第二十一話 スペクタクル


  ♦


 具志堅耀子は、メインエントランスのひさしの下で自分の名前を呼ぶ声を聞いた。




 数分前、一切の前触れ無しにいきなり発火したシネリキョの悪意を意識全部で受け止めることになった具志堅は、あまりの衝撃にうずくまってしまった。だが、その発露が引き起こすであろう事態の予測はしていたので、周囲でもっとも安全そうな場所を探すことはできた。


 発火から地震までの時間的余裕がどの程度あるかわからないけど、数秒か、あっても数十秒ってとこ。


 そう踏んだ具志堅は、数十メートル先にあるメインエントランスの庇を支える三本の黒い柱に活路を求めた。短いスパンの三角形の配置で庇屋根の中心部を支える、ひと抱え以上ありそうな太い支柱。


 あれの下なら、きっと大丈夫。


 約二十秒後に発生した震度七レベルの局所的激震。その最初の突き上げは、具志堅が柱にすがりついたのとほぼ同時だった。

 前方で、背後で、巨大構築物の軋む音が聞こえた。ついさっき自分が立っていた場所の背後、タワーの足を囲うように覆っているガラスの壁が一瞬で白くなり、粉砕するように弾けた。

 目の前の広場に黒い三角の塊が降ってきた。張り出したタワーの屋根から。石の床に金属がぶつかるギィンという音が五月雨となり、三角で鋭利な金属板が不規則に跳ね回る。具志堅が身を隠す柱にも何度も当たってきた。

 背後のホールからもガラスの破砕音や落下音が鳴り響き、それらが不協和音のジャムとなって具志堅の耳を占領する。


 キンキンと落ちる金属片もまばらになり、地面を震わせる振動も収まったところで、具志堅は丸くなった姿勢から身を起こした。


 大丈夫。生きてるし、怪我もしてない。


 数を減らしたライトアップに浮かぶメインタワーのシルエットは健在だった。建物が在る、それだけで得られる安心感は立ち上がらせるだけの力を与えてくれる。広場全体を放射状に広がった白い光、ガラスの屑。

 それらを見回すうちに、具志堅は自分を取り戻した。


 シネリキョは? 西棟は? 中司くんっ!?


 タワーの左に目を向けたとき、鈍い爆発音を聞く。と同時に、タワーを照らし上げていたライトが消えた。


 今の爆発、電源室がやられた?


