最終話 うれしぐすくぬー

  ♥


 見渡す限りの全周をさえぎるものの何もない完璧な青空。

 浮いているのは白い綿雲ひとつだけ。

 ぼやけた果てを真横に区切るのは水平線。手前ほど明るいエメラルドグリーンのグラデーションが、視界の下半分全てを占領している。

 ここは石垣島。南西の果てに浮かぶ八重山諸島で一番の観光島。

 ボクらは二年ぶりにここに戻ってきた。





 目標があるとやっぱり違うし、伴走者がいればさらに違う。

 丸一年の受験勉強漬けの日々を乗り越えて、この春ボクらは日本橋大学の正門で再会を果たした。


 入学式の直後にだんに呼び出されたボクは、大学内の歴史的建造物でもある講堂の前で正式に告白をされ、謹んでお受けした。

 とはいっても、いきなりインスタントで直截的な交際がはじまるわけもなく、陰キャ同士の手探りの付き合いとなったのは言うまでもない。

 とりあえずボクらは、スープの冷めない距離で別々に独り暮らしを始め、互いの生活を行き来しながらゆっくりと交友を深めている。




 そんなある日、南の島からボクらふたりに招待状が届いた。

 送り主は中司さん、消印は石垣島。


「我が母校にふたり揃ってのご入学おめでとう。さっそくだけど、ゴールデンウィークにふたりでこっちに来てみないか。こちら側の受け入れ体制も概ね完了したことだし、ふたりにとっても縁の深い瑠璃に合格の報告をしても罰は当たらんと思うのだが」




 五月の石垣島に着いたボクらは、その足で石垣島天文台に向かった。目的地はその手前にある目立たない洞窟。高二の初夏、だんと初めて出会った場所だ。

 あのときはアマミキョとニジリとミギリの三柱だった瑠璃が、今はそれにシネリキョと具志堅さんを加えた完成形のマブイルリとなってその地に安置されている。



 現地に着いたボクらは同時に声を上げた。


「おうちができてる!」

「なにこれ?! 家になっとるやん!」


 洞窟入口を隠すようにして、トレーラーハウスを三基ほど繋げた居住施設が出来上がっていた。入口の表札には「夢紗麻ムシャーマ庵」と大書され、その横に申し訳のようにポストふたつが置かれている。


 たしかに違和感はあった。

 途中の道には前回は無かった電信柱が立ち並び、あまつさえ街灯すら設置されていたのだ。その段階で状況を想定すべきだった。

 中司さんの言った受け入れ準備とはこういうことか。お金取って参拝させる類のものではないにしろ、継続して管理するとなればこういった常駐施設が必要になるのもある意味で当然と言えば当然。むしろ二百年前の人たちが無策過ぎたとも言えるのかも。


「これ、具志堅さんの資産を使ったんだべか? オラたちの今回の旅費もだけどさ」


「そうなんだろうねぇ。中司さん、お金儲けとか苦手そうだし」


 独り言のようなだんの呟きに、ボクも同調して頷く。



 チャイムを押しても誰も出なかったので、ボクらはそのままトレーラーハウスの裏を回って洞窟に向かった。暖簾というには長すぎる目隠しの布幕をくぐって、中に足を踏み入れる。

 粘度を含んだ海風と高さを稼いで得られる乾いた風が混じり合う外の大気とは一線を画した、洞窟特有の安定した空気。ワインセラーのような温度と湿気をまとったその体感は、容易に二年前の記憶を蘇らせる。

 そういえば、あのときは雨が降ってたっけ。



 入口に架かっていた懐中電灯を一本ずつ手にしたボクらは、奥の隠し扉を引き上げて地下洞への入り口を拓く。大昔に張られたままの縄梯子をつたって階下に降りたボクらは、迷うことなく祭壇に向かった。


 なにかおかしい。


「ここ、暗えままだな」


 そうだ、それだ。

 二年前この場所に降りたときには、スマホのライトも要らないくらい柔らかい光に満たされていたのだ。

 ボクは祭壇と思しき方向に懐中電灯を向けた。

 だが、そこには安置されている筈の肝心の石が無かった!




  ♠


「ここにいたんだ」


 地下の玄室で立ち竦んでいる僕らの後ろから声を掛けてきたのは、中司さんだった。僕らをこの場所に呼び寄せた張本人。そして彼は、ここの宮司も兼ねている。


「中司さん。石が、マブイルリが無くなってますよ!」


 僕は裏返った声で状況を訴える。すぐにどうにかなるわけじゃないけれど、あの石はとてつもない力を発現するポテンシャルを秘めている。万が一にでも悪用されたりしたら、とんでもないことに成りかねない。

 僕の意図を汲み取ったまどかが、隣で中司さんに厳しい目を向けている。

 が、当の中司さんはまったく意に介す様子もなく、ああ、それね、と事もなさげ返事してきた。


「明日帰ってくるよ、教授。北京から。今日までの国際会議に出席てるんだよ」


「はあ?」


 僕は大口を開けて彼を見た。


「昨日までの予定だったんだけど、分科会が一日延長しちゃったんだって」


「はあ?」


 まどかが僕と同じ反応をしてみせた。


「だって石はちゃんと持ってかないと彼女動けなくなっちゃうだろ。ちょっとそこまでならまだしも、海外とかはどう考えても無理っしょ」


 具志堅さん、海外とかも行っちゃってるの?


