その一口を作ること

幸まる

体験実習

年末年始は、どこでも忙しいものだ。

今年を無事に終え、新しい年を迎え入れるために、様々な準備が行われている。


この領主館でも、勿論それは変わらない。

いや、変わらないどころか、立場上多くの人々が連日出入りして、領主夫妻はてんてこ舞いだ。


そんな中、寄宿学校の今年の教育課程を終えて、三人の子供達が帰宅したのは一昨日のことだった。





「え? チョコレートナッツデニッシュですか?」

「ええ。エドワード様とアルベリヒ様が、どうしても今日のお茶の時間に欲しいと……」


厨房で困惑したのはベーカリー担当の女料理人、オルガだ。

昼食後の短い休憩中、突然やって来た侍女から、午後の茶菓子を注文をされた。


エドワードとアルベリヒは、一昨日帰宅したばかりの領主の息子達だ。

長男のエドワードは十四歳で、次男のアルベリヒは十二歳。


「申し訳ありませんが、デニッシュ生地は他の仕込みに使ってしまい、今日は焼けません。他の物にさせて頂くわけには……」

「それが…『必ず用意させるように』と強く仰っていて…」


侍女は困り顔のまま間をおいた。

どうやら、仕方ないと受け入れるつもりはなさそうだ。

エドワード達に、キツく言い含められているのかもしれない。

オルガは厨房を見回して、料理長の姿がないことを確認すると、近くにいた他の料理人に尋ねた。


「ハイス、料理長は?」

「明後日の晩餐会の打ち合わせに行ってる」


年末年始は、厨房も勿論大忙しだ。

この時間、副料理長は短い休憩で効率的に疲れを取るため、宿舎に戻って仮眠を取っているはずだ。

オルガは小さく溜め息をついた。


「よければ、私が直接ご説明しますが……」

「ええ、そうしてもらえる?」


明らかにホッとしたような様子で、侍女が答えた。





「ううう…、寒い……」


前領主の老紳士は、愛用の杖を突きながら、庭園の散策を終えて屋内へ戻って来た。

厚着をして、更に襟巻きで口元まで覆ってはいたが、年々寒さがこたえるようになってきたのは否めない。


斜め後ろを付いて歩く専属侍女のルイサは、わざとらしく大きく溜め息をつく。


「この寒いのに、年寄りが無理して外を歩かれるからです、大旦那様」

「やかましい! 少しは動けと言ったのはお前だろうが」


唸るように返した途端、近くの談話室から、少年の怒鳴り声が聞こえた。




「他の物に使ったというなら、作り直せば良いだけだろう!」

「申し訳ありませんが、デニッシュの生地は作るのに時間がかかるので、作り直しても今日中には間に合わないのです」


オルガから説明を受けて、談話室のソファーに腰掛けたエドワードは強く眉根を寄せる。

まだ未成年ではあるが、領主によく似た彼は、年齢よりはずっと大人びて見えた。

隣に座るアルベリヒの顔には、まだ幼さが見えるが、兄の隣にいるからか、その目線は尊大だった。



お茶の時間に間に合わないのなら、せめて夕食のデザートに添えろと譲歩してやったのに、女料理人は出来ないと言って譲らない。

エドワードは苛立って、声を荒げた。


「主人の求めに何としても応じるのが使用人の努めだろう! そうしないのは怠慢だ!」



“怠慢”と言われて、オルガは身体の横で拳を握った。


この仕事に誇りを持っている。

口に入る食べ物を作ることは、人間の生命を作ることと同義だ。

一度だって手を抜いたことはない。


口答えするべきでないことは分かっていたが、オルガは思わず口を開こうとした。



「騒がしい。部屋の外まで丸聞こえだ」


突然談話室の入口から聞こえた声に、その場にいた全員がそちらを向く。

入口には、両手で杖を突いた老紳士が立っていた。

 

