第3話 距離の存在しない世界で
僕はトイレを済ませて、再び再開する予定だった受験勉強を終え、パソコンもシャットダウンしようとまずブラウザを閉じる。
すると、そこに作業用BGMを流していたウインドウの下に、もうひとつ調べ物をした時に開いていたウインドウがあった。閉じるボタンの上までポインタを移動させたが、再度マウスを動かしアドレスバーをクリックした。
「グゥの音のグゥってなんだ?」
そんな疑問が湧いた僕は「グゥの音」の意味を検索した。
――グゥの音のグゥとは、息を詰まらせ苦しむ時に辛うじて発することの出来る言葉。「グゥの音も出ない」とは、そのグゥという言葉さえも出せないほどやり込められる様子を表す。
「うわぁ、じゃあさっき『グゥ』って言ったのってほぼ負け認めてんじゃん。追い込まれたの認めてんじゃん」
項垂れた。
普段見ているものとは違う。
思わず仕舞おうとして握っていたシャーペン(正しくはシャープペンシルというらしい)を机の上に転がす。空いた両手で自分の頬を挟み、若干下に引っ張る。そして右手のひらで額をはたいた。
海外ドラマなら "What the..." なんて絶句しているだろう。
ただ、僕は平凡でうだつの上がらない(なんていう表現を使ってしまう)冴えない普通の男子高校生。
「くっそかわええ」
そう口にしてしまいながら、モニタ右下の小さなワイプの中で歌うひとりの女の子、とはいっても僕と同じくらいの年齢の子に僕の目は釘付けになった。
僕は十秒ほども静止していたが、ふとブラウザを全画面解除し、別ウインドウ(グゥの音ウインドウ)でその子を検索した。番組名、スペース、エンディング曲で検索すると、すぐに名前が分かった。
「儈梅花? 中国人? 台湾人か? よ、読めん!」
しかし今なお聞こえてくる彼女の歌は、耳に心地よい日本語。今風の甘ったれた声でありながら、メロディによってはそんなに力強さが必要か? と思わせるほど力強い。明らかにネイティブな日本語。それでも二世や三世ってこともあるしな、とかなんとか思いながら、すぐに名前部分を選択状態にして右クリックし、検索する。
まだナレッジパネルは作成されていないようで、本人のSNSが検索トップに出てきた。
――はじめまして
「うめちゃ? キャッチコピーも古臭いし、昭和か?」
昭和の文化に精通などしていない僕だけど、皆が使うから僕も使う。今の時代じゃ見ない聞かない物を「昭和か?」って言うんだ。皆、ね。
でも、この「うめちゃ」は、敢えてその「昭和」っぽさを売っているように見えた。
僕は即うめちゃをフォローした。
「フォロワー五十六人って、僕の方が多いじゃん」
アカウント開設は二ヶ月前。さらに投稿からうめちゃの情報を仕入れる。
都内通信制高校のマルチタレント科(そんなものがあるのかとちょいと驚く)に通う十七歳。ん? 一年浪人してる?
それでもうめちゃの投稿はどれも明るい。そういうフリをしているだけかもしれないけど。
しかし、リプライもリポストもあまりされていない。いいね、はちょこちょこ。
フォロワーを覗くと、同級生や講師がほとんどのようだ。
と、ここで通知がなった。
「うっそ!」
うめちゃからのフォロバ。そして続けざまに僕をメンションしたポストが投稿された。
――フォローありがとうございます! これから仲良くしてくださいね!
僕は平凡でうだつの上がらない冴えない普通の男子高校生。ここですぐさまリアクションしないのは、なんの見栄だろう。しかし、僕の我慢の限界はかなり低い位置にあった。
――早速の反応に震えています。こちらこそどうぞよろしく!!
秒で付くいいねに思わずニヤけた。そしてニヤけっぱなし。
パソコンのモニターでは、まだうめちゃが身体を揺らしながら歌っていた。
僕の住む田舎から遠く離れた街に居るはずのうめちゃがすぐそこで。
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