星の瞬きも、彼女の笑顔も、高貴さも。白い桜の海に溶けて、彼の心に還る。

満天の星空を背に立つ、彼女の魅力は満点で。

屋上から眺める桜の絨毯。一面を白で彩る光景を、彼は何色に塗りつぶすのか。
桜色? 否、それではあまりにも芸がない。
寒空の下、人工的な星の瞬きに魅せられ、魅力的な彼女に魅せられ。夜に吸い込まれるようなその風貌は、彼にとってぐっと心をつかむものだったに違いありません。
その瞬間を「彼女ごと」切り取って、芸術に昇華させる。でも、彼にとって星空は「偽物」で。本物にいくら手を伸ばせども、それは文字通り「星空をつかむような話」。クリエイターの仕事を手助けするとも、邪魔するとも言えるAIの台頭。十把一からげに「異端」と称すには、時代の流れに取り残されたと言わざるを得ず。
その人の持ち味というものは、なんであれ作品に反映されるもので。勿論、AIにその下地を投げたところで、作者の「手癖」をも忠実に再現してしまうというのがなんとも、皮肉と言いますか、技術の進歩といいますか……。むず痒いですね……。
それを一から自らの手でというのは、時代背景を鑑みると、彼のクリエイター魂を感じますね。お手軽さ、便利さばかりを手に入れて、それが「当たり前」になってしまうと、途端にそれまでの「普通」の感覚が否応なくアップデートされてしまって、先述したような、旧時代的な思想に逆戻りできなくなりますよね……。
いわば、スイッチのオン・オフでしょうか。常時通電していると(誰かと繋がりっぱなしだと)待機電力も食おうというものです。
そういったお手軽さ、便利さは、人をより「自由」にする一方で、逆に「拘束」する手段にもなるという矛盾を孕んでいて。彼は「無」ということの尊さを知れる稀有な存在なのだなと思いました。時には、待機電力オフも大事です。つながろうと思えば、ケーブル一本差し込めば良いのですから。まさに、「お手軽」ですね。
すでにこの世の住人ではない彼女との邂逅は、彼に何をもたらすのか。彼の思想が羨ましいといった彼女がもし、生きていたとしたら。そんなことをぼんやりと考えながら読み進めつつも、彼の目の前には今「星空をつかむような話」から「確かな『生』を感じる、人の手の届かない世界の住人の手をつかむような話」へと幅広い物語が展開されているんだなぁと思わされました。その広さ、まさに星空のごとし。
それから、毎夜繰り返される彼女との密会。その貴重な時間は、時間を忘れさせ。ソメイヨシノになぞらえた、人間という存在。それは、自然界に存在しながら人工的な営みによってしか繁栄を許されないという、種としての進化を自然界から見放された存在。その儚さは、まるで舞い散る桜のよう。
そんな桜を長年一人で眺め続けた彼女。誰にも認識されず、「孤独(毒)」という毒に侵されながら、「退屈」という猛毒に侵されながら長い年月の果て、初めて己の存在を認知した彼がどれだけ嬉しかったのか。その感情を推し量るに、彼女自身の想像を遥かに超えるものであったことは想像に難くないと強く感じさせられました。
桜の「白」に紛れるように、「白」いワンピースの彼女は、命を散らす。それが本望だったと語る彼女の言葉の端々から言いようのない悲しみが滲み出ていて、読みながらとても心苦しく思いました。
種としての真価を自然界から見放され、独自の(人工的な)進化を遂げた人類は、果たして「人類」と呼べるのか、どうか。倫理的な問題が~なんて、そんな議論ははるか昔の話になってしまったのでしょうね……。
いよいよ訪れた、別れの時。彼女の切なる願いは、果たして。
春に飛び込むように、彼女は飛び込んで。
キャンバスに描かれた彼女の姿は、「白」いキャンバスに映える「桜」のように、綺麗で。まるで「綺麗」という言葉が彼女への「手向けの花」のように感じられました……。
そして、最後の一言。背筋を衝撃が走り抜けました……。
この締めは……(ちょっと言葉で表現することができません……。もし、失礼を承知の上で表現されることを許されるのであれば「素晴らしい」とだけ表現させてください。
彼の星空を掴むような話は、つまるところ星空には届かなかったけれど。彼女の、桜の花のような満開の笑顔を掴み、白く輝く桜の海の中に見事に届いたのですね。