初めてのバレンタインチョコレート(短編)

藻ノかたり

初めてのバレンタインチョコレート

ある晴れた日の午後。


OLのキリは、数日後にせまったバレンタインデーに向けて、手作りのチョコレートを作っていた。なにせ、生まれて初めてチョコレートを渡すのだ。高揚感と共に、不安もまたいっぱいである。


「えっと、あれっ? どこか違うなぁ。説明通りにやったつもりなんだけど……」


慣れない手つきでオリジナルのチョコレートを作るのだから、最初からうまく行くはずもない。しかし心が弾んでいれば、失敗もまた楽しからずや、というところか。


トゥルルル――、自分の世界に浸っているキリの幸福な時間は、隣室にある携帯電話の音に脆くもかき消された。


「あぁ~、いま、いいとこなんだけどなぁ。誰だろう、まったく」


楽しい時間を中断させた電話の主をチョットだけ恨みつつ、料理で汚れた手を拭きながら隣の部屋へと向かう。


「あっ、シノ。何よ、いまチョコ作っている真っ最中なの。急ぎの用?」


相手は親友のシノであった。入社3年目、同じ課で働く同僚でもある。


「えっ? キリ。あんた本気だったの?わたし、てっきり冗談かと思ってたわ。学生時代からチョコなんて渡した事のない引っ込み思案のあなたが、一体どういう風のふきまわしよ」


ぶっきらぼうな性格のシノらしい、どこかとぼけた口調でキリに話しかける。


「えぇ、本気よ私。今年こそ絶対に渡すんだから。もう、決めたの。止めても無駄よ」


キリは決意を固めるように、勢いよくシノにこたえた。


「んー、でも渡すのって、あのウラノ課長でしょ。たしかにあの人、毎年たくさんのチョコをもらっているから、あんたが渡したくなる気持ちもわからないではないんだけど……。大丈夫? 後悔しない?」


心配そうに尋ねるシノ。長いつきあいゆえ、キリの性格を熟知した上での問いかけだ。


「大丈夫、バカにしないで。私だってやる時はやるんだから」


「はいはい、わかりました。じゃぁ、がんばってね」


早く話を切り上げて欲しいというキリの思いが伝わったのか、シノはそれ以上何を言うでもなく、早々に電話を切った。


「さぁて、邪魔者は消えた。また、最初からやり直しよ」


再びチョコ作りに没頭するキリ。うららかな午後は、張り切るキリをよそにのんびりと過ぎていった。


そしてバレンタインデー当日、出社したキリが、ロッカールームでシノと話している。


「おはよう、キリ。初チャレンジを前にした、今の心境はどう?」


からかうように、シノが切り出す。


「チョコの方は、何とかうまくいったわ。ラッピングの方はイマイチかも知れないけど……。まぁ、とりあえずは形になったってところ」


不安ながらも準備万端やりきったという自信が、キリの表情から伺える。


「ひとつ、アドバイスしてあげる。あんたみたいなバレンタイン初心者は、みんながチョコを渡した後だと、尻込みしちゃって渡すタイミングを逸っしちゃうもんなのよ。だから課長が来たら、一番に渡さなきゃだめよ」


シノの有り難くもお節介な助言を聞きながら、キリは決意を新たにした。


「よっし、がんばるぞー」


二人がロッカールームをあとにする姿は、まるで試合に赴く格闘家とセコンドのようであった。


課の皆がソワソワする中、まだウラノ課長は姿を見せていない。


「この中の何人が、課長にチョコを渡すんだろう。シノのアドバイス通り、先手必勝でいかなくちゃ」


キリは今、学生時代、徒競走のスタートラインに立った時のような、不安とドキドキ感が入り交じった不思議な気持ちになっている。


去年はこの課だけで、少なくとも3人は課長にチョコを渡していた。会社全体だと15個くらいであろうか。キリは早くも、心の中でスタートの姿勢をとる。


「やぁ、おはよう」


ウラノ課長のおでましだ。今日がバレンタインデーだという事をまるで意識していない、といった態度で自分の席につく。


「キリ!」


隣の机のシノが、促すようにささやいた。


無言で立ち上がり、まっすぐウラノ課長の席へと突き進んでいくキリ。思わぬ事態に課の全員が注目する。


「課長、私の気持ちです。受け取ってください」


声が裏返るのを必死におさえながら、キリはチョコレートの包みを、ウラノ課長の前に差し出した。


あっけにとられ、少し呆然とするウラノ課長。


「……君からチョコレートをもらうなんて、思いもしなかったよ。そんなに、私の事が”嫌い”かね」


意外な相手にチョコを渡され、彼の口調も、しどろもどろだ。


「はい、大っ嫌いです。ヘドが出るほど嫌いです」


はじめての告白という事もあり、キリは完全に舞い上がっている。


「課長はいつも私をいやらしい目で見るし、ハンコをもらう時も、机の上のHな雑誌を私に見せるようにするじゃないですか。人に気づかれないように、私のお尻もよく触るし……」


キリの告白は、止まらない。


「その上、こっちの事情もお構いなしで残業を押しつけるし、私が一生懸命考えた企画もほとんど見ないでゴミ箱行き。課長が自分の企画として上に出したものの殆どは、課のみんなが提出した企画のいい所だけをつまんだものだって、全員知ってますよ」


普段おとなしいキリの激高発言に、ウラノ課長ばかりか、その場にいた他のみなも唖然とした。


「じゃ、そういうことで」


言いたい事を言い切ったキリは、自分の席へと戻っていく。


早速、シノが話かける。


「やったね、キリ。あんたのこと見直したわよ。課長にイジメられるだけの弱虫だと思っていたのに……。ほら、課長、見てごらんよ。目をクルクルさせているわよ」


シノが指さす方を見ると、確かに課長が20個ある目玉をあちこちに動かしている。


ひと仕事を終えた充足感に満たされているキリの元に、女子社員はもちろん、男性社員も駆け寄ってきた。


「いや~、キリがあそこまで言うとは、思ってもみなかったよ」


みな、それぞれ8個ずつある口でキリを称える。


キリは26本ある手でそれぞれの社員と握手をし、興奮しながらシノに話す。


「でも、このバレンタインって地球の風習、すごくいいわよね。一年に一回きりだけど、嫌いな人に嫌いって堂々と言えるんだから」


「ほんとよねー。普段だったら角が立って、とても言えないけどさ。今日だけは後腐れなしに、好きなだけ文句が言えるんだから。それに女性限定ってとこが、またいいわよね」


去年、10個以上のチョコを配りまくっていたシノが相づちを打つ。


「でも、あのチョコっていうものには苦労させられたわ。黒っぽくって、ベタベタして、おまけに変な臭いまでするんだから」


まだ指にチョコレートの臭いが残っていると言わんばかりに、78本の指を11個ある鼻に押し当ててみせるキリ。


「まぁ、嫌いな人にあげるんだから当然じゃない。 あ、でも知ってる? 地球じゃ、もらったチョコを全部食べなくちゃいけないんだってさ」


シノが、意地悪そうにいう。


「え~、それ、きっつー」


キリの言葉に、その場の全員が大笑いをした。一人しかめっ面をしているウラノ課長をのぞいて。



惑星ルサルーノと地球のファーストコンタクトから二十年。二つの星では様々な交流が行われてきた。技術、風習、人材。しかし、中には正確に伝わらなかったものも、少なからずあるようだ。

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初めてのバレンタインチョコレート(短編) 藻ノかたり @monokatari

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