 我慢できなくなったのか、まどかが疑問をぶつけた。


「ねえナカツー。それってもしかしてなんだけど、アマミキョとシネリキョ、ミギリにニジリを加えた五人でってこと?」


「そう。五人で」


 中司さんはにこにこと笑ってそう答えた。





 あの日、僕とまどか、中司さんがマブイ戻しの影響で寝入ってしまったあとのこと。

 具志堅さんとふたりの巫女の手によって最後の和合を果たしてひとつとなったマブイルリは、同時に、シネリキョが出した最後の条件をクリヤするために具志堅さんのマブイを取り込んだ。

 地震直後の混乱の中、仮死状態となった具志堅さんの身体は救急隊員によって搬送され、受け入れ先の総合病院の集中治療室に収容された。彼女の身体は、バイタルこそ最低ラインを保ち続けてはいたが、いつまで経っても覚醒する予兆が無かったという。対処の手立てがわからない病院側は、無菌室での酸素吸入と点滴での栄養補給で応急処置をし続けるしかなかった。

 そのままの状態だった数日後、彼女の収容先を突き止めた中司さんが車椅子で乗り込んでいった。彼女自身が取り込まれる直前に、彼に託せるよう手はずを整えていたマブイルリを持って。中司さんが苦労してタクシーから降りている最中に、昏睡状態の具志堅耀子は奇跡の復活を遂げた。


 収容中の栄養不足と寝違いの所為でしばらくの入院生活は余儀なくされたものの、その後の具志堅さんは以前の僕らや中司さんと同様に、石の携帯を忘れさえしなければ普通に暮らせるようになったのだ。


「正直、先の人生は諦めてたんだけどね」


 退院の直前に、彼女は中司さんに語ったそうだ。


「こうなったからには我が身が尽きるまで、思いっきり自由に暮らすわ」


 そう言った彼女は、素敵な笑みを浮かべていたと言う。





「だもんだから、この一年の彼女の活動はマジで目を見張るとしか言い様がないんだ」


 トレーラーハウスのリビングで、中司さんはコークハイを飲みながらそう話した。

 なんだかわからないけれど、この部屋の冷蔵庫にはコーラとオリオンビールと氷しか入ってない。僕とまどかは、昔ながらの瓶入りのコーラでご相伴しながら聞いている。


「去年の春に早期定年で教授職を退官した具志堅さんきょうじゅは、そのまま名誉教授になって世界中の好きなとこをあっちゃこっちゃ回ってる」


 可愛らしいシーサーの絵が入ったやたらでかいマグカップにどぼどぼと琥珀色の泡盛を注いだ中司さんは、冷蔵庫から取ってきた新しいコーラでそれを割ってぐいと煽った。

 僕らは顔を見合わせる。


 大丈夫なのか、このひと。


「や、なんかね、ミギリさんもニジリさんも大喜びしてるんだってよ。ほら、あの婆さんたち、めちゃくちゃ新しもん好きだっていうし」


 それは僕も知ってる。横でまどかもうんうんと頷いてる。


「今回の北京行きも、一番楽しみにしてたのはあの婆さんふたりだそうで」


 中司さんは僕らが持ってきた東京土産のカマンベールクッキーをバクバク食べながら、気持ち良さげに語ってる。


 ま、いいか。機嫌良さそうだし。


 まどかと目が合った。たぶん同じ事を考えてる。そう決めて、僕は笑った。





 高台から見る石垣島の夕暮れは素晴らしかった。

 二年前の修学旅行では、こんな風に風景を楽しむなんて気持ちの余裕はまるで無かったな。

 トレーラーハウスの前に出した椅子にまどかと並んで座る僕は、そんなことを考えながら、五月の夜気を含んだ風を満喫していた。

 中司さんは少し前にリビングの床で寝落ちしている。


 この洞窟ではじめて契と出会い、ふたりしてマブイを落として石を拾い、それぞれが婆さんたちと言い合いをしながら日々を過ごし、たまに入れ替わって互いの隠してた日常を垣間見て、デートして冒険して気持ちを重ねて。で、一緒にここまで来た。


 なんか、いいなあ。


 だらりと落としていた右手が暖かいものに包まれた。ふと見ると。まどかが手を繋いできてる。僕は手を開き、指の隙間を作って繋ぎ直した。



「なあ、知ってたまどかオラたちの名前」


 こっちを向くまどかが小首を傾げた。僕は言葉を続ける。


「中司さんのひろしオラだん、それにまどかを繋げっとさ……」


 僕が最後まで話す前にまどかが途中で引き取った。


「大団円、でしょ」


 思わず苦笑する僕。


 まどかの奴、やっぱ気づいてやがったか。


 でもさすがまどかは、僕の上をいっていた。

 オレンジ色に照らされたまどかは、楽しみにしていた贈り物の箱を開けるときの表情で会話ネタを重ねてきた。


「それさ、前にニジリと一緒に昔の冒険アニメの最終回観てたとき教わったよ。沖縄の旧い言葉ではこう言うのじゃ、って」


 今度は僕がまどかを見つめる番だ。

 んふふ、と口の端を上げて含み笑いをするまどかは、目一杯溜めてからこう言った。


「『うれしぐすくぬー』っていうんだって」


 陽を受けて笑う彼女の顔は、ハイビスカスのように紅く華やいでいた。




――――――――

   完

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うれしぐすくぬー 深海くじら @bathyscaphe

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