 すべてを引き剥がされた闇ほど恐ろしい物は無い。六十年間文明に浴して暮らしてきた具志堅にとって、こんな体験はいままでに一度も無かった。静寂が却って恐怖を増幅する。

 具志堅は足を踏み出すこともできず、その場で立ち竦んでいた。




 闇の一カ所で光が灯った。一等星の灯り。ほどなく、そのすぐ傍でもうひとつ。

 等間隔を保ったまま動き出したふたつの光は、声を伴っていた。私の名を呼ぶ、男の子と女の子の声。


 大濠くんと契さん。あの子たちは無事なのね。


「ちぎりさぁーん! おおほりくぅーん!」


 他に音の無い世界で、具志堅の呼びかけは容易にふたりの耳に届く。彷徨っていたふたつの光の輝度が増した。




  ♥


「よかった。具志堅さんが無事で」


 ボクの照らすライトが柱の横に立つ具志堅さんを浮かび上がらせた。紫のブロッコリーがきらきらしてる。


「具志堅さん、そこで頭を振って。あ、触っちゃだめ! たぶんガラスの粉が掛かってるから」


 横で大濠が大声を上げた。


 すごい。超冷静。ボクの彼氏は頼りになる。

 あ、「彼氏」なんて言っちゃった。




  ♠︎


「高速道路は火災が始まってっから、陸橋を戻るのは危険だっけ」


 僕の言葉をうんうんと頷く具志堅さん。とくに怪我とかはしてないみたい。


「ナカツーはいないんですか?」


「中司くんは西棟に行ったまま」


「西棟……」


 大沖縄展の会場。シネリキョのいる……。


「ねえ具志堅さん。これってやっぱりシネリキョの仕業なんですか?」


 契が僕の疑問を代わりに聞いてくれてる。

 無言で頷いた具志堅さんは僕らに掌を向けて、ちょっとまって、と制した。しばしを置いて、彼女は口を開く。


「うん。今のシネリキョは静かになってる。たぶん力を放出して」


〈たいしたもんじゃの、この御仁は〉


 ミギリが感嘆する。


「シネリキョが静かなうちにナカツーを探しに行こ」


「んだな」


 契の提案に僕も賛成する。


「そうね。西棟への道はこっち」


 具志堅さんの先導で僕らは動き出した。




「呼び出しは?」


「だめ。ぜんぜん応えない」


 中司さんと連絡を取ろうと、さっきからしきりにスマホに耳を当てていた契が首を横に振った。僕らのやりとりを聞いていたのか、前を行く具志堅さんの背中にも険しさが増している。

 一階のバスターミナルから入る通用口を、スマホのライトだけを頼りに進んでいく。具志堅さんが、開けたドアにストッパーを差し込んで閉じ切らないようにしている。


「気休めだけど、閉じ込められるのは嫌だもんね」


 具志堅さんの言葉で、僕は少し落ち着く。意味を含んだ人の声は、それだけで気持ちを安心させるものなんだな。僕も契に声を掛ける。


「足元、気ぃつけるべ」



 管理エリアの廊下は、真っ暗以外に大きな被害はなさそうだった。時折道を塞ぐように斜めになっているロッカーや足元に落ちた段ボール箱などを避けつつ、僕らは奥へと入っていく。

 どこかから何かを叩く音がした。柔らかいもので壁を叩くみたいなピタピタした音が数回響き、間隔をおいてからまた数回。


「あっち」


 契が向けたライトに照らされて、廊下に沿った先にドアが見えた。上に張り出したプレートに『西棟管理室』と書いてある。




  ♥


 一切の光の無い管理室の中から、さっきの打擲ちょうちゃく音と人の息遣いが聞こえた。


「中司くん!?」


 恐る恐る呼びかける具志堅さんの声に反応したように身動ぎする音がした。気配に向けて大濠が光を当てる。

 床に投げ出された人の足。膝のあたりに緑色の養生テープがぐるぐる巻いてある。光が上半身に移動する。眩しそうに片手をかざしたナカツーが、弱々しい笑顔をこちらに向けていた。


「よかった。三人は無事に合流できたんスね」


 駆け寄る具志堅さん。


「中司くん! 大丈夫? 生きてる?!」


「生きてますけど、足、やっちゃいまして」


 見ると養生テープの右足の膝あたりには添え木が当ててある。


「折り畳んで仕舞おうとしてた車椅子が、えらい勢いでぶつかってきましてね。こちとら吹っ飛ばされちゃいましたよ」


 当直で部屋にいた係の人に応急の手当てをしてもらったが、それも明かりが点いていた間だけ。監視用マルチモニターや部屋の電気、さらには緑の非常灯までが落ちたのに対処するため、懐中電灯を手にした彼らは中司さんを置いて電気室を調べに行ってしまったと言う。


「こちとらまともに動けませんし、しかたないからお留守番ですよ。悪いことにスマホも壊れちゃったから連絡も取れなくて」


「歩けそう?」


 具志堅さんが尋ねてる。


 え、無理っぽくない? 足折れてんじゃないの?


