なんどまで取りに行っておくれ」


 女中頭じょちゅうがしらのお富さんにそう言われて、私お優は書生しょせいの前を通って少し先に有る、物置きに使って居る離れの納戸まで、新茶の茶壺ちゃつぼを取りに行きました。


 私は茶壺を取り終えて、納戸の木戸きどをがらりと開けると、隣の書生の間から小さな巾着袋きんちゃくぶくろげた春庭はるにわ様が現れて、一通り辺りを見回して、誰かに見咎みとがめられては居ないかと確認をされた後、


「お優、一寸ちょっと。渡したい物が有るんだ」

 と私に声を掛けられました。


 突然の事に戸惑いながら私は、

「あ、はい」

 とだけ、目を伏せ気味に返事をしました。


 その時の春庭様は、ついさっき湯に行って来たばかりなのか、おぐしが少し濡れ、元結もとゆいからしどけなくほどけ出た髪から、ほんの少ししずくが垂れて居り、無患子むくろじ石鹸の良い香りが風に乗って私の所へ運ばれて来ました。


 まだ残暑の厳しい折でしたので、春庭様は浴衣ゆかたえりを少し開けて、汗ばむ胸とお顔を団扇うちわで仰がれながら、

「お優は近頃父上と、労咳ろうがいの患者を診て居ると聞いたけど、診察の時、これを着けて行くと良い」

 と言って、笑顔で私にその巾着袋を差し出しました。



明日に続く

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