ミニシアターの恋人

桔梗 浬

ミニシアターの恋人

 彼女は突然現れた。


 お世辞にも綺麗な場所とは言い難いこの場所に、彼女は独りでやって来たのだ。

 使い古された言葉だが、砂漠に咲く一輪の花のように彼女は美しく輝いていた。



 ここは古ぼけたミニシアター。生身の人間が運営している最期となるであろう場所といわれている。


 こじんまりした空間に、私の趣味とも言える映画のタイトルだけを上映している場所。

 今ではAIがシナリオを造り、AIが売れる見込みのあるモノを選び、上映スケジュールを組む世の中で、生身の人間が運営しているのは相当珍しい。


 私はその時代の流れに逆らい、昔から名作と言われたモノを上映している。いわば私は変わり者なのだ。


 客の多くは、大金を払いAIに意識を取り込んだ人形(アバター)を操る一部の輩と、相場は決まっている。彼らは過去、人間が造り出した奇抜なアイデア、愛や人を想う心を学ぶために足を運んでいるのだろう。


 それでもこのシアターでは、1回の上映で10人程度席が埋まればいい方で、少ない時は私独りで観賞するのもざらである。

 今は手のひら一つで、目の前に広がる仮想モニターでいつでも好きな映像を再生できるのだから、私のように映画館で昔の映画を鑑賞する需要はほぼない。


 世知辛い世の中だ。


 そんな場所に彼女は現れた。何の前触れもなく、美しい身なりで静かにシートに腰を下ろした。


 私はチラッと見えた彼女の横顔に、年甲斐もなく心がざわついた。身体中の血液が一気にめぐり始めたように鼓動が波打つ。


 慌てて入場システムのデータを私はチェックする。彼女は人間なのかアバターなのか。少しの期待を胸に抱き、私はシステムにアクセスした。


『アドミンアクセス、ロックカイジョ』

「今日の入場履歴を出してくれ」


 かなり昔から少子化が問題となり、生身の人間は貴重な存在となっている。なのでアバターと人間ではサービスが異なり入場料金にも差がある。

 これは国の法として決定しており、このシアターにも入場ゲートにチェックシステムが導入されていた。



 結果は期待を裏切らないものだった。



「彼女は…人間」


 今上映している映画を観ている彼女は、正真正銘の人間。しかもかつて私が愛した女性に横顔、雰囲気がとても似ているのだ。


 あの頃は恋愛もセックスも結婚も、ある程度自由があった。だがしかし、人間の数が減りAIの技術が急速に進化すると、優秀な子孫を生み出すことが義務付けられた。そう、結婚も出産も教育も、すべてAIが相性を弾き出し決めるのだ。


 技術は神の領域ですら、侵略する。


 私は学歴もなければ、サラブレッドでもない男だから、彼女との結婚は到底許されはしなかった。優秀な子孫を残すためと言われたら、なにも反論できない。



※ ※ ※


 あの日私は彼女とこのシアターに来ていた。


 当時ここは私の祖父が細々と運営しているところだった。だから時にワガママをいい貸しきりにしてもらうことが何度かあった。

 何故なら彼女は時代を代表する女優だったから、人目を避けてお互いの気持ちを確め会わなければならなかったのだ。そういう意味でもここはうってつけのスポットだったといえよう。


「何故君は、僕を選んでくれたの?」


 ある日私は尋ねた。


「ふふ。じゃぁ~何故貴方はオーディションに参加したの?」

「そ、それは、君のファンだったからさ」


 彼女が真剣な目で私の唇にそっと指を差し出す。


「しっ。このシーン大好きなの」


 彼女は大きなスクリーンに映る自分と、そしてあか抜けない私とのシーンを真剣に見つめている。「マリア」というタイトルの、当時の若手俳優が集められたエンタメムービーだ。名作でもなんでもない。ただの話題作。


『マリア…僕は』

『スバル…』

『僕は…君を愛してる。例え何が起きても、君の側を離れない』


 スクリーンの中の二人が気持ちを確め合うシーン。ベタなシーンで恥ずかしさすら覚える私を、いつも彼女は楽しそうに眺める。


「優香里さんは意地悪だ」

「そぉ? 素敵だって心から思ってるのよ。本当はここの台詞『僕が君を守る』だったでしょ?」

「……」


 そうだ、私は彼女を目の前にして、つい台詞が本音に変わってしまった。心から愛していると伝えたかったから、前日台本を読みながら沸き上がった言葉がポロリと出てしまったのだ。

 今でも恥ずかしさを覚えている。でもそれで監督からOKが出てしまい、世の中のみなの目に届くことになった。「マリア」は私の最初で最後の出演映画だ。


「私、とっても嬉しかった。あの場には貴方と私、二人だけの世界がひろがっていたの。私も心から貴方を愛しいと思ったのよ」

「優香里さん、もうからかわないでよ」


 彼女は嬉しそうに微笑んでいた。その横顔は今でも私の宝物だ。


 私たちは人目を避け、AIが決めたルールに逆らってお互いを求め会った。彼女は優秀な人間として将来残すべき人材として認識登録され、私は審査にエントリーすらさせてもらえない人間として分類されていく。


「お願いよ。審査にエントリーして。私のために」


 彼女は私の腕の中でそう呟いた。私にはそんな資金もなく、この世の中の後世に残すべき実績もなく、彼女への想いだけで生きている亡霊のようだったから、彼女に見捨てられる日をただ待つばかりだった。


 法案が可決され、生身の人間は完全にIDで管理され自由がなくなっていく。

 彼女と会えなくなった私は、むなしさを抱え生きる意味を失い、それでも彼女の主演作品をここで上映することを続けてきたのだ。

 

 空っぽな自分にスクリーンの彼女が微笑む。それだけで幸せを感じる毎日だった。


※ ※ ※


 謎の女性はそれからも何度かここに来るようになった。いつも独りで。


 今ではその女性が来ることが私の楽しみになった。話すことも目が合うことももちろんない。それでも歳を重ねた私にはスクリーンの優香里さんを観るのと同じくらい謎の女性の存在が日ごと大きくなっていった。


 そんな毎日がどのくらい続いただろう?



 突然のことだった。

 謎の女性が私に話しかけてきたのだ。

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