〈ここにおって第二波を乗り切れる保証は無いわ。それに、シネリキョとヨーコとの連携にはナカツーの媒介がおった方がええ〉


 そりゃそうだけど、ニジリ、鬼だなあ。いつの間にかヨーコとかって具志堅さんのこと呼び捨てにしてるし。そりゃニジリの方が山ほど年上だけど。


「行けます」


 大濠がどこかから探してきた松葉杖を受け取ったナカツーが、気丈に頷いた。あんなに脚、ぐるぐる巻きなのに。

 いやぁ、ボクだったら絶対ムリ。


 具志堅さんを先頭に、ボクら四人は展示室を目指した動きだした。大濠とボクがナカツーを両側で支えながら。

 シネリキョがもう一度動きだす前に和合を完成させなきゃ。



 関係者以外立ち入り禁止の区間を抜けて、ボクらは西棟の正面アトリウムに出た。


〈瑠璃を出すのじゃ〉


 ニジリがボクに命じてきた。


 確かに。


 ボクはスマホをポケットに仕舞い、代わりにポシェットからボクとニジリのマブイルリを取り出した。石はいつもよりもずっと強くなったあおい光を発し、周りをぼんやりと照らし出した。指向性の高いスマホライトだと影になって見えなかった空間全体の様子が、淡く碧い光の中で浮かび上がった。

 大濠もポケットから取り出してきたから、室内の碧は更に明るくなる。

 西棟正面の吹き抜けになっている大広間アトリウムは、酷い有様だった。天井から吊ったり壁に掛けたりしてあった『大沖縄展』の看板をすべて落ちて散らばっており、窓はのきなみ割れて、壁が落ちて鉄骨が覗いてるところもある。


 出来たてほやほやの廃墟だよ、これは。




  ♠


 出口の壁が倒れ、会場は剥き出しになっていた。天井に吊ってたらしいものが落ちていて、展示物も散らばっている。

 奥が蒼く光っていた。あそこにシネリキョの石があるんだ。

 僕は、契の目で見た福岡の展示室を思い出した。背中に緊張が走る。


「急いで。力を溜めてるみたい」


 具志堅さんが鋭く告げた。

 言われるまでも無い。僕は契に声を掛ける


「バルスのシーンって知ってる?」


 ラピュタのね、と応える契に僕は頷いた。


「あれで行くべ」


 真横に並んだ僕らは、重ね合わせた手を前に出した。両側に下ろして石を掴んでいる手を持ち上げて、繋いだ手の上で断面を合わせる。

 はじまれ。和合!


 何も起こらなかった。

 僕は契のことを考える。契も僕の事を想ってるはず。だけど集中が足りないのか。

 もう一度地震が起こったらどうしよう。高速道路の火災は平気だろうか。中司さんの足は。

 邪念が多過ぎて気持ちがまとまらない。


〈ダンよ。もっとシネリキョに近づけ。奴の力を使うのじゃ〉


 契を促して前に足を踏み出す僕らの横を、中司さんが松葉杖使いとは思えない早さで走り抜けた。瑠璃の展示台の前に制服の人が倒れていた。契が声を上げる。


「あれ、人よね。警備員?」


 横臥する警備員の脇に崩れるように屈み込んだ中司さんは、名前を呼びながら揺すっている。顔馴染みなのだろう。だが起き上がる様子は無い。中司さんの切迫した声が会場に谺している。

 展示台の蒼い光が急激に増した。


「来る!」


 具志堅さんが叫んだ。




  ♥


 そこはまさに震源地だった。

 立っていられないボクは、大濠に掴まってしゃがみ込んだ。具志堅さんが何か叫んでいるけどいろんな音が大きすぎて判らない。

 大粒の雨音みたいに上からバラバラと降ってきてる。なにか判らないけど大きい物も小さい物も。ボクの背中を大濠が覆ってくれてる。

 金属が軋む悲鳴のような音が響く。


 どこか遠くで大きな物が崩れる音と、伝わってくる地響き。でもそんなのを気にしてられない。激しく上下する床。息さえまともにできない。


「天井!」


 耳に刺さった大濠の声で、ボクも仰ぎ見た。

 天井の一部の巨大な建材が、今まさに落ちてきそうになってぐらんぐらんと揺れている。


 その真下には……ナカツー!


 倒れている警備員と足の自由が効かないナカツー。この激震の最中で彼らは動けない。


「落ちるなっ!」

〈落ちるでない!〉


 大濠とニジリの叫びにボクも同調する。


 落ちるな。天井!


 手元が急激に熱くなり、引っ張られる。

 ボクの持つ石と大濠の手にある石が強い力で引き寄せられ、切断面が合わさった。

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