第二十二話 和合
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そこに光が在った。
長い、永い間待ち望んでいた光。
畏れ多くも近寄り難く、されど暖かく包み込み豊穣と安寧を約束する光。
全ての
♠
西棟は骨組みを晒して、周囲の壁や天井のほとんどが崩れ去った。僕らの頭上と、あの今にも落ちてきそうだった建材を残して。
いつの間にか揺れは止み、僕と契が左右から手を添えた碧い石はひとつになって強い光を発していた。
いや、僕らはそれを見ることはできなかった。あまりにも光が強過ぎて。
〈アマミキョ様の御降臨じゃ〉
ミギリの声が頭に響く。
和合は成功したの?
〈そのようじゃな。活性化したアマミキョ様は、既にシネリキョを配下に置いておるようじゃ〉
え? それで地震が収まったの? 天井も落ちずに?
アマちゃん、仕事早え。
「シネリキョが落ち着きました」
具志堅さんもそう語った。
収まったとはいえ、館内が危険なことには変わりない。
シネリキョの石を回収した僕ら三人は、中司さんとともに警備員さんを引き摺って西棟の外に出た。
仰ぎ見るビッグサイトのシルエットは、足を一本失って斜めに傾いでいた。少し離れた建物の陰から黒煙が上がっている。あれが電気室だろうか。遠方でサイレンの音がいくつもが響いている。
♥
〈シネリキョの事はアマミキョ様に任せておけば良さそうじゃ〉
ミギリが言った。
〈今回ばかりは儂ひとりの手柄とは言えんのう〉
そう言って笑うニジリに、ミギリが言い返す。
〈前の時もお主の手柄ではないわ〉
半年ぶりの言い合いをしてるお婆ちゃんふたり。なんだか楽しそう。
「結局のところ、
「ホント。もう情けないくらいに」
大濠の呟きにボクも本心から同意する。
とにかく一から十まで、ニジリとミギリに任せっきりだった。それどころか、ボクらふたりはこの災禍の元凶だったとさえ言える。
ぶっちゃけ、ボクらがマブイルリに取り込まれなければシネリキョは起きなかった。そうすれば福岡の地震だって今日も被害だって起こらなかった。
あ、てことは、最初に触ったボクが一番の原因じゃん。
〈そんなことはないぞ。マドカ、ダン〉
ミギリの声がした。
〈お主らふたりは姿も形も無い吾らに真正面から向き合ってくれた。そして吾らの言うことを信じてくれた。お主らふたりに宿るその柔らかな寛容が無ければ、今宵の結実は望めんかった〉
〈そうじゃ。そもそもあんなぐずぐずのセキュリティで放置されとった瑠璃など、うぬらが触らんでもいずれどこかの誰かが手にしておったわ。その誰かがうぬらでよかったと本気で思うとるぞ、儂は〉
ニジリも続けてる。
そうか。マブイルリがひとつになるってこういうことなんだな。あるべき姿。ニジリとミギリが共に居て、アマミキョを守り鎮める小さな世界。そしてその世界に、今はボクと大濠も同居してるんだ。もしかしたら今のボクのこの気持ちも、そのまま大濠に伝わってるかもしれない。
そうだったらいいな。
ところで。
「ボクらのマブイ戻しは?」
〈それなんじゃが、やはり儂らではどうにもならん〉
「ええええ!?」
〈すまんな。どうやら吾らは実効の無い、単なる智慧の神になっておるようじゃ〉
なにそれ、無責任な! てか、自分で智慧の神とか言ってるし!
さっきまでの多幸感はどこかに消えて、ボクは地団太を踏む。
〈マドカよ、そう案ずるな。マブイ戻しなんぞはユタの日常業務じゃ〉
え? どういうこと?
「具志堅さんならできる、ってことなんじゃねぇかな」
穏やかな口調で大濠がそう言った。後ろでボクのひとり芝居を眺めてた具志堅さんも頷いている。
「私、たぶんできると思うよ、マブイ戻し。摘まみ上げてひょいって戻す感じ。うん。イメージできてるよ」
「なんですか、そのお手軽なイメージは」
ボクのツッコミに微笑みで返す具志堅さん。
「じゃ、契さんからやってみるわね」
返事を返そうとしたら首筋を持ち上げられた。力の入らない手足をだらりと下げた格好のまま、水平に移動されてふわりと下ろされる。
なにこの感じ。これで戻ったの?