「お祖父様」

「話は聞いた。どうもエミーリエに好物を用意すると約束したようだな?」


老紳士の側には、ルイサと共にエドワードの侍女も立っていて、エドワードと目が合うと、目線を逸らした。

事情を尋ねられて、騒ぎの原因を説明したのだろう。



そもそもの原因は、久しぶりに帰郷した兄弟が、末の妹エミーリエと共にお茶をする約束をしたことに始まる。

最近は、お茶の時間に好物のデニッシュを出してもらえなくなったと聞き、必ず用意させると約束したのはエドワードだ。

歳の離れた天使のようなエミーリエを、兄達は溺愛しているのだった。



「そもそもエミーリエに喜んでもらいたくて用意するのなら、エドワード、アルベリヒ、お前達が自分で作ってみなさい」

「「「え!?」」」


兄弟とオルガが同時に声を上げた。


「誰かの為に用意するのは贈り物と同じ。今から用意せよと言うなら、自分がやってみれば良い」


老紳士は、さも当然のように頷いた。


唖然とする兄弟をよそに、彼は側にいる侍女や従僕達にテキパキと指示を出す。

そして、あれよあれよという間に、エドワードとアルベリヒは、真新しい前掛けを着けた姿で、臨時作業場と化した厨房横の広間に立たされていたのだった。





「……一体、何でこんな事になっている?」


厨房に戻って来て、困惑顔で副料理長に尋ねたのは料理長だ。

夕食の支度は、副料理長の指示の下で予定通り進んでいるが、何故か隣の広間で領主の息子達が粉まみれになって、ベタベタの生地を捏ねている。


「大旦那様の発案でね、体験実習さ。止めさせるか?」


副料理長は、可笑しそうに笑う。

理由はよく分からないが、指導するオルガの表情を見て、料理長は僅かに口端を上げる。


「夕食用のベーカリーは?」

「見習い二人を応援に回した。オルガが指示を出してるよ」

「それなら、問題ない。任せよう」


料理長は普段通りの仕事に戻った。




「これで良いだろうっ!?」


ようやく艶よく纏まった生地を指し、エドワードが粉まみれの胸を張る。


「はい。では生地を休ませている間に、バターを切ります」

「こ、これで終わりではないのか!?」

「勿論です。これは基本の生地です。デニッシュにするにはバターを織り込まなければなりません」


パン生地を捏ね上げるだけで息が上がっていた兄弟は、オルガが出してきたバターの塊を見て、一瞬ひるんだ。

食卓に上がるような小さなものではなく、人の頭程に大きかったからだ。

それでも気合を入れて用意されたナイフを持てば、オルガに止められ、氷の浮いた水桶を示された。


「バターが溶けないように、手を冷やして下さい」

「ひ、冷やす? この寒い中で?」


季節は冬。

そして、この広間は使用人達の休憩の場なので、休憩に使われない今は薪ストーブに火は入っていない。


「寒くても、手の体温はバターを溶かしてしまいます。溶けては生地に織り込めませんから」

「な…、ではお前はいつもこの水桶に手を突っ込んで作業しているのか!?」

「はい」


あっさり肯定されて、兄弟は顔を見合わせ、壁際に腰掛けている祖父を見た。

座って上着を掻き合わせている彼は、目が合うと、早く続きをと言うように、顎をクイと動かした。

止めるつもりは全くなさそうだ。


うぬぬ、と気合を入れて、水桶に手を突っ込んだ二人の、声無き悲鳴が厨房まで響いた。





領主一家の夕食の時間が近付く頃になって、ようやく兄弟は仕込み作業から解放された。

全身粉まみれで、疲れ切っている。



「普段当たり前に食べるパン一つが、どれ程の手間を掛けて作られているか分かったろう」


長い時間、ずっと黙って見ていた老紳士が言った。


「怠慢どころか、彼等の勤勉に私達は生かされている」


老紳士が視線を隣の厨房へ向ける。

兄弟がつられて向けば、忙しく立ち働く料理人達の姿が見えた。

キビキビと動く様子は真剣で、誰一人として気を散らすことなく、手元に集中している。


エドワードが広間に視線を戻せば、粉まみれのテーブルを掃き清め、道具を片付けるオルガと目が合った。


「最後まで作業して下さって、ありがとうございました。この生地で、明日チョコレートナッツデニッシュを焼きます。きっと、エミーリエ様もお兄様方の手作りと知ってお喜びになります」

「……と、当然だ。明日は必ず用意するように!」

「はい、エドワード様」


前掛けを乱暴に外して、エドワードが広間から出て行く。

アルベリヒは、そっと前掛けを外してオルガを見上げ、小声で「すまなかった」と呟いて、小走りに兄を追う。


オルガはその後ろ姿を見て、そっと微笑んだ。




ふ、と笑う気配を感じて、老紳士は隣に立つルイサを見上げた。


「何だ?」

「いいえ? 随分前に、マロンクリームデニッシュをどうしてもと駄々をこねて、大奥様に『自分で作ってご覧なさい』と厨房に連れて行かれた御仁がおられたことを思い出しただけでございます」


目元を緩めてそう言ったルイサを睨み、老紳士は鼻の上にシワを寄せる。


去年亡くなった妻と老紳士がまだ若かった頃、そうやって広間ここに連れて来られ、今の兄弟のように粉まみれになった。

そして、厨房で働く料理人達の熱意や勤勉さを知ったものだ。


「要らぬことを思い出しおって」

「大奥様の思い出に、“要らぬもの”はございません」

「…………違いない」


老紳士は腰を叩きながら立ち上がる。


「随分冷えた。ホットミルクを入れてくれ」

「大旦那様、もう夕食の時間でございます」


笑みを消して片眉を上げるルイサを、忌々し気に睨み直し、老紳士はフンと鼻を鳴らしたのだった。





翌日のお茶の時間、子供用の広間には、満面の笑みで椅子に腰掛けるエミーリエがいる。

両隣には兄二人が座る。


「エミーリエ、一日遅くなったが、約束通り好物を用意したよ」

「とても楽しみにしていたの! お兄様が作って下さったのだと聞きました。ありがとう、エドワードお兄様、アルベリヒお兄様」


その可愛らしい仕草と天使の微笑みに、兄弟の目尻が下がる。



香ばしく甘い香りと共に、侍女がお茶と茶菓子を乗せたワゴンを押してきた。

テーブルの上に乗せられたチョコレートナッツデニッシュを見て、エミーリエが僅かに首を傾げる。


「あら? ダークチェリーデニッシュじゃないの?」

「「え?」」

「今一番好きなのは、ダークチェリーデニッシュです、お兄様」


衝撃を受ける兄達に、エミーリエは可愛らしく両手を組んで、上目に微笑んだ。


「エミーリエの為に、また作ってくれますか?」

「あ…、ああ、もちろん……」


アルベリヒは返事をせずに視線を逸らす。

何とか微笑んで答えたエドワードの頬が引きつっていたのを、エミーリエが気付けたかどうかは定かではない。




《 終 》

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その一口を作ること 幸まる @karamitu

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