今までもこれからも

「あの…」

「はい?」


「失礼ですが、天海 聡さんでいらっしゃいますか?」


 驚いたことに彼女は私の名前を知っていた。


 綺麗な瞳でまっすぐ私を見つめている。年の頃は20代前半といったところか。予想に反して、しっかりとした声だった。


「はい。天海は私ですが」

「よかった。いきなりぶしつけなことで、どうかお許しください。実はお願いがありまして…」


 彼女があまりにも真剣な目をするから、私は少しためらいながらも「お話だけでも伺いましょう」と、誰もいないシアターに案内する。


 彼女は優香里さんと雰囲気が似ていた。顔というより所作が生み出す空気が同じなのだ。

 だからなのか、私は更にいっそう彼女に興味を抱いた。


 そして、彼女の話を聞き、彼女の願いを聞き入れることに同意した。


 それは私にとって相当な覚悟を持った決断だった。



※ ※ ※


 約束の日がやって来た。


 やはり断るべきだったかと、朝から後悔の念が私をおそう。


 私は老いた。あの頃の面影はほぼないだろう。髪は白く筋肉と呼べるものも今はない。それでも会ったことを後悔させたくなくて、髪を整え服装にも気をくばる。そして優香里さんからもらった大事な腕時計をいつものように身につけた。


 それはアナログの時計。今では希少価値の高い代物だ。



 そして今、私の目の前に私が心から愛した女性ヒトがいる。



「お久しぶりです。聡さん」


 私は何も言えなかった。彼女が目の前にいるというのに、時を経て会えた愛しの人を目の前にして、気の利いた言葉の一つも出てこない。


「ふふ。こんなにお婆ちゃんになってびっくりしました?」

「あ、いえ…。まさか生身のお姿でここまでいらっしゃるとは思っていなくて」

「私も貴方と同じ。この体と付き合っているのですよ。それももう…ガタがあちらこちらにきてますが」


 彼女は口元に手を添え、微笑む。


 歳を重ねても、彼女の魅力は少しも衰えていなかった。むしろ美しさに磨きがかかったのではないだろうか? 


「お元気そうでよかった」


 私は彼女の手をとり、あの日の私たちの特等席に誘う。


「あぁ~何も変わってない。あの頃と」

「えぇ。でも、スクリーンだけはあの時より性能はよくなりましたよ」


 彼女はにっこりと微笑み、シートに深く腰掛け周りを見渡していた。そんな彼女の横顔が当時の二人に時を戻していく。


「そんなに見つめられると、恥ずかしいわ」


 彼女のはにかんだ、いたずらっぽい笑顔も昔のままだ。


 聞きたいことは山ほどあったはずなのに、私は何も言えずただ彼女を見つめていた。愛しさという形のない想いが体の奥から溢れて来る。

 触れることのできる距離に彼女がいることだけで幸せだと、心から思った。



「ご家族は?」


 彼女が急に振り向くから私はドキリとする。


「いえ…、どうも…私には縁がなかったようで」

「そう」


 貴方以外の人を愛することなどできなかった、なんて口が避けても言えなかった。


「優香里さん、貴方は素敵なご家族に恵まれて、お幸せそうだ」

「えぇ、ありがとう。ある意味今の行政の仕組みは素晴らしいのかもしれませんね」


「歯切れが悪いですね。でも貴方がこうして生きていてくれて、私は本当に…」


 彼女がしわしわの手で、ゆっくりと私の唇に触れる。これは「これ以上言わないで」の合図。


 私はそっと彼女の手に触れた。それは暖かく血のかよった生身のそれだった。


「私も歳をとり、だいぶ髪が薄くなりました」

「ふふ。お互い歳をとりましたね」


 彼女はそう言いしっかりと私の瞳を見つめる。



 私は彼女の大ファンだった。だから無謀にも彼女の主演映画の相手役のオーディションに応募したのだ。直接会えるだけで良い! そんな不純な気持ちで応募した。


 何が起きたかわからなかった。私は10歳も年の離れた彼女の彼氏役に抜擢され、彼女と恋に落ちた。

 あの頃の私は、熱意をぶつけるだけのただの子どもにすぎなかったけれど、それでも忙しい時間の間をぬって会える喜びは、私の人生でかけ替えのない時間だった。


 でもそれは過去のこと。私は彼女に伝えなければならない。



「優香里さん。貴方は後世に残すべき選ばれた人だ。それは誰もが認めていることで、私とは違う」


 彼女は不思議そうに私を見続けている。


「貴方は、貴方は国の方針にしたがって生き続けなければならない」


 私は彼女の孫とも思えるもう一人の女性のことを思い浮かべていた。


「ふっ…。真理亜に頼まれたのね。私を説得するように」

「いえ、彼女はただ…。ただ貴方に会って欲しいとだけ」

「そうですか」


 彼女はスッと私の手から逃れ膝の上のハンカチをぎゅっと握る。


「ご存じの通り、私はAIとやらに取り込まれ生き続けるか、肉体と共にこの世を去るか選ばなければならない年齢になりました」


 私はごくりと唾をのみ、彼女の横顔を見つめた。


「みな、永遠の命が得られるのは素晴らしいといいます。でも…」

「でも?」

「所詮機械です。いくら私の過去を学習しても、私の本当の気持ちなどは再現されることはないでしょう。それは死ぬことと同意じゃないかしら」


 彼女の瞳がゆらゆらと動く。辛そうな横顔に私は心が苦しくなっていく。今すぐ彼女を抱き締めたい。でもそれは許されない気がする。儚く清楚で汚れなき人。それが彼女なのだ。


「優香里さん」


 私は力強く彼女の手を握る。彼女が遠くに行ってしまわないように。


 既に彼女の気持ちは決まっている。私は彼女の瞳を見てそう悟った。

 彼女は昔からそういう人だった。私の愛した愛しい女性ヒト


 一呼吸おいて、私は沈黙を破りこう続けた。


「私は貴方が望み選んだことなら、どんなことでも賛成です」

「聡さん…」


 彼女はもう片方の手を私の上にそっと添え、こう続けた。


「ありがとう…。もっと早く貴方に会いに来ればよかった。貴方に出会えて、貴方を想い生きてきてきたこと、そう…残りの時間は、自分を誉めて過ごすことにするわ」


「こんなじじいに…優香里さんは意地悪ですね。その台詞、私が言うべきところですよ」

「ふふ。あの時は貴方にしてやられましたけど、言わせてちょうだい」


 彼女は改めて姿勢を正し私に向き合うと、こう続けた。


「人として生きることを選んだ貴方は、正しかったのだと」




 彼女と私は違う世界に住んでいる。


 彼女がアバターとなった時、彼女との思い出も、ここシアターで過ごした時間もきっと彼らAIは知らない。

 だからこそ私はここで真の彼女を想い続ける亡霊として残りの時間を過ごすのだ。


 最期の別れを惜しむように、私たちは語り合った。時に笑い時に涙を流し。


 そして、彼女からもらった時計が無情にも終わりの時を刻む。




「優香里さん。私は…ずっと貴方を忘れない」


 例え老いて全て忘れてしまっても、ここで貴方と過ごした時間は人生の中で最高の瞬間だったのだから。


 ミニシアターの特等席。

 私の最期はここになるだろう。スクリーンに映る貴方の笑顔に看取られて。


『僕は…君を愛してる。例え何が起きても、君の側を離れない』


 恥ずかしくも、あの時のあの純粋な気持ちを連れて。



 今、ゆっくりと幕が閉じる。




END

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ミニシアターの恋人 桔梗 浬 @hareruya0126

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