「終ったよ契さん。もう声は聴こえてこないでしょ?」
実感無いんですけど。これで大丈夫なの? ニジリ。
ボクの呼び掛けにはなんの反応もなかった。
あ、もう声が聴こえないってこういうことなんだ。ニジリにお別れも言ってないのに……。
そう思いながらボクは気を失う。
♠
崩れるように倒れ込む契を僕は抱きとめた。
どういうこと? マブイを戻したんじゃ無いの?
〈安心せい、ダン。空っぽの身体がマブイの帰還で吃驚しとるだけじゃ。マブイ戻しはいつもこう。小一時間もすれば目を覚ます〉
ニジリの説明を聞いて僕は納得し、契を地面に寝かせた。
次は僕。そうだ。別れの挨拶をしとかなきゃ。
「ミギリには本当に世話になったっけ。ニジリも」
〈主らとおって、吾も随分と楽しませて貰った。食うたことのなかった美食も沢山したしな。じゃじゃ麺、美味であったぞ〉
〈儂らの後世がこげに弾けたものになっとったとは思いもせなんだわ。マドカにも言うといてくれ。随分とチョコを買わせてすまなんだ、と。あと、アニメも楽しませて貰ったとな〉
〈ふたり仲良く元気で暮らせよ。吾らはまた眠りに入るとするわ〉
「このあとはどうしたらいいっけ?」
ミギリたちに尋ねた。ビッグサイトの惨状は僕らではどうしようもないけれど、石の始末は僕らの仕事だ。
〈可能ならそっちの瑠璃と和合して、アマミキョ様とシネリキョをひとつにさせてやりたいと思うとる。カナリヤ作戦もそれで完了じゃ。できるかどうか、ヨーコさんに聞いてみては貰えぬか?〉
具志堅さんは請け負ってくれた。
それはいいんだけどね、と彼女は続けた。
「シネリキョが駄々をこねてるのよ。アマミには二人も随伴がいるのに自分にはひとりもいないって」
「それってもしかして、誰かのマブイを寄越せってこと?」
「そうみたい。誰か付き合えって」
俺、帰れなくなるんスか? と不安顔を向ける中司さんに、具志堅さんは首を振って見せた。
「中司くんじゃ役不足みたい。やっぱりユタかノロじゃないと……」
♦
「まさか具志堅さん、人柱になるの?!」
眠っている契の頭の下にハンドタオルを敷いた具志堅は、詰め寄ってくる大濠に応えた。
「そのまさか、よ」
具志堅は紫のアフロを上げて大濠の顔を見た。目力を込めて。
自分の生まれてきた意味を見つけた。その意志を乗せて。
中司が呟く。
「決めたんですね。教授は」
「二人とも止めたりしないでね。私、楽しみなんだから。ユタの家系に生まれて、四十年間ずーっと沖縄の研究をしてきた私が、まさかの沖縄の神様ご指名で終の随伴ができるのよ。しかも二百五十年もそうしてきた大先輩達と一緒に。こんなのわくわくしかないじゃない」
ごめんね契さん。勝手に決めて。眠る契を見て具志堅は呟いた。
♠
「次は大濠くんの番。倒れるとき頭打つと危ないから、そこで寝転んで待ってて」
具志堅さんの指示に従い、僕は契の隣に寝転んだ。触れた契の左手の下に右手を差し入れ、指を絡める。準備はできた。
「お願いします」
具志堅さんは、想像の猫の首筋を摘まみ上げるように手を動かしてから、それを僕の胸の上に置いた。
♦
大濠に続いて中司のマブイも戻し終えた具志堅は、立ち上がって腰を伸ばした。
電気室の辺りからの黒煙はまだ続いているが、駐車場脇のこの草地まで延焼することはないだろう。眠る三人とその横に転がる警備員を見下ろしながら、彼女は
この身体ともこれでおさらばね。六十年、よく働いてくれた。
中司の隣に置いたエコバッグの中で碧と蒼の二つのマブイルリを並べ、具志堅は厳かに告げた。
「さ、始めます。ミギリさんもニジリさんも私の声を聴いて、私と同じものを思い浮かべて」
二つの瑠璃を両手で包みこんだ具志堅は
「私たちの目の前には石垣の海が広がっています……」
エメラルドグリーンのまばゆい光が溢れ出した。エコバッグの中で、二つの瑠璃が熱く溶けたガラス球のようにゆっくりと融合していく。
〈ヨーコよ。うぬの素養は本物じゃ。あと百年もあれば儂に並ぶ稀代のユタになろうて〉
〈ニジリは置いといても、吾に匹敵するのは間違いあるまい。ヨーコさんよ、歓迎するぞ〉
そこは真っ青な世界だった。
上も下もない、極小なのか無限なのかも判らない空間に、私は在った。
