第131話:日本統一と将来2

天文十九年(1551)4月2日:越中富山城:俺視点


 九畿七道に八つの大宰府を置いた。

 だが、最高指揮官である帥職は、八カ所全部俺が兼務する。

 実際に現地で軍を指揮するのは八人の大弐になる。


 南海道は、海を渡って四国も統治しなければいけないので、阿波に小弐を置く。

 北陸道の佐渡と南山道の淡路は重要な国なので、同じく小弐を置く。

 守護職は廃止して、国司が国を、郡司が郡を治める律令制に戻す。


 九州は功臣に与える予定だったが、少し変更した。

 琉球から台湾、台湾からフィリンピンと侵攻するのに薩摩と大隅は大切だ。

 国扱いした大隅諸島、多禰国も加えて長尾家の直轄領とした。


 これには菱刈鉱山を長尾家で独占する目的もある。

 いや、長尾家で全国通貨を鋳造するために、日本中の鉱山を直轄化する。

 だから佐渡も長尾家の直轄領とする。


 だがそうすると、功臣に与えられる領地が二国分減ってしまう。

 家臣に与える国は石高貫高も大事だが、それだけではない。

 一番大事にしなければいけないのは、武士の面目だ。


 領地が広くて国よりも貫高が多い郡司よりも、領地が狭く貫高が少なくても国司国主の方が武士としての名誉になる。


 戦国乱世なら、少しでも多くの兵を養える広く豊かな領地が必要だったが、俺の家臣は領地と権限と兵力が別になる。


 十万兵と国を預かっていた朝倉宗滴殿や山村若狭守なども、直轄領はそれほど広くなく、配下の大半は俺の直臣を寄騎や同心として率いていただけだ。

 だから朝倉宗滴殿や山村若狭守が領地を与えなければいけない直臣は少ない。


 功臣に一国単位で与えて国司とするのは、朝倉宗滴殿の筑後、晴景兄上の豊後、小嶋貞興の豊前、真田源太左衛門の日向、直江大和守景綱の土佐、色部修理進の讃岐、柿崎和泉守の阿波、以上の七人とした。


 それ以外の功臣は、筑前と肥前と肥後の郡司とした。

 足りない領地は、功臣の働きに応じて奥羽の手頃な郡を選んで郡司とした。


 軍功の多い者は初期からの家臣が多く、西国や畿内の武士と違って、東国に対する忌避感が少ないので、奥羽の郡司でも喜んでくれた。


 それに、朝倉宗滴殿以外はこのまま琉球、台湾、フィリピン、インドシナ、パプアニューギニア、オーストラリアに侵攻してもらう。


 棄兵にするわけではないが、風土病で死ぬかもしれない。

 俺を殺せるような才能のある者が、日本の国内からいなくなる。

 彼らに死んでほしい訳じゃない、武功を立ててくれる方がうれしい。


 風土病で死ぬ事無く武功を立て領地を切り取ってくれたら、九州や四国の領地を南方の領地に代える事もできる。


 ただ南方に領地替えしたのでは憎まれるかもしれないが、切り取ってくれた領地を新たな大宰府として師に任じ、全権を預けるなら、喜んでくれるはずだ。


 大宰師と征夷大将軍は、呼び方が違っているだけで、家臣を率いて遠国を治める為に、全権を与えられる事に違いはない。

 

 この事は最後の戦いで降伏臣従した日向、肥後、薩摩、大隅の国人地侍にも言っているので、武功を立てようと目の色を変えている。


 肥後では阿蘇神社大宮司家の阿蘇惟豊と阿蘇惟将の親子だ。

 相良晴広も五百貫に減らされた領地を取り返そうと南方侵攻を待っている。


 日向でも、俺の軍に負けるまでは最大の勢力を誇っていた伊東義祐が、南方侵攻で武功を立てて領地を回復しようとしている。


 一時は日向守護代家として大きな勢力を持っていた土持親佐は、伊東氏との争いで多くの領地を失い、大友家の家臣となっていた。

 大友家が滅んで俺の家臣と成れたことを、好機と思っているらしい。


 島津宗家や北郷家と争ってた北原兼守も、俺の家臣となった事を生かして、安全な領地を確保した状況での南方侵攻に期待している。


 日向、大隅、薩摩守護をしていた島津宗家だが、北郷などの分家や家臣に領地を与え、俺に逆らえないようにした。


 そもそも島津家は、宗家が力を落として事で分家や家臣が下剋上をしていた。

 島津豊州家を継いだ北郷忠相の長男、島津忠親。

 北郷家を継いだ島津忠親の長男、北郷時久。

 島津薩州家の島津実久と島津義虎の親子。

 島津相州家の島津忠良と島津貴久の親子が、守護の座を賭けて激しく戦っていた。


 そこに、島津家が争う間に力を付けようとする肝付、新納、禰寝、本田、菱刈、邪答院、東郷、入来院、平田、頴娃などの有力国人が戦いに加わる。


 戦国時代だから日本中どこでも同じではあるのだが、一瞬たりとも油断する事ができない、殺し合いが続いていた。


 俺の軍が侵攻した時には、島津貴久が苦難の末に薩摩と大隅を武力と策謀で抑えかけていたのだが、全て水泡に帰した。


 有力国人達は、俺の侵攻を機に島津家からの独立を画策したが、もっと末端の弱小国人や地侍が俺に従ったので、殆どの城地を失っている。

 多くて五百貫、少ない者は六十九貫にまで領地を減らして兵力も武名も失った。


 今は復権の機会である南方遠征を心待ちにしていると聞く。

 だが、彼らの都合に合わせて何の準備もなく南方遠征を行う気はない。

 それでなくても予定を大幅に前倒しにした悪影響が出ている。


 先ずは最低でも日本の石高を千万石から三千万石に増やす。

 俺の記憶では、戦国時代の石高が千万石で江戸時代の石高が三千万石だった。

 三年五作と二期作二毛作を広められたら、五千万石にはできるはずだ。


 いや、北海道と樺太を確保開拓できれば、一億石も夢ではない。

 品種改良されていない米は作れないが、将来を見据えて取り寄せ増やして来た、ジャガイモ、ライ麦、トウモロコシ、テンサイが北方開拓に役立つ。


 北方開拓、最初は苦労するに違いないが、食糧や扶持が保証される黒鍬軍や屯田軍なら、飢える心配なく開拓に専念できる。


 漁で鰊や俵物を獲るだけでも十分利益がでる。

 大型の南部駒を育てる牧場にするだけでもそれなりの利益がでるだろう。


「関白殿下、南方侵攻と北方開拓に派遣する者を選抜したいのですが?」


「分かった、まずは希望する者がいるかどうか調べよ」


★★★★★★


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