声がする。歓迎のハーモニー。暖かい波動。
私も応える。
〈はじめまして、具志堅耀子です。なりたてほやほやの
〈こちらこそじゃ。吾はミギリ〉
〈儂はニジリじゃ〉
***
「昨夜遅く、東京都江東区有明の東京ビッグサイトで極めて限定的な直下型地震が発生しました。震源はビッグサイト西棟地下百五十メートル前後と推定されマグニチュードは不明。今回の地震の被害範囲は半径五百メートルと狭いですが、地震計記録による震源の推定震度は八を超え、甚大震災規模と……」
♠
気がついたのは救急車の中だった。
寝台からはね起きた僕は、救急隊員さんを相手に状況を尋ねた。他の三人はどうなったのか。今はどこに向かってるのか。マブイルリはどこにあるのか。
だが、搬送を請け負っただけの隊員さんたちが知るのは、僕の搬送先の病院名だけだった。
財布もスマホもあったけど、半年間肌身離さず持っていた石はどこにも無かった。
そうだ。あれは和合が成功して契の半分と一緒になって元の瑠璃に戻って……。
そこまで思い出したところでスマホが着信を鳴らした。
LINEの通話。契からだった。
「大濠、いまどこ?」
いつもよりも強い口調。でも元気な声。ついさっきまで襲われていた僕の焦りは、その声色を聴いて急激に静まる。
「わがんね。とにかく救急車ん中だ。契は大丈夫か?」
大丈夫、今起きたとこ、と契は応えた。
「ボクも救急車の中にいる。××病院ってとこに向かってるんだって」
「おんなじだ。着いたら合流すっぺ」
型通りの診察を終えて病院の待合室に戻ると、蛍光グリーンのスタッフジャンパーを着た眼鏡っ子がベンチに腰かけていた。僕と同様、完全無欠となった
ちょっ、と言いながらも契は僕の背中に手を回し、揃いのジャンパーをポンポンと叩いてくれた。
どうやら僕らは、あのとき展示会場から引き摺りだした警備員さんに助けられたらしい。
先に気がついた彼は、倒れている四人の中に中司さんを見つけ、同じスタッフジャンパーを着込んでいる僕らのために救急車を呼んでくれたのだ。
「具志堅さんやナカツーとは連絡が取れてないの」
アイコンが並ぶスマホの画面を閉じた契が気落ちした顔で言った。時刻は午前三時前。地震発生からは三時間以上経っている。
具志堅さんが人柱になると言ったことを契は知らない。先にマブイ戻しで寝てしまったから。僕はもうしばらく、そのことを黙っていようと決めた。せめて中司さんと連絡が取れるまで。
間引き照明で暗めに設定されている待合室には、僕らのほかにはもうひとり待ってる人がいた。疲れ切って暗い表情の中年女性。誰かのお見舞いだろうか。にしてもこの時間。
と、廊下の奥から看護師さんの押す車椅子が現れた。立ち上がる女性。暗い廊下から近づいてくる車椅子の患者さんは青い警備員服を羽織っている。
もしかして、あの警備員さん?
駆け寄った女性は彼の前で立ち止まり、深く頭を下げている。なにがあったのか僕にはわからないけれど、なんらかの謝罪とそれに対する赦しの儀式みたいに見えた。
警備員さんは僕らに気づき、声を掛けてきた。
「きみたちはナカツカくんと一緒にいた子たちだよね。もう平気なの?」
場違いなくらい晴れやかな表情の彼に、僕と契は大丈夫ですと応じる。
「彼の膝の手術ももうじき終わるらしい。あと一時間くらいしたら会えるって聞いたよ」
そうか。中司さんもこの病院なんだ。
僕は安堵の息を漏らす。隣で立っている契が彼にお辞儀をしてからこう聞いた。
「助けてくれてありがとうございます。あとひとつだけお尋ねするんですが、もうひとりの、紫色のアフロヘア―をした年配の女性がどこに運ばれたのかはご存じないでしょうか」
顔を曇らせた警備員さんは首を横に振った。
「あのひとは俺たちとは別の病院に運ばれてったと思う。悪いけど、俺にはちょっとわからない」
そう言い残した警備員さんは、車椅子を女性に押されて病院から出て行った。
こんなとき、世間知らずの高校生にできることなんてなにもない。残された僕らは待合室のベンチに座って、中司さんが手術から戻ってくるのをただ待ち続けるしかなかった。
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